Buddenbrooks 7
お待たせしましたぁ!(謝罪)
久しぶりに、アイスバインが食べたい。私はこの泡沫の世界で、薄いガラスの膜の向こうでそう思っていた。
「何かおいしいもの、食べたいなぁ」
ここでの食事は、家畜の餌みたいにワンパターンだった。質素で栄養価は低そうで、このまま衰え死んでしまうのではないかと漠然に思ったものだ。
「本当よね。外に出たい」
そう答える少女の声もまた、栄養不足のためかしわがれていた。でもそれを確認する術を、私達は互いに持っていない。私達三人はそれぞれ、別の窂に隔離されていたからだった。たかだか十センチもないだろう壁が、私達を隔絶し続ける。そしてそれは、まだ今も終わっていない。
「でもこれが一番安全だって、先生達言ってたよ?」
もう一つ、声が加わる。これもまた、やつれしわがれた少女のもの。彼女はどこか鼻に抜けるような発音で言った。
「あなたねぇ、あの大人達の言うこと間に受けてんの」
強い語調。
「だって先生達は、私達を助けてくれたんだよ」
「こんな地下牢で別々に監禁して、それを助けただなんて。本気で言ってるんだったら笑い通り越して呆れちゃうわ」
「でも先生達にも何か考えがあって…」
「でもでもだってって。あなたは何を考えてるの!?」
遮って言葉を続けた。
「ええ大人達にも考えはあるでしょうよ。でもそんなの、どうせロクなものじゃないわ。わかる? 私達には余裕がないの。何もされてないからまだいいだけ。死んでないからまだマシなだけ。でもいずれあいつらは行動を起こすわ。それまでにここから逃げなくちゃ」
その迫力に気圧されて、私も彼女も声を出すことすら出来なかった。ただ最後に、私はどうしても生き残りたいのと呟く声だけが耳に響いていた。
それから、確か。
あの子はいつの日か抜け出した。でもそれは、大人達によるもので。
あと覚えているのは。
彼女の、悲鳴。
「起きて。ハクア、起きてハクア」
私は。いいやここは、あの夢は。彼女は。そして何だ、この得体の知れぬ喪失感は。ヴェーラの声ではないけれど、何となく聞き覚えのあるような、ちょっと掠れた可憐な声に、私は寝ぼけ眼で身体を起こす。その声の持ち主は、どうも私の横にいるらしい。
「大丈夫?」
私の耳元で、優しい声音で語りかけてくれる。
「ええ、でも」
「でも、どうしたの? 痛いとこある?」
「いえその、そうじゃなくて」
身体がないわ。
一面真っ白な、どこまでも続く地平。そこに私は、一人でいた。私ははたして、透明人間と共にいるのだろうか。しかしそれを質問できる勇気を、私は持ち合わせてはいない。
「どうしたの?」
ぐい、と顔を覗き込まれるような感覚に、私は上半身を仰け反らせる。
「ねえもしかして」
顔無し少女がそう言ったかと思うと、不意に私の身体は地面に押し付けられていた。短く声が漏れる。その地面はまるで石畳のように硬く、しかし踏み荒らされた花畑のような儚さを備えていた。
「私のこと、見えないの?」
姿の見えない彼女に掴まれていて、視線の先に鬱血した私の手首があった。不思議と痛くはなかった。ただ、真綿で首を絞められるような、言い知れぬ心地の良い圧迫感に身を委ねてしまいたかった。
ねえ、答えてよ。そして透明な少女が引きずり出してきた嘆きには、涙が伴っていた。それだけが、私にははっきりと見える。いずれそれは、私の頬に零れ落ちてくる。
嗚咽が聞こえた。私は彼女の何なのか。彼女は、私の何なのか。聞き慣れたその子供のような泣き声は、突如として私に忘れられた過去を想起させる。まだ思い出せないけれど。まだそれは欠片だけれど。でもそれは、確信だった。
「あなたのこと、助けてあげるなんて言えない。だってこれは、私が助けられたくてすることだから」
彼女は私の象徴か、それとも本当の彼女なのか。よぎったそんな疑問も、すぐに泡沫のように消え去った。パリンと硝子の砕ける音が響いて、この泡沫の世界は色を取り戻す。私を押さえつける彼女の腕は、しかし羽のように軽かった。私はそれを力任せに押し戻し、そして抱き締めた。
いつの間にか、鐘の音が鳴り響いている。反射した十字形の光を瞳に据えた。
「取り戻そう。私達を」




