第十七話 忘れられた島
翌朝。
殿下は私を連れ、王都の外れにある小さな屋敷を訪れた。
派手な門も、紋章もない。
控えめな屋敷だった。
扉を叩くと、中から一人の男が現れる。
三十代半ばほど。
左頬には古い傷が走り、腰には剣を下げていた。
男は殿下を見ると、すぐに片膝をついた。
「殿下」
「久しいな、ガレス」
私は男を見つめた。
「この方が……」
「ああ」
殿下は静かに頷く。
「ルイの副官だった騎士だ」
ガレスは私へ向き直った。
「ソフィー様」
私は驚いた。
「わたくしをご存じだったのですか」
「もちろんです、ルイ様は、いつも妹君のお話をされていました」
胸が熱くなる。
お兄様はいつも私のことを話していたのだ。
◇
部屋へ通されると、ガレスは一冊の古びた手帳を机へ置いた。
「これは」
殿下が尋ねる。
「ルイ様から預かったものです、亡くなる前日です。殿下へ渡そうとしましたが」
ガレスは殿下を見た。
「殿下は私に命じられました」
『今は動くな、生き残れ、その時が来るまで、誰にも見せるな』
殿下は拳を握りしめた。
「覚えている、あの時は、それしか方法がなかった」
ガレスは静かに手帳を差し出す。
「今なら、ルイ様も許してくださると思います」
殿下がゆっくり手帳を開く。
そこには日付だけが並んでいた。
そして、数ページ目で手が止まる。
「……これは」
私も覗き込む。
そこには、お兄様の整った文字でこう書かれていた。
『ボデッチェ伯爵 本邸にて密会、同席者 二名。一人はパレーラ大公、もう一人はバルガック』
「まさか、オデット様のお父様?」
私が呟くと、ガレスが静かに答えた。
「はい、王太子妃候補のオデット・ボデッチェ様の父君が」
殿下はゆっくり手帳を閉じた。
「ルイ、お前は最後まで、一人で抱え込んでいたのか」
その時、外から慌ただしい足音が聞こえた。
近衛騎士が息を切らして駆け込んでくる。
「殿下!早馬より、ベルノール港で、大公家の船が、今朝未明に出港しました!」
殿下は立ち上がる。
「間に合うか」
騎士は首を横に振った。
「いえ、ですが、船が向かった先だけは判明しております」
「どこだ」
騎士は一枚の海図を広げ、ある島を指差した。
その島の名を見た瞬間、ガレスの表情が凍りついた。
「まさか……」
「まだ、あの場所が残っていたのか」
◇
「あの島を知っているのですか」
私が尋ねると、ガレスはしばらく海図を見つめたまま動かなかった。
やがて静かに口を開く。
「知っています、ルイ様と私が、一度だけ訪れた場所です」
殿下の表情が変わる。
「報告書には載っていなかった」
「極秘任務でした」
ガレスはゆっくり頷いた。
「王家の命ではありません、ルイ様が独自に調べておられたのです」
お兄様は処刑される前から、すでに陰謀を追っていた。
「何があったのですか」
「古い倉庫です」
「海運会社の名義になっていますが、実際には荷物の出入りしかありませんでした」
「荷物?」
「木箱ばかりです」
「中身は」
ガレスは首を横に振る。
「確認できませんでした。ですが、ルイ様は帰り道でこうおっしゃいました」
『あの倉庫は荷物を隠す場所じゃない、証拠を消す場所だ。』
殿下は海図へ目を落とした。
「ベルノールから船を出した理由は、それか」
「はい」
ガレスは答える。
「王都より人目につきません、誰にも知られず、荷を運べます」
殿下は決断するように海図を畳んだ。
「島へ向かう」
近衛隊長が頷く。
「船を手配します」
◇
その夜。
港へ向かう準備が進む中、私は一人で霊廟を訪れた。
お兄様の石棺の前には、今日も白百合が咲いている。
私は静かに花を見つめた。
「お兄様」
返事はない。
「少しずつですが、近づいています。まだ何も証明できていません、でももう復讐だけではありません、私はお兄様の真実を取り戻したい」
霊廟には静かな風が吹き抜ける。
入口の方から足音が聞こえた。
振り返ると、殿下が立っていた。
「出発は夜明けだ」
私は頷く。
「はい」
殿下は石棺へ視線を向け、小さく呟く。
「ルイ、もう少しだけ待っていてくれ、今度こそ、お前との約束を果たす」
二人で霊廟をあとにする。
◇
その頃――。
忘れられた島の古い倉庫では、一つの木箱が開かれていた。
中には金貨も宝石もない。
あるのは古びた帳簿と、王家の公印が押された文書だけ。
黒衣の男は一枚を手に取り、不敵に笑う。
「王太子が来る、ならば歓迎しよう。はっ!返り討ちにしてくれよう」
蝋燭の炎が揺れ、男の影だけが壁いっぱいに大きく伸びた。
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