文明の差、年代の差、星の差
扉の隙間から耳覚えのある現代クラシック曲が漏れていた。
アコースティックに演出され、一周回ったボカロイドが歌詞を付けて歌っている。
たいこのおとがきこえるよ
みんなわいわいさわいでる
きしだんちょうがつるぎをかかげ
ふけたおうさまにちゅうせいちかう
ゆめ まぼろし
ゆめ まぼろし
「《狩人》、そこにいるのか?」
できるだけ柔らかく、大袈裟すぎない程度に心配した声で奥の住民に語りかける。
「入ってもいいか」
ゆめ まほろば
ゆめ まほろば
音楽のボリュームが下げられた。
「いーいです」
彼独特の拙い日本語。
僕は音を立てないように注意を払った。
「失礼するよ」
《狩人》は正確には名前じゃない。Legにいた頃の彼の役割だ。
藁敷きの床、丸木の弓、全身に刻まれた呪術的な文様。
自我が生まれる三才の時期から十三歳の思春期つまり去年までの十一年間、彼は《新原始人》としてlegに暮らしていた。
「ミルク必要?」
エスプレッソマシンを覗き込んでブラウンの雫が止まるのを彼は待っていた。
木彫りのカップから広がるカカオの香り。
コーヒーなんて久しぶりだな。
「いらないよ。このままで……」
「さすが大人、先生」
十四才の無邪気な笑顔を見て肩の力が抜ける。
しかし、状況を正確に把握するまでは警戒を解くことはできない。
「それで、あのメッセージを送ったのはどっち?」
僕が訊ねたのは、カップを渡そうと狩人が近づいたタイミングだった。
目が大きく開く。充血一つしていないのは、嘘を付けない彼の性格の現れのようだ。
僕は狩人の瞳に視線を送りつづけた。不規則な生活を送る僕の目はまっさらな色ではないだろう。
驚きの表情は間もなく困惑へと移行していく。
「そうか。《太宰》の方か」
彼の表情が巻き戻された。
柔らかい首をぐるんと回し、ベッドのもう一人に目を向ける。
ハードカバーの本が大きな音を立てて閉じた。
白い服が起き上がり、冷たい視線が僕を射る。
「どうして追いかけないんですか?」
太宰の一言で、僕は今回のサボタージュは彼に因るものだと理解した。
最近のコミュニケーション不足のせいかもしれない。
生徒を区別する気はないが、彼と接するのはかなり神経を使うのだ。
サボっていたのは僕の方か。
「なるほど、《ヒイチ》の話か」
「ヒイチだって? 白々しい。あんたたちがいつも呼んでいるように十四番と言えばいいじゃないですか」
本を投げ付けられ、縁から飛び出したコーヒーが床に零れる。
狩人が慌てて僕からカップを奪い、床に置いてある雑巾で表面を拭いた。
「ダ、ダザイッ。人間同士は協力しなければならないっ!」
「ふっ、ふんっ。文明を持たない猿が何を言う」
「太宰、やめろ」
「先生だってこいつと一緒さ! アップデート前の人間なんて、原始人もいい所だ」
感情を逆撫でさせる彼の差別的発言。
だが、それはいつものことだ。
いちいち、真に受けてはこの仕事は務まらない。
「……太宰、あのメッセージの意味は?」
「簡単な話ですよ。このド田舎学校からさっさとオサラバさせろ、ってことです」
「それは《ヒイチ》の件と関係がある?」
「先生、人間が法によって保護されているとするなら、法もまた人によって守られなければいけない。そうでしょう? もし法が破られ、それに対して何の罪もないのなら、もはやそれは沈んだ法です。存在しないのと同じだ」
彼の言うことはもっともだった。
「僕は曲がったことは嫌いなんです。こそこそとスタディウムを出ていくような真似はしたくない。一応、先生にもそれなりに恩義を感じていますしね」
「脱走したヒイチがお咎めなしなら、自分達もここから出る。そういうことか」
「僕だけじゃありませんよ」
狩人と目が合った。
彼は申し訳なさそうに僕から視線を外す。
「先生に迷惑かけたくない。でもオレもカマズん所戻りたいよ」
カマズとは彼の住んでいた集落の言語で《母親》という意味だそうだ。
母親と言っても直接の血縁関係にはない。Legで出会ったユーザーなのだろうが、彼にとって大切な育ての親であることに変わりはないだろう。
それは分かるが、しかしこのもやもやするこの気持ちは何だろうか。
「気持ちは分かるけれど、でも君達にはまだ早すぎるよ。まだ傷も癒えていないうちに」
「先生は何も知らないからそんな悠長なことを言ってられるんだ。今の時代に生き残るには、他人との繋がりが不可欠なんですよ。なのに今のこの状況はどうですか。《飛ぶ》どころか、校内以外の人間との接触すら禁止されている」
「常時接続は負担が大きいからね。リハビリだよ」
「進化は加速度的に進んでいるんです。このままじゃ僕達は置いていかれる一方だ……分かりますか、僕達のこの焦りが。VR嫌いの先生に」
「……そうだね。分からないと思う」
正直な気持ちだった。
仕事をする。
一九○○年代に作られた映画を見る。
寝転がる。
そんな毎日を送る僕が知っていることは多くはない。
生徒とは十歳の年の開きがあるが、これまでに体験したものの数で言えば、彼らの方が上だ。
もちろん、情報としてだけの知識はそれなりにある。生きていける程度には。
だがそのソースも、ほとんどはネットか生徒そして映画からのものだ。
「もし僕がバードになったら、羽ばたいた瞬間に打ち殺されるだろうね」
「先生、そんなことないよっ!」
狩人が大袈裟に否定してくれる。反現代的生活を送る僕を肯定してくれるかのように。
「みんな幸せになりたいだけ……大切な人と一緒に起きて、ご飯を食べて、それだけなんだ」
「……マンモスを追いかける時代の奴はお気楽でいいよ」
太宰が苦笑する。
僕は時計を見た。
「君たちの気持ちは分かった。ひとまず層圏先生に相談してみるから。勝手に出て言ったりするなよ」
「もちろん。あの人が首を縦に振るとは思えませんが、待ちますよ」
太宰は寝転がり、本を開く。
それを取り上げて僕は言った。
「それまで教室で自習だ」




