見えていても見えないもの
「……つまり、こういうこと?」
ヒイチが立ち上がる。
「僕は教師ですが、君達にどう接していいか分かりません。君達の気持ちを理解する気なんてこれっぽっちもありませーんって?」
「……ヒイチ」
「だってそうだろ。サラがいなくなった時も、お前は動かなかった。自分の生徒だったくせによ」
「確かにその通りだよ。でも、それは彼女のことがどうでもよかったからじゃない。サラは自分の意思でスタディウムを出た。個人的にはショックだけれど、でもその選択が間違っているかどうか、僕には判断ができない」
「……だからそれが無責任だって言ってんだよっ!」
「ヒイチ、ちょっと!」
「邪魔するな!」
イリノイを突き飛ばし、僕の元に向かってくるヒイチ。
襟元を掴まれ、後頭部を黒板に強打する。
だが痛みなど感じない。
「鷲に還る前、サラが何を言っていたか教えてやろうか。あいつはこう言ったよ。『愛の反対は憎悪ではなく無関心』だって。お前から教わった言葉だって。どういう意味か分かるか?」
ヒイチの問いかけに答えることができない。
僕は黙ったまま次の言葉を待った。
「……あんたに追いかけてきて欲しかったんだよ。『何をやってる。戻ってこい』ってさ、止めてもらいたかったんだ」
「……まさか」
「でもあんたは動かなかった。だから失望した。自分は愛されていないって……あいつは先生の事、本当に好きだったってのに」
「……嘘だ」
「はあ? 空男、まだそんなこと」
「嘘だっ!」
反射的にヒイチを突き飛ばしていた。
彼の言葉をこれ以上聞きたくなかった。
「だって僕はそんな」
こめかみがずきずきと疼きはじめる。
「サラに慕われるようなことは何一つしていないのに……」
「……てめえ、いい加減に」
「そんなことないっ!」
イリノイが叫んだ。僕の意識を吹き飛ばすような一言だった。
握りしめた拳が震えている。
まるでその手の中に、暴れ狂いそうな感情を必死に押し込めているかのようにも見えた。
「何もしていないって何? いっぱい教えてくれたじゃん。アンネ・フランクのこととか映画の話とかさ」
「それは……だって僕が知っているのはそれぐらいだし」
「それぐらいで何がいけないの?」
「……えっ?」
「確かにウチらのクラスはばらばらだよ。遅刻も多いし、来なくたって何も言われない。授業も適当だし……でも、私にとってはそれが救いだった」
「イリノイ、悪いけどこれは俺と空男の」
「ヒイチ、あんただって分かんでしょ? 結局さ、私たちが甘えてただけなんだよ。先生の優しさに」
「意味わかんねえし。空男は優しさなんて持っていない。俺たちのことなんか興味ないんだよ」
「マジで言ってんの?」
「……どういう意味だよ」
「いいよ、もう。とりあえずあんたは黙ってて」
「何で黙んなきゃ……おい、無視すんなよ」
ヒイチを視界から外すように、僕との距離を縮めるイリノイ。
「先生にクエスチョン。太宰が層圏先生を選んだ理由分かる?」
「選んだ理由? ……いや」
僕は首を横に振った。
「層圏先生の生徒ってね、他のクラスから見るとキラキラして見えんの」
「ああ、僕もそう思う」
「グイグイ引っ張ってくれて、『こんなことやる意味ある?』って批判する暇もないぐらい色々させられて……おせっかいっていうか」
「でも、愛情があるおせっかいだ」
「うん……だから太宰は層圏先生のクラスに憧れてた。あいつ意外と子どもだから」
「イリノイと同い年だけど」
「精神的に、だよ」
「……なるほど」
彼女に対して僕は同感だった。
太宰は大人ぶってはいるが、実際は他の生徒よりも精神的に未熟なところがある。
考えてみれば、僕にメールを送ったことだって、授業のボイコットだって、そもそもする必要なんかない。教室で直接僕に言えば済むことだ。
「ヒイチだってサラだって太宰と一緒。結局さ、みんな先生の優しさに甘えてるだけ。スタディウムを離れたのだって、結局、追いかけて欲しかったからなんでしょ? そりゃ追いかけなかった先生もちょっとどうかなって思うけど、でもだからって先生を責めるのはちょっと違うと思うんだけど。ねえ、ヒイチ」
「……マジ口悪い女だな」
「何それ。意味不明」
目を細めて、ヒイチ睨む十四歳の少女。
驚きを禁じ得ない、という言葉が今の僕を指す最も適当な言葉だと思う。
俗な表現に言い換えれば「何だこいつは」だ。
わがままで、自己主張が激しくて、感情がすぐに顔に出てしまう。
怒られることを極端に嫌がり、層圏オゾンが苦手で、どちらかというと僕を慕ってくれている。
その程度にしか、彼女を理解していなかった。
つまり、僕は彼女を見くびっていたのだ。
いや、見くびっていたのは彼女だけではない。ヒイチのことも、太宰のことも、十才のサラのことも同様だった。
スタディウムを出て行ったのは自分の意思だなんて、見当違いもいい所だ。もはや教師と名乗ることすら恥ずかしい。いっそ、ゾラに頼んで脳を拡張してもらいたいぐらいだ。
何が脱人間、バージョン2.0だ。
青い瞳になって見えないものが見えるようになっても、見えている生徒のことが理解できないのなら、何の意味もないじゃないか。




