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第八話 復讐したい

「生きろ、生きてくれ」


お兄様の文字は、一年間ずっと私の胸にあった。

何度も破り捨てようと思った。

何度も燃やそうと思った。

それでもできなかった。

お兄様が最後に残したものだったから。


処刑から一年。

フォンデラ侯爵家は喪に服し、王都を離れた。

お父様は外政大臣を辞し、侯爵領へ戻った。

私は黒い喪服以外を着なくなった。

社交界にも当然出なかった。

舞踏会の招待状は、すべて断った。


春になると、屋敷の庭にはラベンダーが咲く。

お兄様が好きだった花だ。

風が吹くたび、紫色の波が揺れる。

私は毎朝、その花畑を歩いた。

お兄様なら何と言うだろう。

お父様は今日も食事を残していた。

領民には笑顔を見せるのに、一人になると窓の外ばかり見ていた。

お兄様の書斎だけは、一年前のまま。

机の上の羽根ペン。

読みかけの本。

途中まで書かれた外交案。

誰も触れなかった。

触れられなかった。

時間だけが止まっていた。


喪が明けてしばらく経ったある日、

一通の王命が届く。

『フォンデラ侯爵、令嬢と共に王都へ登城せよ』

お父様は静かに封書を閉じた。

「……来たか」

その声に、私は嫌な予感しかしなかった。


王都へ向かう馬車の中で、お父様はほとんど話さなかった。

私も窓の外を見ていた。

王都は、一年前と何も変わっていない。

パン屋の香り。

市場の賑わい。

噴水で遊ぶ子どもたち。

世界は何事もなかったように動いている。

お兄様だけがいない。

それだけだった。


謁見の間。

お父様は外政大臣への復帰を命じられた。

私は黙ってそのやり取りを聞いていた。

お父様は一礼する。

「ありがたき幸せ」

その言葉を聞いた時、少しだけ胸が痛んだ。

お父様は侯爵家を守るために頭を下げている。

それはわかっていた。

だから何も言えなかった。


やがて国王が私を見る。

「ソフィー」

「はい」

「一年、よく侯爵を支えた」

「恐れ入ります」

形式通りに答える。

すると国王陛下は静かに言った。

「そなたに王命を下す」

空気が変わる。

私は顔を上げた。

国王の隣にはジュール王太子殿下。

一年前より痩せていた。

それでも真っ直ぐ前を見ていた。

「ソフィー・フォンデラ」

国王陛下の声が響く。


「王太子妃となれ」


その瞬間。

時間が止まった。

何を言われたのか理解できない。

王太子妃。

私が。

この人の。

お兄様を失わせた、この人の。


「……恐れながら陛下、今、何と」


「王太子妃となれ」


同じ言葉が繰り返される。

私は王太子殿下を見る。

殿下も私を見ていた。

悲しそうな目だった。

その目が許せなかった。

悲しいのは私だ。

お父様だ。

お兄様を失ったフォンデラ侯爵家だ。

どうして、この人がそんな顔をするの。

「ソフィー」

王太子が一歩近づく。

「話を聞いてほしい」


その一言で、一年間、押し殺してきたものが、一気にあふれた。

お兄様が処刑された日。

門の前で泣き続けたこと。

最後に会えなかったこと。

「生きろ、生きてくれ」

お兄様の遺言。

全部が胸の中で渦を巻く。

私は殿下へ歩み寄った。

その頬を。

私は思い切り打った。

動こうとした近衛騎士を王太子殿下は手で制する。


乾いた音が、謁見の間へ響く。

私は震える声で言った。

「お兄様を返してください」

部屋は静まり返る。


「返して……」

涙が落ちる。

「返してくださるなら、

私は何でもします。

王太子妃にでも、何にでもなります。

だから、

お兄様を返してくださいっ」


もちろん。

返ってくるはずがなかった。

その現実だけが、私をさらに絶望へ突き落とした。

殿下は静かに口を開く。

「ソフィー」

その優しい声を聞いた瞬間。

私は、もう何も聞きたくなかった。


王城から。

この人たちから。

お兄様を失った場所から。

逃げたい。

ただ、それだけだった。

足元に魔法陣が広がる。

誰かが叫ぶ。

「ソフィー、やめろ!」


光があふれる。


そして私は――お兄様の眠る霊廟へ転移した。


一年間、止め続けてきた涙が、ようやく、あふれ出した。



お読みいただきありがとうございます。

更新頻度が上がりました。

6時ごろ、16時ごろです。よろしくお願いします。

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