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ノ―ウォール

 

 

 イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地がエルサレムなら、バージョン2.0に進化したバードにとってのノーウォールはそれに当たる。


 世界六ケ所に建てられた、流離う者たちの巡礼の地。

 訪れた者のみがその意味を知るという第二次シンギュラリティ。

 そこではあらゆる壁が失われ、全てが一つになるという。


「この辺りでいいか」


 《浮世》からほど近い位置にあるドーム型の建物。

 その一〇〇メートル前にある正門前のロータリーで、僕たちはタクシーを降りた。

 正面口へ続く大通りには、絶え間なく人が行き来している。

 

「こりゃ凄い光景だな」

「そうだね」

「最後に来たのは一年前?」

「まあね」


 イリノイが眉をひそめる。

 タクシーに乗る前よりも口数が少なくなっていた。

 まあそれもそうか。

 スタディウムの生徒達にとってここは気持ちのいい場所ではない。

 ここで彼女たちは撃ち落とされ、傷ついたのだから。


「午後一時過ぎか。急ぐ必要はないな。流れに乗ってのんびり歩こう」

「うん」


 通行人に混じって、ドームの入り口へと進む。


 そこは新宿の入り口で見た裸眼の風景(・・・・・)とはまた別の異様さだった。


 腕が六本ある修行僧。

 昭和後期の歌姫と腕を組んで歩く肥満気味の中年。

 ベンチの少年達が小さな飛竜を飛ばしながら、その光景を撮影している。実際はドローンなのだろう。

 そういう風に見えるのも、バージョンアップで得たこの青い瞳のせいだ。

 お陰で人間とロボットとホロ(ホログラフィ)の区別が全くつかない。


「退屈そうならお喋りでもする?」


 無言で歩いている僕の横に、さっきのジョディ・フォスターが現れた。

 即座に手を振って拒否する。


「つれないわね。まあいいわ。また会いましょう」


 彼女は消えたが、その時、ふと自分の生徒たちのことを思い出した。

 おそらく授業中だろうが、彼らと連絡を取ってみようか。

 相手は誰がいいだろう。一番気になるのは……


 コールする。

 呼び出し音が脳に直接届いてきた。頭が変になりそうだ。


「太宰様は出られません。現在授業中です」


 なるほど。それならばと今度はニッティでオゾンに連絡をした。

 こちらの方が確実だ。


「……どうかした?」


 三コール以内に彼女は応答した。さすがだ。


「太宰、そこにいる?」


 質問に答えるまでに少し間があった。


「いるよ、一応」

「一応って?」

「さっき貧血で倒れたところ。替わろうか?」

「……問題ないなら」


 しばらくして、チャットモードに切り替わった。

 ニッティの液晶画面に、タオルを目に当てた太宰の姿が映る。

 体育館の床に倒れているのをオゾンが真上から撮影しているようだ。


「太宰、大丈夫か」

「……先生か」


 タオルを少しめくってニッティ越しに僕を見る。

 顔が真っ白だった。


「そこは……ノーウォール」


 僕が頷く。

 太宰の目が大きく見開かれる。


「先生、その目」

「ああ。これで君たちと同じだ」

「……何が同じだ。そっちはノーウォールで飛び放題、一方でこっちは物理的な身体で球をカゴに入れるだけの下らない競技を延々と」

「何を言ってるの。自分で選んだんでしょ?」


 画面の外側からオゾンが口を挟んできた。

 僕も彼女側に付く。


「そうだよ、太宰。オゾンのクラスを選んだらどうなるかなんて百も承知じゃないか。どうしてわざわざ」

「……別に、いいじゃないですか」


 太宰が顔を横に向ける。

 タオルがずれて横に落ちた。

 どうやら理由を言いたくないようだ。


「そんなことよりヒイチを本当に連れ戻せるんでしょうね?」

「別に無理やり連れ戻す気はないよ。まずはお互いに腹を割って話をしたい」

「……今までできなかったあなたがですか?」


 その言葉に不思議とショックは感じなかった。

 むしろ、彼の僕に対する気持ちが分かった気がしてうれしいとすら思う。

 この変化もバージョンアップの効果なのだろうか。

 どうせなら、そうであってほしくはない。


「そうだね。僕はこれまでみんなと一線を引いていたのかもしれない」


 帰ったら教壇など取り除いてしまおう。


「今まではそれでいいと思っていたけれど、どうやら違ったみたいだ。傷つけるのを恐れていたようで、本当は自分が傷つくのを恐れていたんだと思う」

「先生、」


 太宰がぶっきら棒につぶやいた。


「僕がどうして太宰の名を選んだのか。分かりますか?」

「太宰治を尊敬しているから?」

「三割は正解ですが、七割は間違いです。僕は太宰の作品を愛している。だけれど、彼の生き方を尊敬している訳じゃない」

「……まあ、その方がいいよ」


 自分の生徒が自殺願望を持っているなんてたまったもんじゃない。


「僕は全ての面において彼を超えたいと思っています。作品だけではなく生き様も。それが太宰の血を引く僕の義務です」

「太宰の血……キミが?」


 まさか本当に血縁者だったとは思わなかった。


「笑うでしょう? この時代に血の繋がりを重要視するなんて古い価値観だ」

「確かに、そう考える人が大半かもしれないね。でも僕は違う」


 太宰の懐疑的な性格は先祖の血なのかもしれない。

 そう考えると、彼のこれまでの毒舌も納得がいく。


「……偽善者ぶって」

「君が何と言おうが構わないよ。《Du lebst dein Leben(あなたはあなたのために生きる)》だからね」

「……せいぜい頑張って下さい。ただし、ヒイチを逃がすのなら僕達にも考えがあります」

「それならそれで構わない。だがその前に、先生とちゃんと話をしよう。こそこそとスタディウムを出ていく真似はしたくないんだろ?」

「……分かってますよ」


 ここでカメラが移動し、今度はオゾンのアップになった。

 しかし、何を言う訳でもなく、画面越しの僕を見てにこやかな微笑を向けている。


「……オゾン?」

「黒の火曜日(ブラックチューズデイ)って知ってる?」


 なぞなぞを出すようないたずらっぽい笑顔だった。


「一九二〇年代に起こった第二次株価大暴落のこと?」

「その服を見て心配だったけれど、良かった。どうやら君は持ち直したみたいだね」

「だといいけれど」

「じゃないと自分から生徒に連絡なんてしなかったよ。ひょっとして、それもバージョンアップの副産物なのかしら」

「さあね」

 

 終わりのジョークは、少しダサいくらいに格好付けても構わない。

 ただ照れくさいので、カメラからは顔を外して。

 

「色はいつも気分次第だから」

 

 

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