第十三話 北の館の証人
翌朝、まだ夜明け前だった。
王城の裏門には十数騎の近衛騎士が集まっていた。
誰も無駄口を叩かない。
ジュール王太子殿下は地図を広げる。
「北の館までは半日、敵が残っている可能性もある」
近衛隊長が頷く。
「包囲してから捜索します」
「いや」
殿下は首を振った。
「証拠が最優先だ、追い詰めれば燃やされる」
お兄様が命を懸けて残したものだ。
今度こそ失いたくない。
「ソフィー」
殿下が私を見る。
「危険な可能性が高い、置いて行きたいのだが」
「今更,引き下がるつもりはございません」
「……わかった、私の側から離れないように」
「……はい」
◇
王都を離れるにつれ、景色は深い森へと変わっていく。
昼近くになり、馬が足を止めた。
木々の向こうに石造りの館が姿を現す。
窓ガラスは割れ、屋根も一部崩れている。
確かに廃墟だった。
「火事の跡には見えない」
殿下が呟く。
黒く焦げた跡はほとんどない。
「近衛騎士、包囲」
騎士たちが音もなく散っていく。
やがて隊長が戻った。
「人の気配はありません」
殿下はゆっくり館へ入った。
扉は軋み、大きな音を立てる。
中は埃だらけだった。
家具には白い布がかけられ、長年使われていないように見える。
殿下は床へしゃがみ込んだ。
「見ろ」
床には新しい泥が残っていた。
雨は三日前に降った。
その泥は、まだ完全には乾いていない。
「最近、人が入ったようですね」
私が言うと、殿下は頷いた。
「しかも何人もだ」
◇
館の奥には書斎があった。
本棚は空。
机も引き出しも何も残っていない。
「遅かった……」
殿下が暖炉の前で足を止めた。
「妙だ」
暖炉には灰が残っている。
指で触れると、さらりと崩れた。
「新しい」
「誰かが最近、火を使った?」
殿下は灰の中を慎重に探る。
やがて、小さな金属片を拾い上げた。
焼け焦げて黒くなっている。
「これは……封印に使う留め具か」
近衛隊長が受け取る。
「王家の物ではありません」
「大公家でもない」
誰の物なのか。
「殿下」
別の騎士が廊下の奥から呼んだ。
「殿下、地下があります」
館の床下へ続く石階段だった。
冷たい空気が流れてくる。
殿下は迷わず足を踏み入れた。
地下室は思ったより広い。
木箱が並び、壁には棚が作られている。
しかし、中は空だった。
「……」
敵はいつも先を行く。
お兄様は命を懸けたのに。
証拠は、また消されてしまった。
その時だった。
地下室の隅で、小さな音がした。
──カタン。
全員が一斉に振り向く。
木箱の陰から、小さな人影が飛び出した。
まだ十歳くらいの少年だった。
ぼろぼろの服を着て、怯えた目でこちらを見ている。
逃げようと駆け出した瞬間、私は思わず叫んだ。
「待って!」
少年の足が止まる。
振り返ったその顔は、涙と泥で汚れていた。
そして震える声で、たった一言だけ呟いた。
「……ルイ様は、悪くありません」
「お兄様を知っているの?」
地下室に静寂が落ちた。
少年は逃げようと身を引いた。
だが、足がもつれ、その場に倒れ込む。
「大丈夫よ」
私はゆっくり近づいた。
驚かせないよう、できるだけ優しく声をかける。
「誰もあなたを傷つけない」
少年は私と殿下を交互に見た。
その目には恐怖が刻み込まれていた。
「本当……ですか」
「ええ、私のお兄様はルイよ」
私はそっと手を差し伸べる。
少年はためらいながら、冷え切った手で,私の手を掴んだ。
◇
地下室の入口まで連れて行き、水と食事を用意してもらう。
少年は夢中でパンを口へ運んだ。
何日も食べていなかったのだろう。
殿下は食べ終わるまで何も聞かなかった。
やがて少年は深く息をつき、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「名前は」
「レオンです」
「この館で働いていたのか」
少年は首を横に振る。
「お父様が働いていました。私は手伝いを……」
殿下は静かに頷く。
「父上は」
レオンは俯いた。
「殺されました、見つかったからです」
「何を」
少年の唇が震える。
「帳簿を」
地下室の空気が張り詰める。
殿下の視線が鋭くなった。
「続けてくれ」
「お父様は、大公様の命令で荷物を運んでいました」
「でも……帳簿を見てしまったんです。そこには、お金の流れが全部書いてありました。誰に渡したか、誰が受け取ったかが。お父様は、それを見てしまいました」
「その帳簿は」
レオンは首を振った。
「燃やされました。お父様の目の前で」
「でも」
少年は顔を上げる。
「お父様は全部燃やされる前に、一枚だけ抜き取りました」
殿下が一歩前へ出る。
「その一枚は」
「お父様が持って逃げました」
「どこへ隠したかわかるか」
レオンはしばらく黙っていた。
父親との約束を思い出しているようだった。
やがて、小さく口を開く。
「誰にも言うなって言われました」
少年は私を見た。
「でも、ルイ様は助けてくれたから」
「お兄様が?」
レオンは力強く頷いた。
「あの日、お父様が捕まる前、ルイ様はお父様に言ったんです」
『絶対に隠し通してほしい、いつかこの国を救う』
私は言葉を失った。
お兄様は知っていた。
自分が処刑される前から。
証拠が必要になる日を。
「その紙はどこにあるの」
「ここじゃありません。お父様が言っていました」
『もし私が帰らなかったら、いつかここにルイ様の仲間の方がきたら、白百合の咲く場所、とお伝えするように』
また白百合。
それは母の好きだった花。
私はゆっくりと殿下を見た。
殿下も同じことを考えていた。
「霊廟……」
誰よりも先に、お兄様はそこへ真実を託していたのかもしれない。
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