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 一秒。


 六時間分のVR映像が新たに孵化する時間。

 三万五千回の検索ボタンが押される時間。

 三つの心臓が止まる時間。


 一秒の価値はどれぐらいだろう。高いのか、安いのか? 

 寿命の量り売りをするとしたら、いくらで売れるのだろう。

 バードと僕達では値段が違うのだろうか。


 六時間三十分。

 月で二十六日、年間で二七○日。単位を変えれば一八○○時間。

 それが固定給という古いシステムにぶら下がり続けるために僕が支払っている対価だ。



 教壇に置いた椅子。嫌いだった座り心地にもすっかり慣れた。どうやら椅子の方に身体が合わせられたようだ。三十センチ背伸びした分、子どもたちから遠ざかる気がしていたのに、今ではその距離感がちょうどいいと思える。


 授業開始の十四時のチャイム。何十年も変わらないキンコンカンコン。


「うわっ、誰も来ていない」


 最初に教室に来たのは、成績上位のイリノイだった。

 十三歳でスタディウムに入学。例にもれず、ここへ来た当初は精神的にかなり不安定だった。その後、何かと手を焼いたが、この一年勉学に打ち込むうち、成績の上昇と共に落ち着きを取り戻していった。彼女自身もそれを自覚しているのか、たまに自慢ともお礼とも獲れるメッセージを僕に送ってくる。


「おはよう。イリノイ」

「こんにちは、でしょ?」


 優秀なアラーム機能、午前十時に閉まる朝のバイキング。

 寮のVR接続は午前七時から午後一時まで。

 オゾンによって寮に取り入れられたそれらのルールが見事機能し、子どもたちはみな規則正しいリズムで生活している。

 夜型人間の僕の方が訂正すべきだろう。


「こんにちは。イリノイ」

「月曜日ってみんな遅くない? っていうか何で青なの、今日」


 ブルーマンデーという冗談が浮かんだが、冷たい視線を受ける未来を予測し、呑み込む。


「気分だよ。それで今日の座学は何をする?」

「ねえ、マザーテレサ知ってる?」


 パーカーのフードを被ったのは、テレサの恰好の真似だろうか。

 今日のイリノイはやけに元気だ。


「何だよいきなり」

「見たんだよ。じ・で・ん」


 自伝、といっても彼らがそう呼んでいるのは、僕たちの言う疑似体験型RPGのことだ。

 今や当たり前となったEBL(体験型学習)だが、日本放送会が一週間前に『You are Nobunaga.』をリリースしたのがきっかけとなり、ここ最近のブームになっているらしい。


「施設に盗みに入った泥棒をね、三回も許すの。あり得なくない?」

「へえ、それはどうして?」


 答えを知っていても、知らない振りをして訊ねる。

 自分の口から説明させることは、論理的思考力を養う上でも重要だ。



《There is more hunger for love and appreciation in this world than for bread.》


 教え諭すマザーを再現した彼女の演技。十四歳とは思えない、見事なものだ。

 それは彼女の類まれなる才能の一つ。

 だが、スタディウムは社会で戦う剣を製造する場所ではない。

 その逆だ。


「で、テレサが盗みを許した理由は?」

「はっ? 分かんでしょ。だから食べ物の飢えよりも愛の飢えの方がビッグなわけ」

「彼女は泥棒に腹を立てなかった?」

「ちっとも。だって偉人だもん」

「本当にそうかな」

「だからテレサには泥棒が泥棒に見えなかったんだよ。愛に飢えた孤独なおっさん(中古)に見えたから、ムカつくっていうよりも同情して、それでホールドユー的な」

「なるほど、いい考えだね」

「ってか、テレサ知ってんの?」

「大人だからね」

「先生何歳だっけ?」

「個人情報」

「それズルくない? 私の個人情報知ってる癖に」

「もう忘れたよ」


 西織早瀬(にしおりはやせ)という彼女の本名を知ったのは、つい最近のことだ。

 もちろん、僕から訊ねたわけではない。


「えー、ひどい」

「誰であっても個人情報を簡単に人に漏らしてはいけない」

「そんなの分かってますーっ。いいじゃん。先生なんだし」

「イリノイ、そんなんだから――」


 キャッチボールが心地よくて、つい返投しそうになってしまった。


「……何ですか、説教ですか」


 警戒の色。

 良かった。彼女は勘違いしてくれたようだ。

 そのまま違う所へ飛んでいけ。


「……イリノイはマザーテレサのようになりたい?」

「は? 無理でしょ」


 僕は安心して彼女から視線を外した。

 出席簿に時間を記入する。


「それで今日は何を? 数学? 物理学?」


 教室に並ぶ六列の長机。

 一列目の窓際の席がイリノイの定位置だ。


「えー、自伝見たい。だめ?」


 鞄から取り出したヘッドセットは、箱から取り出したばかりのように何のデコレーションもされていなかった。十代の多くはイラストシールをペタペタ貼り、自己主張することが多い。

 犬のマスコットキャラクターがプリントされた大きいシールを思い出す。ここに来た当初のイリノイも例外ではなかった。


「悪くはないけれど中身による」

「アンネフランクってどう? お勧めされたんだけど」


 サイトのリコメンド機能か。

 なるほど。マザーテレサを観たユーザーなら嫌いじゃないだろう。

 勝気なイリノイの性格から考えても、アンネの不遇な人生に共感を覚えるはずだ。

 何より悪が登場するのがいい。


「いいと思うよ。ただ、最後まで体験すると憂鬱になるかもしれないけれど」

「えっ、じゃあやめとく」


 嫌悪を露わにした表情。

 しまった、と思った。

 ネガティブな要素を嫌うと知っているのに、余計な一言だった。


「大丈夫だと思うよ。逮捕される前にこっちに帰ってくれば(・・・・・・・・・・)」

「それはそれでその後が気になるから嫌だ。他のにする」


 こうなってしまっては、もう彼女を説得するのは難しい。

 だが、あきらめる前にもう一度だけ。


「……彼女が日記を書き始めたのは十三歳の誕生日。その頃、世界は第二次世界大戦の真っただ中だった」

「知ってる。日本とドイツが敵国だったんでしょ」

「そう。そしてアンネフランクはドイツ占領下のオランダにいた。ホロコーストは知ってる?」

「ホロコースト?」

「《The Holocaust》。ドイツ軍はユダヤ人を見つけては強制収容所に送り込んだ。劣悪な環境で働かせて、弱ったら毒ガス室に連れていったり」

「それってアウシュビッツ?」

「アンネが連行されたのはアウシュビッツじゃないよ。別の強制収容所」

「どっちにしろ鬱な結末でしょ」

「でも、きっとR指定で閲覧不可だよ。それに見て欲しいのはそこじゃない。世界戦争という死と隣り合わせの状況の中で生きている人がいた。そんな中、君と同じ十三歳十四歳の女の子が何を考え、何を願って生きて—―」


 二〇二十年代までの教師のように、熱っぽく教鞭を振るっていた僕だったが、その努力も虚しく、ここで水泡に帰した。

 話の途中で別の生徒が入って来たのだ。

 

「おは……こんにちは、《オチクン》」


 色落ちしたベージュのベースボールキャップ。ストライプのロングTシャツ。パジャマのようにぶかぶかのズボン。

 体格のいい彼のスタディウムにおける名前は《オチクン》。ちなみに《クン》は《君》ではないらしい。

 あくまでもスクールネームだと彼は主張しているが、周囲も僕もほとんど本名なのではないかと疑っている。

 

「早く来すぎた」


 イリノイとは反対側の席に座る。

 彼の発言はいつも独り言との区別が付かなかった。


「一応、遅刻なんだけど」

「あっ、すみません」

「まあいいや。すぐに行く……ということでイリノイ」


 彼女は暇つぶしに爪をいじっていた


「アンネはお勧めだから。よかったら見てみるといいよ」

「うん……まあ気が向いたら」


 彼女の頭をヘッドセットがすっぽり包む。

 

 これは見る気ゼロだな。

 

 

 

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