Pickaxies Inc.
「あっ、悪臭太郎が帰って来た」
部屋に帰りしな、僕は噴き出した。
「ははっ、何だよそれ。罰ゲーム?」
彼女の嫌味など気にせず僕は訊ねる。
最高級スイートの外観に似合わない、犬のマスコットキャラクターの着ぐるみ。彼女の寝間着姿なのだろう。顔以外がすっぽり覆われ、間の抜けた格好だった。
「はっ、これが罰ゲーム? ふざけるな、おし」
「ん、『おし』って?」
「《惜し犬》って名前なの。語尾が『おし』なんだよ、お・しっ!」
犬で言えば前脚に当たる両腕を大袈裟に振ってイリノイが主張する。
ふざけているのか、真面目なのか、どちらとも取れない独特のトーンが、また一段とおかしかった。
「ねえ、先生もこれ着てよ」
「嫌だよ。動きにくそうだし」
「と思うでしょ! でもそれが大きなミステイク。ベリーライト&ホットそしてクール」
「どっちだよ」
「後半のクールはカッコいいってこと!」
僕の分をデザインし始める彼女。
近付き、覗き込む。
ブラウン、ネコ耳、くるりと尻尾。
オゾンもイリノイも、僕の周りの異性はどうしてもこうも強引なのだろう。
「惜し犬のガールフレンドの《振ら猫》にするね」
「どうぞご勝手に」
イリノイを通過し、奥の窓際のベッドへ。
ぼうっとした頭を枕に埋め、大きく息を吸う。
真上には白い天井。だが、イリノイの頭上にはスクリーンがあった。目で操作して僕の頭上に移動させる。
一時停止された『マトリックス』の映像。
これも好みには合わなかったようだな。
「それもそうか」
「ホワット?」
「何でもない……それより、さっき妙な夢を見たんだ」
「何だよそれ。ナノドラッグでもやったの?」
「教師の前でそんな単語を使うな」
ナノドラッグ。
それは体内のナノマシンに大量の快楽物質を作らせる違法ドラッグだ。
セックスの一五〇〇倍気持ちいいとか、一次的にテレパシー能力が使えるようになるとか、耳を疑いたくなる話がオンライン上で流れている。副作用はないと一般的に言われているが、ならばなぜ違法なのだろう。
「じゃあどんな夢?」
「自宅のベッドで眠っていて、それを上から見てる」
「そんなの仮想なら普通じゃん。VRボディと自意識の座標位置をずらせば」
「さよならを言うんだ、自分の身体に。意識が天井をすり抜けて、二階の部屋に侵入した途端、今度はベッドで眠っている自分に意識が切り替わる。驚いてベッドから飛び起きて、そして目を覚ましたのが喫煙ルームだった」
今度は相槌もなければ、返事もなかった。
替わりに真剣にペンを走らせている。
表情は髪に隠れて見えない。
映画も夢の話も彼女を退屈させるだけのようだ。
瞬き一つで変わるチャンネル。
一時停止の映画を終了させ、検索画面に戻った。
リコメンド作品の映画情報をザッピング、ザッピング。
子ども時代に覚えた、邪念を払いのける最良の方法だ。
やがて思考力が失われ、馬鹿みたいに何も考えられなくなっていく。
「先生さ」
独り言のようにイリノイが言う。
「……どうでもいいんだけどさ、鷲の母って誰?」
特に深い意味はないと、僕に思わせたいような喋り方。
残念ながら、バレバレなんだよな。
低めのトーンがそう伝えている。
こちらから話すことでもないが、わざわざ隠す必要もないか。
僕もザッピングを継続した。
「ヒイチは僕の幼馴染のことをそう呼んでいた」
「……幼馴染?」
「今日ヒイチと一緒に会う予定だった。現れなかったけど」
「……ふうん」
「昨晩、電話があったんだ」
鞄から保護グラス入りの封筒を取り出し、イリノイに投げる。
「彼女と最後に会った時の保護グラス。自宅に送られてきたよ」
「……マジで言ってんの?」
視界が暗くなる。
枕元に立ったイリノイが差す影。
封筒を僕に見せた。
「このマーク……クロス・ピックアクシズ社のロゴだよ。何で先生がこんなもの」
「クロス・ピックアクシズ社って?」
「……これ以上は繋いだ状態じゃ危ないかも」
テロ対策特別措置法。
オンライン上の会話は全て音声データとして記録され、国家機関に保存される。
有事の場合、人工知能はそれらのデータとアクセス可能。国民の安全を守るためと言えば聞こえはいいが、アメリカ同様、政府の完全AI化が完成した昨今においては、言論の自由の喪失にも繋がっている。
噂では、テロや犯罪の実行を匂わせる発言をすると、危険分子の可能性ありとしてグレーリストに掲載されるとか。
さすがにそれは言いすぎだと思うが、注意するに越したことはない。
相手はジョークの通じない人工知能なのだから。
「イリノイ、悪いけど明日もう一日、付き合ってくれるか?」




