滝の中の赤い手紙
生徒達による宣戦布告を受け取ったのは、体育の授業の時だった。
「ハロッ、プログラミングしたから評価して……よしっ、扉が開いた!」
イリノイが跳ね、木製の床が振動する。
いつみても、ヘッドセットと体育着の組み合わせには違和感を覚える。別に私服でも構わないと思うのだが、これも責任者であるオゾンの考えなので仕方がない。
「うわー、今度は図形問題っ!? ハロッ、替わりにやってよ……いいじゃん。規則性を見つけるのは君の方が早いんだし」
彼女がプレイしているのは『ゼウスの迷宮』と呼ばれる学習用VRゲームだ。
こちらからは演劇の個人練習のようにしか見えないが、彼女の目に映る風景は違う。
この体育館の何万倍の広さもある迷宮の中で、彼女はAIと協力し、竜やゾンビといった怪物たちと戦っているのだ。
目的は迷宮攻略。しかしそのためには文部科学省が定めた指導要領でいう高等学校レベルの学力が必要となる。
このゲームは基礎知識を身に付けさせながら、攻略の中で実践的に活用させることで自然と学力が身に付く仕組みになっている。
ソフト化されたばかりの頃は、教育業界で主流となった優秀なツールだったが、今では「あまり面白くない」という理由で淘汰されてしまっている。
イリノイはハマっているようだが。
体育館のど真ん中で自由に走り回るイリノイに対し、オチクンは少し離れた壁際をうろうろしていた。
なかなかボールが来ないと言うことは、現在優勢なのだろう。チームにとっては良いことなのだろうが、これでは練習にならない。見ている方も退屈だ。
いや、退屈なのは彼らではなく、この仕事の方か。
授業が終わるまで、あと三十八分。
頻繁に時計を見る人生は不幸だとバードの誰かが言っていたっけ。
知るか、そんなこと。
ニッティの電源をONにする。
退屈な拘束時間を有意義にするために、スケジュールの確認をしようと思った。
しかし、開いたトップ画面のアイコンの一つが、その意思を一瞬で忘れさせる。
メールアイコンが膨張と収縮を繰り返していた。
所持者にとって重要と思われる手紙が届いた時に表示されるものだ。
僕はすぐに中を開いた。
一日百万件のメールの滝の中に、赤く光る一葉の手紙マーク。
差出人は《狩人》、僕の生徒だ。
『翼を返せ』
たった一言、そう書いてあるだけだった。
絵文字も顔文字も音声も添付されていない、抽象的な文章。
僕はすぐに電話帳をめくった。
伝わらないように伝えるのは悟って欲しいからじゃないだろうか。
それは《狩人》から僕に向けた危険信号なのかもしれない。
――――何だ、授業中だろ?
オゾンは不機嫌そうだった。
授業でVR接続をする場合、教師は常に生徒の様子を見ておかなければならない。
古くから存在する基本的な就業規則だ。
彼女の不安が増すような言い方を探さなければ。
「オゾン。また脱走するかもしれない」
「……おいおい、今度は誰だ?」
「詳しいことはまだ。でも、ひょっとすると今回は一人じゃないかも。体育館にいるんだけれど、少し抜けたい」
「だめよ。この時間にそっちへ行ける教師は一人もいない」
「体育館の二人よりも授業に来ない子の方が危ないよ」
「……分かった。私のクラスも今から体育に変更してもらう。七分待って」
安堵して通話を切る。
といってもまだ安心してはいられない。
ひとまず没入中の二人にメッセージを送っておくとして、問題はその後だ。
▽
四五年に生まれた世界最大規模のVRMMORPG、《Living from the end of glacial period.》、通称《Leg》。
ユーザー数一億限定。
国内の宣伝文句は『世界、もう一度』
原始時代からはじまるその仮想世界は、現実世界に存在するあらゆるものが全て存在する。
一言でいえば、一万年前にタイムスリップした世界を生きるゲームだ。
集落を作り、狩りを行い、風土に合った食物を栽培する。
手振りと音声を組み合わせ、グループ毎に言語を作成する。
人類史のはじまりから自分の人生を始めることができるLegは《火星に次ぐ第三の惑星を発見したに等しい》とまで称されるほど、世界中で話題になった。
ポツダム宣言を受諾してちょうど一世紀経ったその年、日本でも、百五十五万人限定の選抜キャンペーンが行われた。
そうして総人口の一・五%が新たな地球の《新原始人》となった。




