六匹のハツカネズミ
「六匹のハツカネズミが糸を紡ぎ
そこに猫が通りかかった
何をしているの、あなた方
紳士の背広をたてているの
わたしが手伝って糸を切ろうか?
いいよいいよ、頭を齧られたくないからね
そんなことしないよ、手伝わせてほしいな
そうかもしれないけど、近づかないでよ猫さん」
陽気な声。
傘をさす女のシルエット。
「クスクスクス…………」
時計塔の屋根に腰掛け嗤うハートの女王は世界を見下ろしていた。
「必死に足掻いちゃってまあ………ウフフフフフフ。馬鹿な人間だこと」
「ハートの女王様。案内人全員に伝えてきましたよ」
背後に音もなく現れた長身の男はうやうやしく頭を下げた。同時に背中に携えた大鎌の刃がきらりと光る。
「ああ、ジャック。遅かったわねぇ。あと一秒遅かったら首をとばしていたところだわぁ」
振り返りもせずにハートの女王は宙に投げ出された足をぶらぶらと揺らす。
ジャックと呼ばれた男もまた顔にはモノクロの仮面が装着されていて表情を伺うことはできない。
「いつもそうですけどハートの女王様って理不尽ですね」
「あら。もう一度言ってごらんなさい?ワタクシがなんですって?ワタクシのケーキを平らげてしまったことを忘れて?」
「ウッ………………本当に申し訳ありませんでした」
「全く…………これだから他の案内人は心配なのだわ」
はあ……と頬杖をつきながらため息をもらす女王。
「他の案内人にはしっかりと念をおしてきました」
頭を下げたままジャックが告げると女王は「ふぅん」と相槌をうつ。
「本当に面倒くさい設定で主様は私達案内人を作っていくれたものだわ。あの人間たちを騙すのに一苦労なのだから」
主様というのはこの世界の創造主を指す。案内人は人間に嘘をつけない。それが案内人たちに課せられたルールだ。
ジャックは半ば上の空で「そっすねえ」と返事を返す。
「でもまあ」
ハートの女王は不敵に笑いながら指をぱちんと鳴らす。するとどこからともなく白いティーポットとティーカップが出現した。
ティーポットは空中に浮遊しながら女王の手にしたティーカップに紅茶をとくとくと注ぐ。
「案内人が口を滑らせそうになったらすぐに殺しなさい。どうせワタクシたちは死ぬのだから」
そう。創造主たる人が人間によって思い出された時はこの世界が解放され消滅するので案内人たちは消える。または創造主たる人が人間に思い出されなくても創造主が死んでしまうので、この世界は維持されなくなり案内人や閉じ込められた人間共々消えてしまう。
どちらにせよ、案内人たちは近い将来消えてしまうのだ。
そこでハートの女王は考えた。どうせ消えてしまうのなら道連れは多いほうがいいだろう、と。
「主様は計画を誤ったわねえ………六匹のハツカネズミはもう頭を齧られているのに。ウフフ」
カラフルな星が散りばめられた空を仰ぎ紅茶を一口。
「絶対にクリアできないゲームをやる人間というのはどんな気持ちなのかしらねえ…………?」
女王の高笑いが響く。
布石は打った。あとはアレがどう動くかだ。
学校に逃げ込む頃には全員が肩で息をしていた。
追ってきた兵隊たちはまだグラウンドをうろついているが校内には入れないようだった。
「よ、よかったね。校門開いてて……」
ぐるりとあたりを見渡すと校内は薄暗いがかろうじて外から差し込む星明かりで周囲の状況は把握できた。
壁には矢印が左右描かれていて「こっちはしょくいんしつ」「たいいくかんはこっち」など案内が雑な字で綴られている。
「ここにはおもちゃたちいないみたいね」
腰に手を当てた梓音さんがきょろきょろと周囲を警戒している。
美波くんはこの中で一番余裕があるのか平然と息を整えている。
四人で話し合った結果他にいるであろう仲間と、姿カタチはわからないが案内人が言っていたこの世界から出るために集めなければならない『証』とやらを探索することになった。
まずは校内から見回る。
校内は普通の学校とさして変わりない。壁や床の落書き、手のひらサイズのおもちゃたちは取るに足らない。
だだっ広い体育館、模型がずらりと並んだ理科室、机や椅子がごちゃごちゃに荒らされた教室。
丁寧に見て回ったが人は私達だけのようだ。
「うーん、形もわからないものをどうやって探せって言うんだろう」
私達は図書室に来ていた。
自分よりも背の高い棚がずらりと陳列し本がきちんと仕舞われている。
儚葉くんがだるそうに児童書の本棚を漁りながらため息を漏らした。
「というか、まずその、思い出した『証』とかは目に見えるものなのか?」
美波君も眉間にシワを寄せながら貸出カウンターの引き出しを調べている。
梓音さんはほんの少し、ほんのちょっとだけ悲しそうに絵本が揃えられた背の低い本棚をしゃがみながら捜索している。
「案内人って…どうも信用ならないわ。まだハンプティダンプティしか会ったことないけれど。大切なことを言ってないじゃない…それも含めて」
私は純文学の本棚を目を皿のようにして探す。何かを見逃さないように。
森鴎外、樋口一葉、泉鏡花………。古ぼけた装丁には落書きはない。色あせていてページはセピア色になっている。表紙や背表紙に刻まれた題名だけは輝きを失うことなく、それは本が誇りを持って佇んでいるようだった。
私は井伏鱒二の山椒魚を手にとってぱらぱらとページをめくった。
その時だった。
ばさばさばさっと本が床に落ちる音と「あっ…………………………」という、梓音さんの声が聴こえた。
「どうかしたの?」
声をかけながら近寄ると、彼女は周囲に落ちた本を気にすることなく両手で持ったその絵本を凝視していた。
その顔は真っ青で気が強そうな瞳の光は揺らいでいた。
『魔法使いの弟子』
そう白字で銘打たれた絵本は真っ黒に塗りつぶされた表紙だった。




