表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/54

第2章=界境-第4話「既読」

◆第2章=界境-第4話「既読」

家に帰っても、胸のざわつきは消えなかった。

事故のことを知らせるチャットはまだ動いていたけれど、もう開く気になれなかった。

スマホを伏せたまま、机に突っ伏していた。

額に触れる木の冷たさだけが、やけに鮮明だった。

その冷たさが、胸の奥のざわつきを少しだけ落ち着かせるようで、でもすぐにまた戻ってきた。

しばらくして、画面が静かに光った。

通知ではなく、ただ時間が進んだだけの光だった。

その光が、部屋の薄暗さの中でゆっくりと揺れた。

ぼくの呼吸だけが、部屋の中で浮いていた。

呼吸の音が、やけに大きく聞こえた。

ぼくはゆっくりと手を伸ばし、スマホを裏返した。

メッセージアプリを開くと、守埜とのトークが一番上にあった。

事故のことなんて知らないまま、そのままの位置に。

昨日のままの温度で、そこにあった。

その“昨日”が、急に遠いものに感じられた。

開くと、最後のやり取りが残っていた。

《また明日》

その下に、ぼくの《また明日》。

短くて、何の変哲もない言葉。

でも、今はその二文字が胸に刺さった。

胸の奥で、何かがゆっくり沈んでいくのがわかった。

沈んでいくのに、底が見えなかった。

スクロールすると、少し前のやり取りが出てきた。

《今日、眠い》

《だな》

《なんかさ、授業の空気が重かったわ》

《お前いつも言ってね?》

《いや、今日は“いつもより”ってやつ》

《知らん》

《だよな》

その軽さが、今は痛かった。

守埜の声が、画面の向こうでまだ生きているみたいで、胸がきゅっと縮んだ。

ぼくの指先が、画面の上で少し震えた。

さらにスクロールすると、もっと前の会話があった。

《パン買えた》

《よかったじゃん》

《最後の一個だった。勝った気する》

《何と戦ってんだよ》

《世界?》

《は?》

《冗談だって》

守埜らしい、少しだけズレた冗談。

その軽さが、胸の奥を締めつけた。

ぼくの指が震えた。

笑えるはずのやり取りなのに、笑えなかった。

さらに遡ると、もっとどうでもいい会話が続いていた。

《昼、混みすぎ》

《いつもじゃね?》

《いや今日は“混みすぎの中の混みすぎ”》

《意味わからん》

《わかんなくていいやつ》

守埜の、あの曖昧な言い方。

語尾が少し抜ける癖。

その癖が、今は胸に刺さった。

今日の放課後、守埜はぼくに聞いた。

「お前なら、どうする?」

その言い方は、いつもより少しだけ言葉を探しているように聞こえた。

語尾が曖昧で、声がほんの少しだけ落ちていた。

その“少し”が、今は重かった。

ぼくは何も考えずに答えた。

「行っとけば?」

その瞬間の自分の声が、頭の奥で何度も再生された。

軽くて、浅くて、何も考えていない声。

その声が、今は自分のものじゃないみたいに聞こえた。

あのとき、ほんの一秒でも考えていれば。

別の言葉を選んでいれば。

そんな“もし”が、胸の奥で何度も膨らんでは潰れた。

そのやり取りは、メッセージには残っていない。

全部、口頭だった。

だからこそ、余計に消えなかった。

ぼくの頭の中で、何度も何度も繰り返された。

繰り返すたびに、胸が痛んだ。

メッセージアプリには、事故の前の守埜がそのまま残っていた。

ぼくに向けた短い言葉たちが、昨日のままの温度で並んでいた。

その温度が、今は遠く感じた。

触れようとすると、指先が冷たくなるような距離だった。

《また明日》

その言葉が、頭の奥で何度も反響した。

守埜は、明日が来ると思っていた。

ぼくも、来ると思っていた。

その“当たり前”が、急に脆く見えた。

ぼくは画面を閉じようとした。

でも、指が止まった。

閉じたら、本当に終わってしまう気がした。

消せばいいのかもしれない。

でも、消したら、守埜が本当にいなくなる気がした。

ぼくは画面を閉じずに、ただ見つめていた。

守埜のアイコンは、昨日と同じままだった。

無表情でもなく、笑っているわけでもなく、ただそこにある顔。

その顔が、急に遠く感じた。

ぼくはスマホを胸に押し当てた。

そのまま、しばらく動けなかった。

胸の奥で、何かがゆっくり沈んでいくのを感じた。

沈んでいくのに、底が見えなかった。

呼吸が浅くなり、喉が少し痛くなった。

部屋の中は静かだった。

外では風の音がしていた。

カーテンが少し揺れていた。

その揺れ方が、妙にゆっくりに見えた。

時間が伸びているような感覚だった。

ぼくは目を閉じた。

守埜の声が、かすかに蘇った。

「お前なら、どうする?」

「……いや、別に深い意味とかじゃないんだけどさ」

「なんか、行っといたほうが“いい気がする日”ってあるじゃん」

守埜の、あの曖昧な言い方。

語尾が少しだけ抜ける癖。

その声が、ゆっくりと沈んでいく。

ぼくの返事も。

「行っとけば?」

その一言が、胸の奥に重く沈んだまま動かなかった。

あの一言が、守埜をあの場所に向かわせたのかもしれない。

そう思うたびに、胸が痛んだ。

痛むたびに、呼吸が浅くなった。

浅くなるたびに、胸の奥がさらに沈んだ。

ぼくはスマホを手に持ったまま、机に額をつけた。

画面の中の《また明日》が、ぼくを責めているように見えた。

外の風の音だけが、静かに続いていた。

声にならない慟哭が、風の音を飲み込んで、やけに遠くに感じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ