疲れた。
飼い猫が死んだのはわたしが施設に入って二週間経ったころだった。
施設では当然猫なんて飼えなかったのでわたしは『あの人』と空き地でお世話をしていた。でも近所の子どもたちが面白がって変なものを食べさせたりいじめたりしていたらしく、わたしがその事実に気づいた頃には猫は冷たくなっていた。
可哀想だったし悲しかったけれどわたしは死体を箱に入れて埋める時も結局また、泣くことができなかった。両親と祖父が他界したとき同様に。
―なんで箱に猫を入れるの。
『あの人』に問われた。
そのときの『あの人』の声も口調も思い出せないけど確かにそんなことを訊かれた。
「だって母さんも父さんもおじいちゃんも箱に入っていた。死んだら箱に入るんだろう?」
こう答えた時のわたしが言いたかった箱とは棺のことだ。
猫を埋めたあと『あの人』は私の名前を呼んでからこう問いかけた。
―死ぬってどういうことだと思う?
―僕は忘れられることだと思うんだ。
―君は、どう思う?
わたしは。
死とは名前を呼ばれなくなることだ。
存在を認められなくなるんだ。
だからお母さんに名前を呼んでもらえないわたしはもう、死んでいるんだろう。
ずっとずっと、物心ついた時から感情がほんの少し他人より欠落していることは知ってた。面白い番組を見れば面白いな、と感じて笑ったり、好きな遊びをしたら楽しいな、と思うことはある。
でも私には泣くことがなかった。
赤ん坊のころも全然泣かなかったという。怪我をしても痛いとは感じるけれど泣くことはなかった。両親と祖父が死んでも泣かなかった。
泣けなかった。
人間を、人間として構成する感情が欠けていた。
わたしは死んでいるのだろうか。
そうしたら、わたしはもう…名前を呼んでもらえないのか。暗くて狭いあの場所で、棺の中のようなあの場所で、わたしは朽ちてゆくのだ。
どうしたら泣けるのだろう。
『あの人』がわたしから去ったときもわたしは虚無感と罪悪感で押し潰された。
何故わたしはこんななのだろう。
みんなが卒業式で泣いてる。みんなが飼育していたメダカを死なせてしまって泣いてる。
なんでだろう。
どうしたら泣けるのだろう。
左手首に刃物を当てて血が滝のように流れだしても痛いだけで心がどんどん冷めていった。
泣けないことが悲しい。それでも泣けない。
死にたくない。約束が守れない。
名前を呼んで欲しい。
暗くて狭いところは嫌いだ。
棺に入ってるみたいで。名前を呼んでもらえなくて。
まるでわたしが埋めた猫みたいじゃないか。
重苦しい鐘の音が幻想の街の空気を震わせた。
俺は時計塔付近の住宅地を捜索していた。未だ人っ子一人として会っていない。いや、十人のインディアンは依然として俺に付いてきているが。
「………………」
俺の後ろに一列でついてくる小人たち。なんか、こんな光景見たことあるぞ。あ、あれだ。小学生の登校班みたいな。
「………っていうか増えてる…」
いつの間にか俺の後ろには大行列ができていた。十人のインディアンに加えクマのぬいぐるみや木馬までもが参加しているではないか。
どういう状況だ、これ。
「え、ええー…………」
「みんなアルレシャのことを気に入ったんじゃないかな!」「かな!」「多分ね!」
「嬉しくねえ………」
俺が住宅街で公園を見つけるころには行列はなくなっていた。随分早足で歩いたし当然だろう。おもちゃたちには申し訳ないことをしたと思ったがインディアンたちが言うにはあのままだと害悪なおもちゃたちの恰好の餌となるらしい。
なんだそれ、早く言ってくれよ。
「………ん?誰かいる………」
といかジャングルジムの近くの地面に倒れている。
俺と同い年くらいの少女が眠っていた。濃紺のブレザー、灰色のプリーツスカート。見たことのあるような、ないような制服だ。夜に溶けそうな黒髪が地面に広がっている。左手首に包帯。少女の血の気は引いていて華奢な手足も顔も真っ白だ。死んでいるようでぴくりとも動かない。
「生きてる…………、のか?」
多分、ここに巻き込まれた仲間の一人だとは思うのだが、初っ端から死なれてはここからの脱出方法が潰えてしまう。
案内人たちに確認すると彼らは跳びはねながら一斉に答えた。
「生きてるっていうか起きてるね」
「でも『切符』がないみたいだね」「どこにやったんだろうね」「さあーー?」「さあーーー?」
「おい、ちょっと待て。質問させろ」
「えー、どうしよっかなー」「どうしよっかなー?」
こいつら……………腹立つ………。
俺は怒りの拳を抑え、咳払いした。
「起きてるのか?ならどうして目覚めない?」
「ここに来るときに『切符』をなくしたみたい」
「『切符』?」
そんなものあっただろうか、俺は記憶をたどりながらインディアンたちの声に耳を傾ける。
「ここに来るには主様との思い出の『品』がいるんだよ。それが僕らの言う『切符』」「片道だけどね」「ねーっ」
「『切符』をなくしちゃったから不完全なままで着いちゃったんだねきっと」「だから意識があるのに体を動かせないんだね」「何でもし放題だよ!」「やったね!」
ぐっ、と親指をたてられたので誰がするか!とツッコんだ。こいつらの相手はかなり体力を使う。
「『品』なんてそんなもん、今何も持ってないぞ」
「片道だもん。使えばなくなるよ。ちなみに一ヶ月後の夜、ここから出るのにも『切符』がいるんだよ。それがお兄さんが探さなくちゃいけない主様との『記憶』だよ」
ややこしい。
「ふうん、そんなもんか。…で、この子が目覚めるには『切符』がいるんだな?」
「うん、このお姉さん専用のね」
「この辺に探せばあるのか?」
「さあ?」「さあ?」
「…………………。」
「怒らないでよアルレシャのお兄さん。僕達だって知らないことはあるんだよ」「この世界以外のことはわかんないんだよ」「僕らはここで創られたから」「外の、お兄さんたちの世界のことなんて何も知らないし」「お兄さんと主様が外の世界で作った思い出だってしらない」「だからお兄さんの『切符』もお姉さんの『切符』もわからないんだよ」
「じゃあどうしたらいいんだ?」
八方塞がりで俺は腰を落とす。
「何でもやりたい放題だよ?」「だよ?」
「だっ、かっ、らっ………!」
拳をあげるとささっとインディアンたちは固まって口元に手を当てながら小声で言った。
「もしかしてお兄さん………女の人に興味ない………?」
疲れた。




