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第十九話 包囲

「来ます」

ガレスが低く言った。


倉庫の外で、いくつもの足音が重なっている。

一人や二人ではない。


殿下が帳簿を閉じ、すぐに上着の内側へ押し込んだ。

「裏口は」


「先ほど確認しました。海側へ続いています。ただし、船着き場まで距離があります」

ガレスが剣を抜く。


倉庫の正面で、金具が激しく鳴った。

「中にいることはわかっている! 帳簿を置いて出てこい! そうすれば命までは取らん!」


ガレスが鼻で笑った。

「命まで取らん、と言って本当に取らなかった者を、私は知らん」


殿下が一瞬だけこちらを見る。

「ソフィー」

「はい」

「私のそばを離れるな、あなたの事は必ず守る」

「はい、でも殿下もご無理はなさらないでください」


扉が大きく揺れた。

古い木材が軋む。


「裏へ」

殿下の声で、全員が一斉に動いた。


倉庫の奥には、荷物を運び出すための小さな扉があった。

ガレスが閂を外す。

潮の匂いが流れ込んできた。

外は切り立った岩場だった。

その先に細い道が続き、下には黒い海が広がっている。

「船着き場はあちらです」

ガレスが指差した。


だが、道の先にも人影が見えた。

松明が二つ、三つ。

「先回りされています」


正面の扉が破られた。

木片が飛び散り、男たちが雪崩れ込んでくる。

殿下が剣を抜いた。


「走れ!」


ガレスが先頭に立ち、細い岩道へ踏み出す。

私と殿下もその後に続いた。

背後では、追手の怒鳴り声が近づいていた。


岩道は狭く、足元は濡れている。

少しでも踏み外せば海へ落ちる。


「止まれ!」

前方からも男たちが現れ、挟まれた。

ガレスが立ち止まり、剣を構える。


「殿下。私が前を開きます」

「無茶だ」

「無茶をするためにいるのです」


追手が距離を詰め、剣が振り下ろされる。

ガレスは受け止めたが、別の男が横から切り込んだ。

殿下がその剣を弾く。

金属音が岩壁に響いた。


「ソフィー、下がれ!」


下がれる場所などなかった。

背後は崖。

前後は敵。


私は腰の短剣を抜いた。

お兄様から護身用として渡されたものだった。

一度も使ったことはない。

それでも握った。


「帳簿を渡せ!」

敵の一人が叫ぶ。


「誰の命令なの」

思わず口をついて出た。


「黙れ!」

男が剣を振り上げる。

その袖口に、銀色の刺繍が見えた。

王都警備隊の紋章だった。

帳簿から切り取られていた名。


王都警備隊。

「あなたたち、王都警備隊ね」


男の表情が変わった。

それだけで十分だった。

「警備隊の人間が、なぜ大公の私兵に混じっている」


殿下の声が低くなる。

「答える必要はない」

「ならば、王都へ戻ってから聞こう」


男たちが一斉に踏み込んでくる。

その時、海の方から、鋭い笛の音が響いた。


一度。

二度。

追手が振り返る。

暗い海の向こうに、小さな灯がいくつも見えた。

一隻ではない。


先頭の船から矢が放たれ、追手の足元に突き刺さる。

「何だ!」

「伏せろ!」

敵が混乱している。


ガレスが私たちを岩陰へ押し込んだ。

海からさらに矢が飛んでくる。

追手たちはさらに騒然となり後退していく。


「殿下!」


船上から声がした。


「こちらへ!」

殿下が目を凝らす。

「近衛騎士団だ」

「どうして……」


「陛下のご命令で出動いたしましたっ!」

「加勢せよ」

殿下は短く答えた。

近衛騎士団の船が島へ接近し、梯子がかけられる。

だが敵も立て直し始めていた。


私も梯子へ向かおうとした、その時。

背後でガレスがうめいた。

振り返ると、剣がガレスの脇腹をかすめていた。


「ガレス!」

私は駆け寄る。


「来てはいなりません!」

ガレスは剣を振るい、相手を押し返した。

だが足元が崩れた。


岩が砕け、ガレスの身体が海側へ傾く。


私は反射的に手を伸ばした。

指先がガレスの腕を掴む。


「姫、お離しください!」

ガレスが私を離そうとする。

「駄目よ!」

「ソフィー、危ないっ!!」


殿下が私の腰を抱き、後ろへ引いた。

近衛騎士も加わり数人がかりで、ガレスの身体を岩場へ戻した。


「感謝いたします……」

ガレスは荒い息を吐いた。

「しかし、ソフィー様はルイ様と同じことをなさる、私の命など」


胸が痛んだ。

「お兄様の副官だったのでしょう」

「ええ」

「なら、諦めてください」


殿下はまだ私の腰を抱えていた。

「…殿下、ありがとうございました。そろそろお離しを」


「ソフィーもう二度とこんな危ない目はやめてくれないか,失うかと思った」


殿下の心臓がドクドクとしているのが背中越しに伝わる。


「申し訳ございません、でもまたやるかもしれません」

殿下に凄い目で睨まれた。


近衛騎士団が岩場へ上がり、追手を次々と制圧していく。

王都警備隊の紋章をつけた男も捕らえられた。

殿下がその前に立つ。


「名を言え」

男は黙った。

「王都へ戻れば、身元はわかる」

それでも男は答えない。


ガレスが傷口を押さえながら近づいた。

そして、男の顔を見た瞬間、表情を変えた。

「殿下」

「知っているのか」

「王都警備隊副隊長、ディートリヒです」


私は男を見た。


副隊長。

帳簿から切り取られた名に近い位置にいた人物。

「誰の命令で来たの」


ディートリヒは口を閉ざしていた。

だが、やがて低く笑った。

「今さら帳簿一冊を持ち帰ったところで、何も変わらない」

「どういう意味だ」

殿下が問い詰める。

「王都へ戻ればわかる」


ディートリヒは私を見た。

「フォンデラ侯爵家も、もう終わりだ」

波の音が、急に大きく聞こえた。

「何をしたの」


ディートリヒは答えなかった。

ただ笑っていた。


殿下が振り返る。

「すぐに王都へ戻る」


帳簿は手に入れた。

敵も捕らえた。

それでも、勝ったとは思えなかった。


王都で、何かが始まっている。

お兄様の時と同じように。

私たちが戻るより先に。

お読みいただきありがとうございます。

更新頻度が上がりました。

6時ごろ、16時ごろです。よろしくお願いします。

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