第2章=界境-5話「交差」
◆第2章=界境-5話「交差」
遺影に問いかけても答えは返ってこない。
それは分かっているのに、目が合ったような錯覚だけが残る。
いつもの通学路とは違っていたことは確かだったが、「行っとけば?」の一言で、守埜があの場所へ向かったのかどうかは、結局のところ分からない。
そもそも、守埜がどこへ行こうとしていたのか、ぼくは知らなかった。ただ「迷ってる」と言われて、深く考えずに返しただけだ。
いつも通りの、どうでもいいやり取りの延長だった。
だから、本当は関係ないのかもしれない。
あの事故と、ぼくの言葉は、ただ同じ時間に重なっただけなのかもしれない。
そう思おうとするたびに、胸の奥で何かがきしむ。
そのきしみは、時間が経つほど細く鋭くなり、気づけば呼吸の隙間に入り込んでいた。
それでも——
あのときの守埜の表情と、「……だよな」と笑った声が、頭の中に残り続けていた。
軽かったはずの一言が、あとから重くなっていく。
理由はない。証拠もない。
それでも、切り離せなかった。
むしろ、時間が経つほど、切り離せない部分だけが濃くなっていく。
思い出そうとするたびに、最後の場面だけがやけに鮮明になる。
靴紐を結び直しながら、少しだけ考えるような顔。
その一瞬の沈黙。
そして、あの問い。
——お前なら、どうする?
その問いが、今になって重さを増していく。
ぼくは何も考えずに答えた。
——行っとけば?
その短いやり取りだけが、ずっと引っかかっている。
引っかかりは、時間とともに形を変え、場所を変え、気づけば別の痛みに近いものへと変質していた。
二年に入ってからも、それは消えなかった。
思い出さない日もある。
だが、ふとした瞬間に戻ってくる。
電車の中で、講義の合間で、夜にぼんやりしているときに。
何かのきっかけもなく、急に。
まるで、忘れかけた頃を狙っているみたいに。
そのにじみは、日によって濃さが違う。
ほとんど感じない日もある。
けれど、ふとした拍子に、急に深く刺さる瞬間がある。
誰かの笑い声や、靴紐を結ぶ仕草や、夕方の光の角度。
そんな取るに足らないものが、突然あの場面を呼び戻す。
呼び戻された記憶は、最初よりも少しだけ重くなっていて、少しだけ冷たくなっていて、少しだけぼくの中に居場所を広げていた。
その広がりのどこかで、最近になって、ひとつの考えがゆっくりと浮かんでは沈むようになった。
あのとき、別の言い方をしていたらどうなっていたのか、というような、形になりきらない問い。
「行っとけば?」の代わりに、もっと違う何かを返していたら、守埜は別の方向へ歩いていったのだろうか。
言葉を変えれば、ほんの少しだけでも未来の線がずれて、あの場所に辿り着かなかったのだろうか。
そんなことを考えても仕方がないと分かっているのに、考えないようにすると、逆にその部分だけが浮き上がってくる。
「行くな」と言えたのかもしれない。
「やめとけ」と軽く肩を押すみたいに言えたのかもしれない。
あるいは、「じゃあ一緒に行くか」と、何でもないふりで並んで歩き出すことだってできたのかもしれない。
どれも現実には口にしなかった言葉で、どれも今さら意味を持たないはずなのに、気づけばそのどれかを選んでいる自分がいる。
選ばなかった言葉のほうが、選んだ言葉よりも重くなることがあるのだと、あとになって知った。
その重さは、理由も答えもないまま、ただ沈んでいく。
沈むほど静かになるのに、静かになるほど、そこにあることだけがはっきりしていく。
触れなければ忘れられるのに、忘れられるほど軽くもなく、思い出すほど強くもない。
その中途半端な位置で、ずっとぼくの中に居続けている。
あのとき、別の言い方をしていればよかったのか。
そもそも、答えなければよかったのか。
そんなことを考えても意味がないと分かっているのに、考えることをやめられなかった。
考えれば考えるほど、あの一言の輪郭だけが濃くなる。
それは後悔というよりも、もっと細かい、引っかかりのようなものだった。
完全には痛みにならないまま、ずっと心のどこかに残り続ける、小さなささくれ。
触れなければ忘れられるのに、気づけば指先で確かめてしまうような、そんな種類のもの。
そして確かめるたび、ほんの少しだけ血がにじむような感覚があった。




