新宿へ
保護グラス。
カプセル型個人タクシー。
新宿へ。
……と言いたいところだが、物事はそんなに単純には運んではくれないようだ。
年を重ねると、何をするにも余計なものが付いてくる。
「振り分けは終わったよ」
「みんな、どこに?」
「ヒョッコと眠り姫は桃木クラス」
予想通りだ。
「狩人は村上」
「オチクンは君のクラス希望だろう?」
「ええ、あと非肉屋の文学少年もね」
僕はコーヒーを噴き出しそうになった。
運動嫌いの太宰がオゾンのクラスを希望するなんて信じられない。
「誤ってタップしたんじゃ……」
「直接彼が私に言ったの。何か問題でも?」
「……いや別に」
「なら安心して私に任せて」
ディスプレイ内のオゾンがにやりと笑う。
ひ弱な子どもを心身ともに逞しい人間に鍛え上げるのは彼女の得意分野だ。
やりがいのあるサンプルに出会えて、彼女も腕が鳴るのだろう。まんざら嫌そうでもない様子だった。
しかし、太宰にとっては笑えない日々になるだろうが。
「途中でクラス変更を希望したら受けてやってくれないか」
「いいよ。三週間経ってもまだ希望するなら、ね」
何事も三週間継続すると習慣に変わるというのが教育界の常識だ。
だから教師によっては、最初のうちは本人が嫌がっても強引にやらせる、という指導をすることが少なくない。
《鉄は熱いうちに》に続く、《継続は力なり》というやつだ。
「三週間もいらないよ。明日には戻るから……それに習慣化だけではどうにもならないこともあると思う」
「大丈夫よ。彼には言葉が伝わるもの」
「いくらかは、だけどね」
「……今回のこと、私はチャンスだと思っているよ。あなたにとっても。あなたのクラスにとっても」
「……言われなくても僕もそう思ってる」
長らく停滞していたものが動きはじめていた。
まっさらな白い球体にヒビが入るように。
それを思えば、僕がこれまで生徒にしてきたのはそんな、親鳥が卵を温めるような行為のようにも思える。
直接は何もしないが、繊細な彼らを外敵から守り、じっとそばにいる。
「別に空男のやり方が間違っているとは思わないよ」
僕は小さく頷いた。
そうだ。間違ったことはしていない。
問題はいつまでも生徒達への対応を変えなかったことにあるのだろう。
生徒自身がキックを始めた時は、もう包んでやる必要はないのだ。
過保護だったのかな。
「……オゾンのやり方って、雛鳥を一人前の鷲にするやり方だよね」
「ん? それ以外に大人の役割があるのか」
キョトンとした目で僕を見るオゾン。
そう言われると、ぱっとは思いつかない。
かといって全くないとも言い切れないのだけれど。
「……ない、かもね」
僕が言うと、オゾンは何も言わずただ微笑んだ。
画面にかざした、白い手の平のアップ。
彼女との通信はこれで終了した。
車内備え付けのヘッドセットを脱いで、大きく息を吐く。
「行け行けゴーゴー」
助手席(これも死語か)のイリノイがパンチを繰り返している。
一年ぶりの外出に興奮しているようだ。
「まさかイリノイを連れていくハメになるとは」
「うわっ、最低だね。悪いのは先生なのに」
「悪いって言うな」
「今時、《ノーナノ》なんて先生ぐらいだよ。東京に着いたらちゃんと入れないとノーウォールの中に入れないよ?」
「分かってるよ」
缶コーヒーを置いた。シートを倒し、目を閉じる。
心地よい疲れが電流のように全身に帯びていた。
横に生徒がいなければすぐにでも眠れそうだ。
「でもこれじゃ、まるで《レオンとマチルダ》だな」
「何?」
「古い映画」
最後に見たの、いつだっけな。
「雇われの殺し屋と家族を殺された少女が奇妙な偶然で出会って、行動を共にする話」
「先生って殺し屋なの?」
「まさか。人を傷つけるような度胸は残念ながら僕にはない」
物理的には。
「そのマチルダは何歳?」
「十二歳ぐらいだったと思うけど」
「なーんだ、ガキじゃん」
薄目を開け、斜め後ろからイリノイを眺める。
「でも年齢よりずっと大人びていたよ」
「……皮肉かよ」
パンチの向きがさっきと変わり、無防備な脇腹をえぐる。
本気で殴られたわけではないが、冗談というほど軽くもなかった。
「痛いな。マチルダはこういうことはしないぞ」
「ふんっ、で二人はどうなったの?」
「マチルダは学校に戻る。寄宿舎に形見の観葉植物を置いて、普通の生活をはじめるんだ」
「死んだってこと?」
僕は何と答えていいか分からず、シートを起こす。
大きな瞳がまっすぐとこちらを覗き込んでいた。
長いまつげ。小さな肩。膨らんでいない鞄は足元に。
視線をどこに向けても、その瞳は僕から離れてはくれなかった。
彼女の視線に耐えかねた僕は、運転をマニュアルモードに切り替える。
手の届く位置にハンドルが現れ、正面の壁が全透明化していく。
もくろみ通り、イリノイの瞳が外の風景に興味を移した。
僕はほっとして、そしてゆっくりとアクセルを踏む。
ドライブ好きの胸を高鳴らせるエンジン音。
もちろん、動作音ではない。コンピュータで生み出したものなのだが。
「……マチルダはレオンに救われたのかな」
前を見据えたまま、イリノイが言った。
「救われたのはレオンの方さ。マチルダに会わなければ、彼は殺人プログラムをインストールされたアンドロイドと一緒だった」
「……でもレオンは人間でしょ。だったら死んだらだめだよ」
物憂げな声に視線が吸い寄せられる。
一瞬、自分に言われているのかと思った。
しかし、どうやらそうではなかったらしく、彼女は先ほどと変わらず、流れていく風景を無表情に眺めている。
子どもにアンニュイな空気は早すぎる。
どうせ、大人になれば嫌というほど吸うことになるのだ。
「大丈夫。本当は死んではいないよ」
できるだけ明るい声が出るように意識した。
「えっ?」
「カット!」
そう言って、僕は両手を強く叩く。
軽快な破裂音が狭い車内に響いた。
「これでどんな死人も笑顔で生き返る。魔法の言葉だ」
「……何言ってんだか」
顔を背け、刺々しくつぶやく。
しかし、その針を受けた甲斐もあって、沈んでいた空気は柔らかくなった。
「先生って本当に馬鹿だよね」
「ありがとう。『Stay foolish』はイノベーターにとっては最高の誉め言葉だ」
「神宮寺空男はティーチャーでしょ」
「……確かに」
「ふふん」
自慢気に鼻を鳴らす。
「ねえ、運転って楽しい?」
「いい時間つぶしにはなる」
「さりげなくひどいこと言ったね」
「……そういう意味じゃない。イリノイは面白いやつだよ」
「何だよー、子ども扱いすんなー」
「イリノイが構わないなら、ハンドルを映画に変えてもいいけれど」
「えっ、そっちの方がいい。でもレオン以外ね」
「僕も同意見」
ハンドルを片付け、スクリーンモードに切り替えて、映画検索を開始する。
せっかく取り戻した和やかな雰囲気を再び沈めたくはない。
「テンションの高いアクション映画にしよう。検索ワードは……」
「二人、車、逃げ出すっ!」
イリノイの声を認識したAIが、検索結果一覧を表示する。
表示された映画は八百本以上あった。
それはいいのだが。
「……おいおい」
最上列の題名を見て、僕は呆れかえってしまった。
AIが僕達より優秀だというのは否定しないが、たまに僕でもしないとんでもない愚行をおかす時がある。
「十四才の少女に対するリコメンドが『ワイルド・アット・ハート』って。それはないよ」
「何、ダメなの? これ」
「ダメも何もない。R指定だ」
しかもとびっきりの。
「ちぇっ。じゃあ、ユアリコメンド出してよ」
「うん、そっちの方がいい……そうだな」
僕は少し考えて、検索ワードに直接映画タイトルを記入した。
それを見たイリノイの目が更に拡大する。
「いや、これはないでしょ!」
「えっ、どうして?」
「だって『行列』って数学だよね。こんな時に勉強とか超やる気ナッシングなんですけど」
「違うよ。これは数学じゃなくてSFアクション。ちなみにシリーズでスリーまであるんだ」
「スリーッ!? マジ無理マジ無理。トゥーメニートゥーメニー」
「大丈夫。日本の大河ドラマよりはマシだって」
拒絶反応を起こしている彼女を無視してさっさと再生ボタンを押す。
強引な手に出たのは別に教育方針を改めたわけじゃない。完全に僕の都合によるものだ。
三本立ての映画なら、彼女を六時間以上拘束できる。
それだけの時間があれば、今日の午後は自由に動けるはずだ。
「それに半世紀前の人々が描いた未来を見るのは面白いよ」
「はいはい分かりました。仕方ない、これで許してあげよう。でも一つだけリクエスト」
「リクエスト? 何?」
「ポップコーン食べながら映画見るの一度やってみたかったんだ。先生、パシられてよ」
申し訳なさそうな表情など微塵も感じさせない、その顔。
色々と言いたいことはあるが、変に話がこじれて映画を見るのを拒否されるわけにもいかない。
だからここは、ぐっと我慢しよう。
いや、一つだけに留めておこう。
「イリノイ」
僕は教師の顔で言った。
「リクエストの使い方を完全に間違っている」
アンニュイが戻って来た。




