寿綾乃という女 第2部 59
…伸明が、まさか、そんな人間とは?…
私は、信じない…
信じたくなかった…
が、
一方で、それは、おそらく真実…
真実に違いないと、直観した…
そして、その判断に、誤りは、ないと思った…
同時に、やはり、今、目の前で、寝ている、冬馬…
菊池冬馬のことを、思った…
自殺未遂を起こして、入院している、菊池冬馬を思った…
冬馬は、今、伸明の変心=心変わりが、自殺未遂の原因と言った…
最初は、菊池リンとの結婚を断固拒否し、私、寿綾乃との結婚を公言して、母の昭子に迫り、昭子が渋々認めると、今度は、一転、前言を撤回…
それまで、断固として、拒否してきた、菊池リンとの結婚に前向きになった…
それも、これも、産みの母の、昭子さんを困らせるため…
わざと、天の邪鬼に、昭子さんに反抗する…
昭子さんが、嫌がることをする…
それもこれも、すべて、自分が、いやいや、五井家の当主になったことによる、昭子さんへの復讐とは?
まるで、ドラマや漫画…
が、
そう説明されれば、わからないわけではない…
前当主、建造の血が繋がらない、伸明が、当主になれば、当たり前だが、他の一族から、風当たりが、強い…
五井本家の当主が、前当主の血を引いてない…
それを知れば、明らかに批判の材料になる…
同じ五井の一族でも、当然、本家に反発する、分家は多いに違いない…
だから、不満を持つ、分家は、格好の攻撃材料にするに決まっている…
そうなれば、伸明は、やはり、精神的にキツイだろう…
だから、その不満が、ついつい、産みの母である、昭子に向かう…
そういうことだろう…
が、
そこまで、考えて、気付いた…
たしか、以前、聞いたが、伸明が、前当主、建造の血を引かないことは、一族でも、ごく少数、ほんのわずかの人間しか知らなかったはずだ…
現に、自殺した、伸明の弟の秀樹は、知らなかった…
本当の兄弟だと信じていた…
が、
違った…
母は、同じだが、父が違ったのだ…
秀樹こそ、亡くなった建造の実子だった…
そして、伸明と秀樹を比べれば、本当は、兄弟では、ないことは、冷静に考えれば、誰にでも、一目見れば、わかった…
伸明は、身長が、175㎝はあり、ルックスもいい…
片や、秀樹は、身長は、160㎝ちょっとで、ルックスも平凡だった…
つまりは、誰が見ても、他人…
とても、血が繋がった兄弟には、見えない…
そして、そこまで、考えると、目の前の冬馬に、
「…あの、ひとつ、お聞きして、いいですか?…」
と、聞いた…
「…どうぞ…」
冬馬が、ぶっきらぼうに、答える…
「…伸明さんは、建造さんの子供じゃないと、知ってるのは、一族でも、ごく一部の人間と、以前、お聞きしましたが…」
私の質問に、冬馬が冷笑した…
「…人の口に戸は立てられないよ…」
冬馬が笑う…
「…本人たちは、隠しているつもりでも、いつのまにか、みんなにバレてる…」
私は、冬馬の返答に、
「…」
と、言葉もなかった…
「…バレバレだよ…」
「…」
「…結局、伸明さんは、心ならずも、当主になったことで、一族から、心無い批判を受けるようになった…まったく、バカバカしい…」
「…どうして、バカバカしいんですか?…」
「…アンタも知ってるように、死んだ弟の秀樹さんは、当主になりたくて、なりたくて、仕方がなかった…真逆に、伸明さんは、それほどじゃなかった…おそらく、自分が、建造さんの血を引いてない負い目があったんだろう…」
「…」
「…にもかかわらず、当主になった…自分がなりたいわけでもないのに、なった…それが、今、批判されてる…」
「…」
「…だからだろう…結婚ぐらい、自分に自由にさせてもらいたいと思って、アンタと結婚したいと、言い出した…ほとほと、五井に嫌気がさして、わざと、一族に距離を置きたいと、考えた可能性が高いし、さっきも言ったように、母親の昭子叔母様に、反発したい思いもあっただろう…」
「…」
「…真逆に、昭子叔母様は、だからこそ、菊池リンとの結婚を望んだ…同じ一族の娘となら、五井の掟通りだし、他の一族も文句を言えないからだ…」
「…」
「…だが、伸明さんは、そんな昭子叔母様の気持ちを無視して、アンタとの結婚を望んだ…昭子叔母様に、あてつけるかのように…そして、渋々、アンタとの結婚を認めると、言ったら、今度は、菊池リンと結婚してもいいと言い出す…まるで、子供…子供の反抗だ…」
「…」
「…佐藤ナナの一件も同じだ…」
「…同じ…どう同じなんですか?…」
「…彼女を五井本家の養女にしたのは、昭子叔母様だ…」
「…昭子さん?…」
実に、意外だった…
「…昭子叔母様は、五井本家の力を強めることを、望んだ…それは、結局のところ、伸明さんを守るため…他の分家から、伸明さんの批判を封じるためさ…五井南家を本家側につかせることで、他の分家の力を弱めることができる…だから、伸明さんが、五井情報を米倉平造に売るのを、承諾した…」
「…」
「…実に皮肉なものだ…片や、伸明さんは、嫌がらせのように、損であるのが、わかっているにもかかわらず、五井情報と、佐藤ナナを交換させた…片や、その母親の昭子叔母様は、それが、わかっていても、伸明さんの得になるからと、後押しした…」
「…」
「…親の心、子知らず、実に、皮肉だ…」
私は、眼前の冬馬が、どうして、これほど、伸明と、昭子のことを、知っているのか、疑問に思った…
たしかに、冬馬の言っていることは、わかるし、ウソとは、思えない…
しかし、どうして、ここまで、冬馬が、昭子さんと、伸明さんの関係に詳しいか、わからない…
甚だ疑問だった…
なぜなら、冬馬は、昭子さんの弟、重方の息子…
そして、昭子さんは、重方、冬馬、父子を嫌っている…
だから、交流は、あまりないに違いない…
だが、交流がないにも、かかわらず、これほどの情報を知っている…
一体、どうしてだろうか?
一体なぜだろうか?
不思議だった…
だから、
「…どうして、冬馬さんは、そんなに、昭子さんと、伸明さんの関係に詳しいんですか?…」
と、聞いた…
聞かずには、いられなかった…
「…和子叔母様だよ…」
「…和子叔母様?…」
「…昭子叔母様の一卵性双子の妹の…」
「…」
「…和子叔母様とは、昔から、仲がいいんだ…」
冬馬が、告白する…
それで、わかった!…
考えてみれば、当たり前のことだった…
冬馬は、和子の孫、菊池リンと、結婚することになった…
その結婚の鍵を握るのは、菊池リンの意思が、一番だが、祖母である、和子の意思を無視することはできない…
いや、
一番、重要なのは、むしろ和子の意向かもしれない…
和子が、了承すれば、すみやかに、事が運ぶ…
そして、和子の意向は、姉の昭子も無視できないであろう…
本家を支える、重要な存在だからだ…
そして、それを聞いて、今まで、なぜ、昭子が、冬馬を嫌っているにもかかわらず、一族で、優遇していたのか、ようやく、わかった…
すべては、和子の意向だろう…
和子の意向を無視することができないゆえだろう…
そして、この冬馬は、その和子に気に入られてる…
自分の孫である、菊池リンと結婚させても、良いと、思えるほど、気に入られている…
ゆえに、昭子は、いかに、冬馬が、気に入らずとも、冬馬を、無下にはできなかったに違いない…
私は、ようやく、その事実に気付いた…
「…和子叔母様は、昭子叔母様と、違って、なぜか、オレに優しい…オレが、一族を追放になっても、菊池リンの夫として、五井家に戻れるように、配慮してくれた…」
冬馬が、激白する…
「…だから、その和子叔母様に頼まれて、マミさんと、いっしょに、アンタに、伸明さんと、別れて欲しいと、頼みに行った…あのときは、てっきり、伸明さんと、佐藤ナナが、結婚すると、思っていたから…それが、なぜか、こんなことに…」
冬馬の目が光った…
泣いているのだった…
「…正直、なにがなんだか、わからなくなった…いつのまにか、リンちゃんが、伸明さんと、結婚するかもしれないということになり、五井に、オレの居場所がなくなった…」
「…」
「…それで、どうして、いいか、わからず…」
後は、言葉にならなかった…
ただ涙が、伸明の頬を伝った…
私は、それを見て、どうしていいか、わからなかった…
かける言葉が見つからなかった…
だから、ただ、ただ、黙っていた…
無言で、冬馬と、互いに、見つめ合った…
すると、いきなり、
「…寿綾乃…」
と、冬馬が、私の名前を呼んだ…
私は、ビックリした…
が、
「…なんですか?…」
と、冷静に、答えた…
「…アンタ…金持ちをどう思う?…」
「…お金持ちですか?…」
「…そうだ…」
「…純粋に憧れます…」
私は、即座に言った…
「…憧れる?…」
「…ハイ…」
「…が、それにしては、アンタ、全然、そんな態度を取らないな…」
「…」
「…普通、金持ちに憧れる人間は、皆、金持ちと接すると、卑屈になって、相手に取り入ろうとしたり、真逆に嫌みを言ったりするものだが、アンタには、それがない…」
「…」
「…そう思っていれば、隠していても、態度に出るものだが、アンタには、それがない…」
「…」
「…だから、伸明さんは、アンタに憧れたんだろう…」
「…私に?…」
「…アンタを見ていると、なんだか、欲望の外にいる気持ちになる…」
「…欲望の外? …どういう意味ですか?…」
「…他人様を妬んだり、恨んだりする感情だ…」
「…」
「…それが、一切感じないアンタに、憧れたんだろう…」
「…」
「…そして、それは、昭子叔母様もいっしょだ…アンタに会って、伸明さんの気持ちが、わかったんだと、思う…さもなければ、アンタと伸明さんの結婚は、認めないよ…」
「…」
「…伸明さんが、昭子叔母様に、反抗して、一族以外の女と結婚したいと、言っても、それが、あからさまな金目当ての女なら、誰もが、反対する…」
「…」
「…もっとも、それが、アンタにとっても、伸明さんにとっても、いいことなんだか、悪いことなんだか、オレには、わからない…」
「…どういうことですか?…」
「…伸明さんが、アンタと結婚すれば、五井の一族が、反発するし、真逆に、菊池リンと、結婚すれば、反発は起きないと思うが、真逆に、五井東家出身同士だから、五井東家が、五井家を牛耳ったと、余計に反発が起きるかもしれない…」
「…」
「…どんなことも、起こってみて、初めて、わかる…事前にアレコレ、シュミレーションを重ねても、必ず、想定外の場面に出くわすものさ…」
私は、真面目に、ベッドの上で、語る冬馬に、不謹慎にも、笑いそうになった…
なぜなら、
「…そういう、アナタが、自殺未遂を起こしたのが、まさに、想定外じゃないのか?…」
と、言いたくなったからだ…
が、
まさか、それを口にすることはできない…
しかしながら、やはりというか、その思いは、表情に出たらしい…
「…なんだ?…なにが、面白い?…」
冬馬が、問い詰めた…
「…オレが、今、なにか、おかしなことを言ったか?…」
「…いえ…」
私は、言ったが、やはり、言葉では、否定しても、本音は隠せなかった…
「…ウソを言うな…本当のことを言え…」
冬馬が顔色を変えて、怒鳴った…
だから、私は、迷ったが、
「…そういう、冬馬さんが、ここで、寝ているのが、伸明さんにとっても、想定外じゃないんですか?…」
と、言った…
「…どういう意味だ?…」
「…冬馬さんが、将来を悲観して、こういう行動を取るとは、思ってもみなかったんじゃありませんか?…」
私の言葉に、冬馬は、
「…」
と、言葉もなかった…
私は、黙って、冬馬の様子を見た…
明らかに、落ち込んでいた…
それから、一言、
「…アンタは、強い…」
と、言った…
「…強い? …私が?…」
「…おそらく、それも、伸明さんが、アンタに憧れる一面だと思う…金持ちは、皆、弱い…それに比べ、アンタは…」
と、言ったが、後は、言わなかった…
口の中に、飲み込んだ…
おそらく、私の本当の素性を知っているに違いなかった…
矢代綾子が、寿綾乃を名乗り、成りすます…
その事実を知っているに、違いなかった…
が、
さすがに、それを口にするのは、憚れたに違いない…
だから、私も、なんと言っていいか、わからなかった…
だから、黙った…
二人とも、それ以上の会話が、なかった…
ネタ切れ…
会話が続かなかった…
後は、黙り続けるしか、なかった…
すると、まもなく、それを見計らったように、諏訪野マミが、戻って来た…
戻って、部屋に入るなり、
「…冬馬…目が覚めたの?…」
と、嬉しそうに、言った…
「…ハイ…」
「…よかった…本当に良かった…」
マミが、嬉しそうに、言う…
そんなマミの姿に、冬馬は、
「…」
と、言葉もなかった…
「…冬馬…寿さんと話した?…」
「…ええ…」
「…だったら、良かった…」
マミが、満足げに、頷く。
「…本当に、良かった…」
シミジミと、言った…
「…じゃ、寿さん…帰りましょう…」
マミが、突然、言った…
「…帰る? …だって、マミさんは、今、来たばかりなのに?…」
「…冬馬も、まだ、意識が回復したばかりだから、あんまり長居をしちゃ、冬馬のカラダに悪いでしょ…」
「…」
「…それに、私は、いつでも、冬馬に会えるから…」
そう断言すると、
「…帰りましょう、寿さん…」
と、私の手を引っ張って、冬馬のいる病室を出た…
有無を言わせぬ行動だった…
「…じゃ、冬馬、また来るわ…」
マミは、言ったが、冬馬からは、返事がなかった…
私は、冬馬を振り返り、
「…お世話になりました…」
と、声をかけた…
が、
やはり、返事はなかった…
廊下に出ると、私は、マミに、
「…これで、良かったんですか?…」
と、聞いた…
聞かずには、いられなかった…
「…それは、いいに決まってるじゃない…冬馬は、憧れの寿さんが、見舞いに来てくれたんだから…」
ニコニコしながら、答えた…
私は、
「…」
と、言葉もなかった…
マミは、明らかに、ウソを言っているし、私が、それを見抜いているのも、わかっている…
にもかかわらず、そう言い続けるマミを、目の前にして、言葉もなかった…
かける言葉もなかった…
「…寿さん?…」
「…なんですか?…」
「…冬馬のことを、頼むわ…」
「…冬馬さんのこと?…」
余りにも、意外な言葉だった…
「…冬馬は、ああ見えて、気が弱い…あんな険のある目をしているのに…」
「…」
「…誰かが、冬馬を支えている…面倒を見ている…そう実感できれば、二度とあんな馬鹿な真似はしない…」
私は、マミの言葉に、冬馬が、私に語った、五井家の内訳とは、別の計算があると、気付いた…
「…五井は、バラバラなようでいて、その実、しっかりと、している部分もある…」
「…しっかりとしている部分?…」
「…本家と東家は、一体化している…」
諏訪野マミが、断言した…
「…だから、そこは、信頼できる…五井が十三家あって、それぞれが、バラバラじゃ、さすがに、統制が取れない…」
言われてみれば、当たり前のことだった…
「…だから、そこは、信頼していい…信じていい…」
マミが、力を込める…
それは、私に言うというよりは、なんだか、自分自身に言っているようだった…
私は、思った…
私は、考えた…
すると、
「…五井の歴史は、400年…」
と、マミが、突然、言った…
「…400年の歴史がある…」
私は、マミが、なにを言い出すのか、わからなかった…
だから、黙って、次に、なにを、マミが言い出すのか、待った…
「…だから、そんな簡単に、バラバラには、ならない…次の100年、200年と、五井の歴史は、続く…私は、いえ、私たちは、ただその狭間にあって、次世代へ、五井を引き渡さなければ、ならない…」
諏訪野マミが、力強く、断言する…
「…それが、私の、いえ、私たちの役割…伸明さんも、冬馬も、皆、同じ…五井を今のままの形で、次世代に渡す…それこそが、私たち五井の血を引く者たちの役割…」
諏訪野マミが、宣言する…
それは、自分自身に言い聞かせるようだった…
なにより、自分自身に言い聞かせることで、五井の危機を回避させようと、願っているようだった…
私には、そう思えて、仕方がなかった…
裏を返せば、そう言わざるを得ないほどの、危機の証だった…




