第七話 兄の遺言
王城の鐘が、ゆっくりと鳴り響く。
一つ。
二つ。
その音が何を意味するのか、私は知っていた。
知っていたのに。
「違う」
私は首を振った。
「違う」
使用人たちも動きを止めている。
誰も私を見ようとしない。
お父様だけが静かに立ち上がった。
「王城へ向かう」
その声は驚くほど落ち着いていた。
私はお父様の腕をつかむ。
「私も行きます」
お父様は何も言わなかった。
ただ、一度だけ頷いた。
王城には重苦しい空気が漂っていた。
昨日までと同じ石畳。
同じ門。
同じ衛兵。
それなのに、何もかも違って見える。
私たちは謁見の間ではなく、小さな応接室へ通された。
しばらくして扉が開く。
入ってきたのは王太子殿下だった。
その姿を見た瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
「……殿下」
王太子殿下は一晩で別人のようにやつれていた。
髪は乱れ、目は赤く充血している。
何日も眠っていないような顔だった。
それでも殿下は私たちの前へ歩み寄り、深く頭を下げた。
「申し訳ない」
部屋に沈黙が落ちる。
お父様は何も答えない。
私は殿下だけを見ていた。
「ルイは……」
声を詰まらせながら言い切る。
「最後まで、罪を認め続けた」
「違います、お兄様はやっていません」
「……」
「お兄様はそんな人じゃありません」
「私もそう思っている」
その一言が、私には理解できなかった。
「思っている?」
私は殿下を見つめる。
「信じているのに?」
声が震える。
「どうして、お兄様を助けてくださらなかったのですか」
殿下は下を向いて答えない。
「何故、どうしてなのですか!親友だったのでしょう!」
「ソフィー」
「一番近くにいたのでしょう!」
「……」
「どうして!」
王太子は拳を強く握り締めた。
血が滲むほど。
それでも何も言わない。
お父様が静かに私の肩へ手を置く。
「もうよい」
「よくありません!」
私は涙をこらえきれなかった。
「お兄様は帰ってくるって、わたくしと約束したんです」
昨日の朝。
玄関で笑って手を振った。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
たったそれだけ。
それが最後だった。
殿下は懐から二通の封書を取り出した。
白い封筒だった。
丁寧な字で書かれている。
『アルマン・フォンデラ侯爵へ』
『ソフィーへ』
私は息を止めた。
お兄様の字だった。
「ルイから預かっていた、必ず渡してほしいと」
お父様は震える手で自分宛ての封書を受け取った。
私は動けなかった。
受け取りたくない。
受け取った瞬間、本当にお兄様がいなくなる気がした。
「ソフィー」
殿下が私の前へ封書を差し出す。
「受け取ってくれ」
私はゆっくりと手を伸ばした。
封筒は温かくも冷たくもなかった。
ただ、薄くて軽かった。
たった一枚の手紙で、人は別れを告げるのだろうか。
震える指で封を切る。
中には便箋が一枚だけ入っていた。
そこにはお兄様らしい、整った文字が並んでいる。
『ソフィーへ
父上と侯爵領を頼む』
そこまでは、予想していた。
けれど、その次の一行を読んだ瞬間、涙で文字が滲んだ。
『生きろ、生きてくれ』
たった一行。
そこには、何が起きたのかも、
復讐しろ、とも殿下を憎めとも書いてなかった。
ただ、生きてくれ、それだけ。
私は便箋を胸に抱き締め、その場へ崩れ落ちた。
「嫌です……」
涙が止まらない。
「そんな遺言、嫌です」
敵を見つけ出し復讐していいと言ってほしかった。
お兄様の代わりに怒っていいと言ってほしかった。
そうすれば私は迷わずに済んだ。
なのにお兄様は、最後まで私を憎しみから遠ざけようとした。
「お兄様は、ずるい……」
部屋の隅で、王太子は静かに目を伏せた。
その頬を、涙が濡らし続けた。
お読みいただきありがとうございます。
更新頻度が上がりました。
6時ごろ、16時ごろです。よろしくお願いします。




