↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/30

第五話 最後の願い

それから王城の空気は変わった。

表向きは何も変わらない。


王太子妃候補たちは社交を続け、舞踏会の日程も決まり、貴族たちは笑顔で挨拶を交わしている。

だが、その裏では静かに人が動いていた。

王城の警備が増えた。

王太子の執務室には夜遅くまで灯りがともる。

お兄様も帰宅が遅くなった。

「また徹夜ですか」

侯爵邸へ戻ったお兄様に声を掛けると、目の下には薄く疲れが見えた。

「少し忙しいだけだ」

「少し、ではありません」

「ソフィー」

お兄様は笑って私の頭を軽く叩いた。

「そんな顔をするな」

「心配します」

「ありがとう」

その一言だけだった。

昔なら「大丈夫だ」と言ってくれたお兄様が、その日は何も約束しなかった。


数日後。

王都に一つの噂が流れ始める。

――王太子の側近が機密を漏らした。

――フォンデラ侯爵家が他国と通じている。

――王太子妃選定を操ろうとしていた。

どれも証拠のない噂だった。

それでも噂は、人の口から口へと広がっていく。

「馬鹿な」

お父様は新聞代わりの報告書を机へ叩きつけた。

「こんなものを誰が信じる」

お兄様は静かに書類を読んでいる。

「お兄様」

私が声を掛けても、お兄様は顔を上げなかった。

「気にしなくていい」

「でも」

「父上」

お兄様はお父様を見た。

「領内の警備を少しだけ増やしてください」

「……そこまでか」

「念のためです」

お父様はゆっくり頷いた。

その横顔は険しかった。


その夜。

お兄様の部屋に灯りがともっていた。

珍しく扉が少しだけ開いている。

「お兄様…」

軽く扉を叩くが返事がない。

そっと覗くと、お兄様は机に向かい、何かを書いていた。

便箋が二枚。

封筒が二つ。

お兄様は一枚を書き終えると、静かに封をした。

その表には。

『父上へ』

もう一枚には。

『ソフィーへ』

胸がざわついた。


「お兄様?」

お兄様は驚いたように振り返り、すぐに笑顔を作る。

「まだ起きていたのか」

「何を書いているんですか」

「仕事だ」

「嘘です」

お兄様は少し困ったように笑った。

「鋭くなったな」

「教えてください」

「まだ駄目だ」

「どうして」

お兄様は立ち上がると、私の前まで歩いてきた。

「ソフィー」

「はい」

「もし私が約束を守れなくなったら」

「その話は嫌です」

私はお兄様の言葉を遮った。

「最近、そればかりです」

「聞いてくれ」

「聞きたくありません」

「頼む」

お兄様の声が少しだけ震えていた。


初めてだった。

お兄様が私に「頼む」と言ったのは。

私は黙って頷いた。

お兄様は安心したように微笑む。

「父上を支えてくれ」

「……」

「侯爵領を守ってほしい」

「そんなの、それはお兄様が」

お兄様は首を横に振った。

「そして」

少しだけ間が空く。

お兄様は真っ直ぐ私を見た。

「生きてくれ」

私は笑ってしまった。

「何ですか、それ」

涙が出そうになるのを隠すように笑う。

「変なお願い」

「大事なお願いだ」

「嫌です」

「ソフィー」

「そんなことを言うなら、お兄様も生きてください」

お兄様は答えなかった。


ただ、静かに私を抱き寄せた。

子どもの頃以来だった。

「必ず帰ってきてください」

私はお兄様の服を握り締める。

「約束ですよ」

お兄様はゆっくりと目を閉じた。

そして。

「……努力する」

その返事だけだった。


翌朝。

まだ日も昇らないうちに、お兄様は王城へ向かった。

玄関で振り返る。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

私は笑顔で手を振った。

お兄様も笑って手を振り返す。

それが。

お兄様を見た、最後だった。


その日の夕暮れ。

王城から、一頭の馬が侯爵邸へ駆け込んできた。

近衛騎士の顔は青ざめていた。

お父様が玄関へ向かう。

私はその後ろを追う。

騎士は片膝をつき、震える声で告げた。

「ルイ・フォンデラ殿が……」

その先の言葉を。

私は、聞きたくなかった。


お読みいただきありがとうございます。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。