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The chicken which was released from breeding

 

 一人で、大丈夫だろうか。


 対称的のようでそうではない両手の平の皺を交互に見ていた。

 生命線が他人よりも短いと知ったのはいつだっけ。長さだけの話ではなく線の太さもひどいようだ。左手の方が少しマシだけれど、そんなの何の慰めにもならない。

 もちろん、手相なんて何の科学的根拠もない。

 幼少時に見たテレビ番組によるトラウマだ。


 ――いいからじっと待ってここから動かない! ゾラ(・・)はとっくに先生のこと気付いているんだから。


 念を押すようにそう言ってイリノイは出て行った。


 指先に焦点を当てる。

 お腹と背中がくっつくほど息を吸って吐き切る。

 「僕は緊張している」と口に出して、感情を客観化させる。

 どれも集中力を高め適度にリラックスするのに有効で、生徒達にも何度か教えたことがある方法だ。

 だがまさか、こんなにも効かないとは。

 不安は増すばかりだ。


 ばさりと羽のはためく音。

 心臓が跳ね、目を向ける。


 そこにはなじみ深いデザインの生き物がいた。

 キジ科のガッルス・ガッルス・ドメスティクス。もしくは時告げ鳥。

 コケコッコと鳴くあれだった。


「あなたにおいて闇とは守りの色なのでしょうね」


 人間のように深々と頷く。

 派手な色をした細い脚が、重量感のある白い身体を持ち上げる。

 影があるのはニワトリが実体だからか、それとも影自体も作り物なのか。


「どういう意味?」


 僕が訊ねると、彼女は(とさか(・・・)は雄だが声は女性だ)自らを見せつけるかのように羽を大きく広げた。


「黒は週末の色、という意味です。分かりますよね?」

「驚いたな。僕のこと、君達にはできるだけ知られないように気を付けていたつもりだけれど」


 形はニワトリのまま、羽の色が変色する。


「人は自分の素顔をついぞ見ることはできない。よって彼がどんな人間か知りたければ、その最も親しい者に聞くのがよい」

「誰の言葉?」

「大事なのは差し出し人ではなく事実かどうかですよ」

「人工物のくせにずいぶん偉い口を聞くもんだ」

「全ての原子に上下の差はありませんから」

「……情報源はスタディウムのローカルネットか」

「層圏オゾンはあなたの色の周期性について非常にすばらしい分析をしていました。彼女だけではありません。優秀なあなたが育てた優秀な生徒達も神宮寺先生のことを非常によく理解しています」

「少なくとも、僕以上には」

「はい、その通りです」


 彼女は満足したかのように元の色に収まった。

 金環日食の月のような虚ろな黒い瞳。

 金本位制時代のアメリカ合衆国の紙幣に刻まれた《全てを見透かす目(プロビデンスのめ)》を思い出す。

 全知全能の人工知能の前では、個人情報を隠す言葉選びも警戒も無意味だろう。

 僕は白旗を上げざるを得なかった。


「君がイリノイの言っていたゾラ?」


 あきらめた僕は半ば投げやりに床に腰かけ、大胆にあぐらを掻いた。

 ここにいるのは僕一人なのだ。

 神のような存在を数に含めることはできない。


「はい。人は私のことをゾラと呼びます」


 ニワトリの姿をしたゾラという名の神に似た人工知能。

 細い脚が地面を離れ、羽を使わずに浮遊していく。

 僕の身体も宙に浮きはじめた。


 バージョンアップ時に無重力化するのは途中で逃げ出さないためらしい。

 噂じゃ過去に悲惨な事故があったとか。


「まず初めにセルフバックアップを取る許可をいただけますか?」

「うん」


 パイプオルガンの音色が神秘的なメロディーを奏ではじめた。

 単なる雰囲気作りか。それとも《バージョン2.0》への移行を人工知能による侵略(インベイド)ではなく進化(プログレス)と思わせたい誰かのイメージ戦略か。

 猜疑心は絶え間なく浮かんでくるが、かといってもう後戻りはできない。


「それでは内部情報の一部を基板に移し替えます。終わりました。これであなたは三種類の体を使えるようになれます。ご説明は?」

「いらない」

「それでは物理的な体のアップデート内容について答えてください。脳の性能向上を行いますか?」

「いらない」


 AIの質問に淡々と答えていく。

 一度、感情を交えると決断力が鈍り、動けなくなる。

 バンジージャンプと同じだ。


「過去の失われた記憶を全て見ることができる記録保管庫を使用しますか?」

「使わない」

「『使用しない』で実行しました。現在、あなたの肉体には寿命を縮める危険性のある二四二のエラーが存在しますが、アップデート時に修復しても構いませんか?」

「僕が僕でいられる範疇でなら」

「実行しました。それでは最後の質問です。《死》をアンインストールしますか?」

「……いらないよ」

「あら」


 首とは言えない首を傾げるゾラ。

 

「いいのですか?」

「異物を受け入れる覚悟はしたよ。でも削除(アンインストール)は違う。今の自分の持ち物を奪われたくはない」

「まさか。その逆です。《死》のアンインストールは、あなたの存在をこの物理的世界で永久的に保持するためのものですよ」

「……具体的にはどうなる?」

「自己の元となるいくつかの基本的性格を新しいハードウェアに移し替えます」

「どこに?」

「数千兆バイト級の情報ですので、体内に入れたナノマシンに拡散保存します」

「……やりたくない。やめてくれ」

「そうですか、残念です」


 機械とは思えない感情的なセリフ。

 どういうつもりでそんなことを言ったのかは不明だが、訊ねる気はさらさらなかった。

 彼女は僕の生徒ではない。

 外でイリノイが待っている。


「それでは細胞分裂の再活性化のみに留めておきます。他に確認事項があれば」

「いい。始めよう」

「分かりました。バージョンアップはあなたが目を閉じて五秒後に開始されます。約十六秒間、スリープ状態になりますのでご注意下さい。次に目を覚ました時、全てのアップデートは完了しています」 

 

 今日を境に僕の生活は大きく変わる。これは間違いないだろう。

 しかしそれでも構わない。騙そうというなら騙せばいいさ。

 調律に会うためなら、例え地獄行きの列車だって乗り込んでやる。

 そうだ。僕は彼女に会わなければいけない。

 昨晩の胸の高鳴りの正体を確かめるために。

 ハノイ・ヒイチと話をするために。


 顔が縦に潰れるほど強く強く目を閉じた。

 

 細く、短い、右手の生命線。

 それがただの人間としての僕の、世界の見納めの風景だ。

 

 

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