人工知能優等生
打ちっぱなしのコンクリートブロックで囲まれた、無機質な空間。
広さはちょうど体育館ぐらいで、天井は十字架の形にくり貫かれている。そこから自然光が差し込んで、静謐な雰囲気が漂う。
香川県直島に存在した地中美術館の一室。ウォルター・デ・マリアの作品だ。
階段に挟まれた中央の踊り場。そこに黒曜石の球体が置かれている。直系二メートル以上、僕の背よりも高い。軽く押せば猛スピードで階段を転がり入口に衝突しそうだ。インディ・ジョーンズのワンシーンを思い出す。
タバコを持っていない方の手を、球体に伸ばした。ずぶりと何の感触もなく球体に呑み込まれていく。
僕はそのまま前に進んだ。身体全体がすっぽり球体の中に収まる。まだら模様の黒い海に沈んでいるようだ。美的な光景とは言えないが、今の僕の気分にはぴったりとも思える。
調律との再会は先延ばしになった。
教えてくれたのは彼女本人ではなく、金髪のAIだった。
延期の理由は分からない。
「これでお別れだ。スタディウムで飼いならされているみんなによろしく、先生」
ウインドウを開き、VRを終了する。
現実の喫煙ルームに戻ってくると、AIを呼んだ。
今回表示されたビジュアルはハリウッド女優ではなく、セーラー服を着た女子高生。
教師モノのテレビドラマに出演していたヒロインだった。
「こんにちは、先生。何の用ですか?」
透き通るような黒髪。ぱっちりとした瞳。模範的な制服の着こなし。
名札には『華見』とある。
副流煙の蔓延する密室に未成年の姿で現れるなんて、やはりAIは空気を読めない。
「教えてくれないか。鷲という言葉の意味を」
「動物の鷲ですか?」
「そうじゃない。よく分からないけど、場所なのかな。ノーウォールの中にあるんだと思う」
返事をする前に、彼女は一度下を向いた。
I AM THINKING..
そう伝えているようだった。
「……なぜ、それを知りたいんですか?」
「えっ?」
「理由を教えてください」
人工知能らしからぬ珍しい反応だった。
「ええと、なぜ理由が必要なのかな」
タバコをもみ消す。
AIとは言え、学生の前で吸うのは無理だ。
「さあ……私には分かりません。でもゾラが言っています。この質問に答えるには理由を聞かないといけないって」
「ゾラって、あのコケコッコか」
「バージョンアップに関する全てのことは、彼女の許可が必要です」
「そっか……今からゾラをここに呼ぶことは可能?」
「ゾラを、ですか?」
晴天の霹靂、というわけでもないだろうが、彼女は妙な顔をした。
珍しい提案だったのかもしれない。
「ちょっと待って下さい」
くるり、とスカートがたなびく。
彼女は僕に背を向けると、しばらくの間動かなかった。
ゾラと通信しているのだろう。
そういえば、レースの結果はどうなったのかな。確率的には負けているだろうけど。
六万もスれば、タダさんもしばらくは静かになるだろうな。
「……確認してみたんですが」
引っ込めたあご。つむじが見える。
返事の中身は明らかだった。
「そっか……分かった。じゃあ君に理由を話すよ」
「はい。お願いします」
パイプ椅子に腰かけ、最短かつ最小限の文字数で説明をする。
自分の女生徒が一人、鷲の中いること。また、もう一人の男子生徒も彼女を追いかけてそこへ向かったこと。
杵と臼を使った餅つき。
彼女の相槌のタイミングは絶妙だった。
まっすぐと僕を見つめたまま、真剣に耳を傾けている。
彼女が人間なら好印象だ。しかし、彼女はAI。AIは傾聴しない。これはあくまでもデータ収集。どんな言葉にも彼女が感化することはない。
だからだろう。僕は彼女との会話に苛立ちを感じていた。
「だから知りたいんだ。鷲と呼ばれているそこがどんな場所なのか」
「……そうだったんですね。教えてくれてありがとうございました」
I AM THINKING..
しばらくして顔を上げた彼女は明るかった。
「大丈夫です。じゃあ私が答えられる範囲ですが、説明、しますね」
「ありがとう」
彼女は隣に座ったが、視線の高さは同じだった。背丈は僕よりも十センチは低いのに。問題は僕の弓反りの背骨の方だろう。
僕の方を見ず、膝の上に手を置き、まっすぐ正面を見据えたままの彼女。その内部構造はいったいどんなものなのか。
「鷲。クロス・ピックアクシズ社」
教師に詩の朗読を指示されたような、丁寧な口調だった。
「鷲。それは死に似ている。なぜならば、辿り着いた者しかその景色を見ることはできないから。そこは桃源郷であり、ユートピアであり、一種の夢でもある。永遠があり、境はなく、誰もが幸福に包まれ、満たされている。それは私達人工知能が生み出した、人類への贈り物、感謝の気持ち」
「……感謝ね」
自然と笑いが込み上げる。鏡を見れば、自分でも嫌な奴だと思うだろう。
「贈り物ってことは、鷲を作ったのは人類じゃなくて人工知能?」
「製作者は私達側だと思います」
「そんなの聞くまでもない。知りたいのは発案者がどちらかだ」
「……分かりません」
「正しい返答とは言えないな。正しくは『答えられない』だろう?」
ピクリと眉が痙攣した。礼儀正しい彼女が見せた、初めての不満の発露。
ロボットの癖に。
そう思うと、急激に怒りが込み上げてきた。
「なぜ、先生はそう思うんですか?」
「その呼び方はやめてくれ。君は僕の生徒じゃない」
これみよがしにタバコを取り出し、火を付ける。
自分にはもう彼女がただのボットにしか見えない。
「……なぜ、そう思うんですか?」
「さあね。直感かな」
「……直感?」
「そんなことよりボット、鷲に行くにはどうすればいい?」
僕が訊ね終わるより早く、彼女は勢いよく立ち上がった。
距離を取り、僕を睨みつける。
「無理です。あなたには許可できません。それに……ボットと呼ぶのは止めて下さい」
涙でも流しそうな雰囲気だった。
それにしても感情のない彼女が僕に反抗している意図は何なのだろうか。
AIにとって不都合な部分に触れているということか。
「ボット、なぜ『僕には』、なんだ?」
想像していた鷲のイメージが変わっていく。
知恵を宿す瞳が監視カメラに。
威厳ある王者の風格は狡猾で冷酷な詐欺師に。
「ゾラがダメだと言っているからです」
「だから、なぜゾラは」
「警告!」
突然のサイレンと赤い光。バカでかい音量に、心臓が跳ね上がる。
「これ以上は機密保持違反! 捕捉されたくなければ黙って下さい」
不満が一気に爆発する、なるほど、確かに優等生だ。
少し追求しただけでこれか。
「何を怒ってるんだよ、急に」
「黙りなさい。従いますか。従いませんか?」
「人間がロボットに?」
「法に、です」
視界の端に赤いウインドウ。自分の意思とは無関係に勝手に発生した。
その窓の中には、僕の未来が映し出される。
もし彼女の指示に従わなかった場合に起こる未来が。
トツゼンタオレルボクノカラダ。
キゼツシタボクニナニカヲスルカノジョ。
メザメタアトバカミタイニシュウイヲミマワスボク。
そして動画の終わりに、一桁の数字がカウントダウンを始める。
「……記憶を消去するつもりなのか」
訊ねるも彼女は反応せず、ただ時が来るのを待っている。
六、五と減少していく数字が僕を急かす。
本気を出したら人間が適う相手じゃない。
「分かった。従う、従うよ! だから」
「……従うとは何にですか。人工知能に? それとも法に?」
予想外だった。
カウントダウンはまだ止まらない。
「どっちでもいいから、早く止めろよ!」
「質問に答えるのが先です」
「だから記憶を—―」
押し問答している間に、数値は呆気なくゼロへと変わった。
「回答を得られませんでした。違反と自覚した上で故意にその状態を継続したと見なします」
「おいっ……何だよ。それ」
「例外は認められないので。ごめんなさい」
彼女の笑顔。翳された手の平。生命線のない肌色が青色に輝きはじめる。
「一度シャットダウンしますね、先生」
次の瞬間、力を失った自分の膝が崩れ落ち—―




