第十六話 港
「西へ向かっただと」
殿下の声は低かった。
「確かな情報か」
「はい」
近衛隊長が説明をするのを殿下はじっと聞いておられる。
「街道沿いの宿場で、高級なのに紋章がない馬車が目撃されていますが、車輪に大公家の紋章があったと言う者がおりました。御者は二人、護衛は六人ほど」
「向かった先は」
「西の港町、ベルノールと思われます」
殿下は地図を広げた。
北の館。
そして西の港町。
二つの場所を見比べ、静かに呟く。
「時間を稼がれたな」
私はお兄様の手紙を見つめた。
「お兄様も、このことを予想していたのでしょうか」
「いや」
殿下は首を振る。
「ルイは敵の動きではなく、敵の考え方を読んでいた」
「考え方……」
「証拠が見つかれば消す、追われれば逃げる、逃げるなら囮を置く、その繰り返しだ」
お兄様と殿下は、いつもこうして一緒に考えていたのだろう。
◇
その日の夜。
王城の会議室には、国王シャルルも姿を見せていた。
殿下は霊廟で見つかった紙片、お兄様の手紙、北の館での出来事を順に報告する。
国王は黙って聞いていた。
やがて静かに口を開く。
「ルイが命を懸けた理由は分かった。だが、まだ証拠としては弱い」
「はい」
「裁判を覆すには、公文書か証人が必要だ」
その言葉に、私はレオンを思い浮かべた。
「レオンではダメなのでしょうか」
国王は穏やかに首を振る。
「少年の証言だけでは、貴族たちは動かぬ。誰が見ても聞いても否定できない証拠がいる」
私は唇を噛んだ。
お兄様の無実は、もう目の前にある気がするのに。
まだ届かない。
◇
会議が終わり、廊下へ出る。
窓の外には雨が降り始めていた。
殿下が歩みを止める。
「ソフィー」
「はい」
「唇を噛むな、傷になる」
「……殿下、こんな時に」
「こんな時だからこそだ、あなたに傷一つ、ついてほしくない」
「……」
私は素直に頷いた。まさかそんなところを見てるなんて。
「わかってくれたならいい、西へ向かう。だが、その前に一人会わせたい人物がいる」
「どなたですか」
「ルイの部下だった騎士だ」
私は驚いて顔を上げた。
「生きているのですか?」
「ああ、ルイの死のあと、王都を離れた。一年間、沈黙を守り続けている」
「どうして今まで……」
殿下は遠くを見るような目をした。
「私が命じた。証拠が揃うまでは、決して動くなと」
殿下だけではなかった。
お兄様の願いを守り続けていた人が、まだいたのだ。
◇
その頃――。
西の港町ベルノール。
一隻の大型帆船が、静かに夜の海へ向けて出航の準備を進めていた。
船倉の奥。
黒い外套をまとった男が、一つの木箱へ視線を落とす。
「王太子が動いたそうです」
部下の報告に、男は微笑んだ。
「ノロマだな」
木箱の蓋を軽く叩く。
「これさえ処分すれば、ルイが何を残そうと同じことだ、あんな若造に国は任せられぬ」
港に霧が立ち込める。
船は音もなく岸を離れ始めた。
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