Buddenbrooks 8
私は一人、街を歩いていた。人通りこそ多くはないが、過去の爪痕は癒え始め、復興の灯が点っていた。行き交う人々の顔もまた、希望に満ちているように思える。そんな美しい風景の中で、一つ違和感を覚えざるを得ないことがあった。街で最も高い建築物である教会の鐘楼。それが鳴り止まないのだ。ちょうど十二時に鳴ったのを聞いた以来だったが、それはこんなに長い間続くものではなかった。おかしい。これは何らかの警鐘なのではないか。ふとそんな考えが浮かんだと思えば、頭の奥底にこびり付いて離れなくなっていた。二人の少女の顔が思い出される。勿論彼女らがそこにいるとわかっているわけではない。しかしそれは、私を強く教会の方へと誘った。
だんだんと歩速を速め辿り着いた聖マリエン教会の扉は、驚いた事に、番を失いだらしなくその口を開けていた。石畳を蹴り飛ばして私はその中に入る。そして絶句した。粉砕された石材や木材が、むしろそれを装飾しており、風化し朽ちたような印象を与える。それだけでも悲惨さに余りある光景。しかしその中心に佇む少女が、そこに退廃的な美しさを付与していた。黒装束を纏った少女は、その背後に二枚の帯状の翼を生やしており、それ自体が生きているかの様に胎動しながら、周囲のものを削り取っていた。その情景に、およそ自我や意思というものは感じられない。残酷さと隣り合わせのそれに、目が離せなくなる。しかし何よりの悲痛は、そのヴェーラに剣の切っ先を向けた友人の姿だった。
「スバル」
呼びかける声は、すぐ横からした。ハクアは剣の柄を握り直し、真っ直ぐに彼女の友人を見据えていた。
「あのさ」
「何が起こって…」
その言葉はすぐに咎められる。
「勝手で悪いんだけど、私を信じて」
そして私の理解を待たないまま、彼女は駆け出す。カチリと鳴る音は、ハクアが剣を握り直した音だろうか。剣が石畳を擦り、火花を散らして空気を震わせる。対して二条の帯は、その所有者目掛けて横に払った。それを剣で受け止め、ハクアはヴェーラとの距離を一気に詰める。帯の威力を殺す為に己の身を回転させ、とうとう懐へ入った。剣を逆手に持ち、その柄をヴェーラの腹部にめり込ませた。身体が僅かに浮き上がり、苦しそうに息を吐き出した。その純粋な苦痛を浮かべた顔が、嫌に脳裏にこびり付いた。ハクアはそこから一度間合いを離すと、大きく振りかぶる。その裂帛は、目的のために己の犠牲を厭わない、勇者のものだった。その二条の帯は立て直しもままならないまま、身震いでもするかの様に一度波打ち、そして根元から切断される。それは一瞬宙を漂ったかと思うと、光の粒となって空に溶けていった。どさり。それに続くかのようにヴェーラは意識を失い、力の抜けた身体をハクアが抱きかかえた。親友を抱いた彼女の姿が、とても愛おしく、そして何故だか儚いものに見えた。
「ごめんね、一人にして。これからは、一緒、だから」
ハクアは愛おしそうにヴェーラに頬ずりをし、そしてその耳元で何か囁いた。その目から涙を零しているのが、遠目からでもわかった。
「スバル」
彼女はこちらに顔を向け、涙を溜めたその顔を臆さず見せて言った。
「ありがとう、待っててくれて。私のこと、信じてくれて」
「…ああ」
何と言っていいか分からなかった。何と言っていいのか分からなかったから、ゆっくりと彼女に近づいて、そして優しく抱擁した。
「よく、頑張ったね」
彼女は私の胸に顔を埋め、言葉にならない声で何か言っている。
私の顔に突っかかってくる三角帽子が、薔薇の棘に見えた。もしくは、彼女の心の声。
私は、何を言っていたのだろう。頑張るべきは、自分の方じゃないか。沸き上がる焦燥を静かに押し殺すように、彼女の身体をより強く抱き寄せた。




