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座学の時間に何を学ぶかは基本的に本人の自由だ。
だから生徒の中には、ただ時間通りに教室に来て自分の好きなことをして寮に戻るだけのこともある。
特にスタディウムにやってきたばかりの生徒は教師に対する警戒心が強い。下手に声を掛ければ翌日から来なくなることもざらだ。実際、僕も体験した。
しかし、だからといって何の声も掛けずに放置を続けるのも問題だ。鉄は熱いうちに打て。不干渉の関係が長く続けばそれだけ生徒の傷ついた心を癒すことは難しくなる。
「今日は何をやる?」
VRへ移行する前に必ず教師と一言以上交わすこと。それが僕の作ったこの教室のルールだ。
一言も交わさずに同じ空間にいるだけなら、教師の存在に意味はない。肩書を監視係に改めるべきだ。
「関数をやります」
「先週と同じ?」
「まだ自信がなくて……」
口数の少ない彼はかつてU18のVRサッカーリーグに在籍していた。
ポジションはGK。
ロボット混合のチームに一対〇で勝ったことがあると話した彼の誇らし気な顔は印象的だった。
「バードに戻ったら、またサッカーやるんだろ?」
「はい」
「関数っているのか?」
「コーチが必要だって。ボールの軌道計算には物理学がいるから、そのための基礎として覚えろって言われました」
「どうせVR内の試合なんだから、AIに任せればいいのに」
「任せてます。でも最低限の知識を人間も持っていないと勝てないって」
「それもコーチが?」
「はい」
「……ちなみにその監督って人間?」
「ロボットです。人間のコーチより怖いです」
「……そっか。がんばれ」
がんばれ。
それは掛けるべき言葉が見付からない時に言う教師の常套句だ。
オチクンに数学が必要だとは思えないが、それはきっと自分にスポーツの知識が皆無だからだ。
喉に引っかかる思いを無理に呑み込んで、自分にそう言い聞かせる。
「オチクン……出席、と」
教壇に置いている《ニッティ》の電源を入れる。
スタディウムの教師と生徒は手持ち式の旧式携帯を支給されている。生徒は日々の授業スケジュールはをニッティで確認し、授業に来ないと解除不可のアラーム機能が鳴る設定だ。アラームを消すには教室に来るか、ニッティから理由付きの届けを教師に提出し承認を得なければならない。
十四時から七分経過しているというのに、教室にはまだ二人だけだった。
全員集まるとは最初から思っていないが、五人も足りないのは前代未聞のことだ。
《太宰》や《眠り姫》はいつものことだが、《狩人》は一体何をしているんだろう。きっかり五分遅刻してくる《ヒョッコ》もまだ来ていない。
こちらには何の連絡も寄越していないが、アラームを無視しているのだろうか。
だとしたらどんな理由で?
暖房の利いた上半身と、冷えた爪先。
僕は立ち上がり、白い窓から体育館の反対側に目を向ける。
窓を揺らすほどの度胸もない小雨。
「……サボタージュか」
スタディウム敷地内にある学生寮に明かりの付いている部屋が幾つかあった。《神童子クラス》の部屋割りまではさすがに知らない。ただあの光の一部は本来ここにいるべき者の反抗の証だろう。
《十四番》は今頃何をしているのだろう。
《十三番》を探しに行ったのだろうか。
そして、あの光の中から《十五番》目が現れてしまうのだろうか。
僕は口から水蒸気を吐いた。窓の白が濃くなった部分に指を当てる。
イリノイとオチクンは現在、仮想世界の住民だ。ここにどんな言葉を刻もうが、問題ない。彼らが現実に帰ってくるまでには消えてしまうだろう。それが物理というものだ。




