第五話:無限の英知より、日替わりランチが気になります
国家機密級の重大な会議が開かれる中、チヅルの思考回路はどうやらいつも通りのようです。
緊迫した空気の中で飛び出した一言が、会議室の空気を一変させます。
冒険者ギルド「潮鳴りの鉄錨」の喧騒を背に、チヅル一行は受付嬢マリアに促され、奥の個室へと足を踏み入れた。
案内されたのは、落ち着いた木目調の小さな個室だ。窓からは翡翠月の柔らかな陽光が差し込み、埃が光の粒となって空中に舞っている。遮音の術式こそ施されていないが、分厚いオークの扉を閉めれば、外の喧騒は遠い波音のように静まった。
チヅルは卓を挟んでマリアの向かいに座り、居住まいを正した。そのワインレッドの瞳には、いつもの天真爛漫な輝きだけでなく、リーダーとしての真剣な光が宿っている。
「……あたしたちのパーティーからできる成果報告については、以上です」
チヅルが淀みない口調でレイド戦の推移を語り終えると、マリアは手元の羊皮紙から顔を上げた。
「はい、記録しました。目標の討伐数はもちろん、後衛支援の効率化についても詳細なデータをありがとうございます。大変ご苦労様でした」
マリアが労いの微笑みを浮かべ、報告書をまとめようとしたその時だ。
チヅル、ユイ、およびラズベルの三人が、示し合わせたように顔を見合わせ、口角を吊り上げた。
「でですねぇ」
三人の不敵な笑みに、マリアは一瞬だけ背筋に冷たいものが走り抜けるのを感じた。
「え……。な、なんでしょうか」
「ラズベルちゃん、お願い!」
チヅルの号令に合わせ、ラズベルがマジックバックパックから次々とアイテムを取り出し、テーブルの上に並べていく。
「鑑定をお願いしたいアイテムが、こんなにあるんですよ!」
チヅルがパァッと花が咲いたような笑顔で両手を広げ、自慢げに付け加える。 「神殿のギミックを最後まで動かすの、五十九回も魔力を注ぎ込んで……あっ、最初の一回目はレヴィ姉だったんだけど……あたし、すっごく苦労したんですから!」
目の前に並べられた異質な品々に、マリアは一瞬だけ目を丸くしたが、次の瞬間には指先から驚きを消し、有能な受付嬢としての落ち着きを取り戻した。数多の荒事師たちが持ち込む、血と汗の染み付いた戦利品を幾千と裁いてきた彼女にとって、ここから先は聖域とも呼べる日常の業務だった。
「承知いたしました。では、一つずつ拝見させていただきますね」
マリアは落ち着いた手つきで、まずはズシリと重い革の袋を引き寄せた。紐を解き、中身を机の上に滑らせる。
「……なるほど。これはカルディアスの黎明期に流通していた古金貨ですね。保存状態は極めて良好です。現行の大金貨と遜色ない純度ですので、ざっと見積もって金貨五百から六百枚相当の価値になるかと思います」
「「「金貨五百枚!!」」」
チヅル、ラズベル、ユイの三人が声を揃えて叫び、個室にその絶叫が響き渡った。だが、マリアは眉一つ動かさず、事務的な手際で金貨を袋に戻すと、次に鉱石の標本箱を手に取った。
「大陸の主要鉱石に加え、入手困難な希少鉱石も見受けられます。精錬済みのインゴットも含まれていますね。正確な評価には専門の鑑定士が必要ですが、箱ごとであれば金貨一枚以上の値はつくでしょう」
淡々と、澱みのない口調で鑑定結果を述べていく。続いて、琥珀色の液体が揺れる三本の瓶の首から吊るされた黒ずんだ真鍮製のタグを慎重に確認した。
「先ほどの金貨と同年代の古酒でしょうか。六百環以上経過している可能性がありますが、封蝋に欠損はありません。蒸留酒であれば当時の風味を維持しているはずです。こちらも希少性は極めて高いと言えますね」
さらに、精巧な細工が施された木箱を開け、中の羊皮紙を数枚、熟練の動作で指先に取って目を走らせた。
「こちらは私信――恋文の類ですね。綴られた内容もさることながら、文中に登場する『名前』が歴史的に見て非常に興味深いものです。一度、歴史の専門家へ照会することをお勧めいたしますわ」
マリアは作業をこなす機械のように冷静だった。高価な金貨や貴重な古酒を前にしても、その態度は揺るがない。
そして最後。マリアの手が、テーブルに残された長細い木箱の蓋に触れた。
古びた木肌には、長い年月だけが醸し出す独特の威厳が刻まれている。
蓋の表面に流麗な、けれどどこか力強い筆致で彫り込まれた文字。それを視認した瞬間――マリアの指先が、ぴくりと跳ねた。
「……ん? 『エイスラルヴァステーゼ……2』……?」
マリアの動きが、止まった。
一……二……三呼吸目。
部屋の空気が、凍ったようだった。
先ほどまで淡々と鑑定を続けていたマリアの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。その瞳は大きく見開かれ、唇は微かに震えている。それは驚愕というよりも、もはや何かに怯えているかのようだった。
「ハッ、ちょ、ちょっと待っていてください。この箱、少しお預かりしますね。直ぐに戻ります」
マリアはチヅルたちの返事も待たず、まるで壊れ物を扱うような手つきでその木箱を抱えると、弾かれたように個室を飛び出していった。
バタン、と勢いよく閉まった扉を見送り、残された四人はしばし呆然とした。
「……あの箱、なんか凄いものだったのかなぁ」
チヅルが小首をかしげ、薄紫色の猫耳をパタパタと動かす。当の本人は、あれほど大仰に驚かれる理由が全く分かっていない様子だ。
「さぁな。羊皮紙二、三枚によくわからない文字が書いてあっただけだぜ」
ユイは椅子の背もたれにふんぞり返り、退屈そうに指を鳴らした。
「あたしはそれより、あの金貨五百枚をどうしようか、今からワクワクするぜ。美味いもん食って、新しい防具でも新調しちまうか?」
「ふふ、ユイちゃんたら気が早いわ。それにしてもマリアさんのあんな顔、初めて見たわね。あの古文書って、本当に凄いものだったのかしら?」
ラズベルが少し不安げに眉を寄せたが、レヴィリアだけはアイテムボックスから取り出した扇子を口元にあて、にこにこと楽しそうに三人の様子を眺めていた。
***
しばらくの後、マリアが戻ってきた。その表情は先ほどよりも幾分か落ち着いてはいたが、瞳の奥には未だ隠しきれない緊張が走っている。
「皆様、こちらへ。場所を移しましょう。アイテムはそのままで結構です」
マリアに連れられ、一行はギルドの最奥にある会議室へと向かった。そこは普段、高ランク冒険者やギルド幹部しか出入りを許されない、強力な遮音術式が施された重厚な空間だ。
マリアが慎重な手つきで重厚な扉を開ける。その瞬間、部屋の奥から溢れ出した密度のある静寂が一行を包み込んだ。それは、地位ある者だけが放つ特有の威圧感――。チヅルの背筋を、武者震いにも似た心地よい緊張感が駆け抜けた。
上座には、日に焼けた肌と白髯が特徴的な、岩のように屈強な体躯を持つ初老の男性――このマーレン支部を統括するギルドマスターが座っていた。
そしてその両脇には、さらに予想外の人物が控えていた。
白銀のブレストプレートを纏い、日焼けした顔に歴戦の古傷を持つ大柄な騎士。ヴァノス王宮騎士団副団長、アーサー・グレイス。
その隣には、深い紺色のローブに身を包み、縁なし眼鏡の奥に知性的な瞳を光らせる気品溢れる女性。王宮魔術師団代表、エレナ・ローレンス。
この日、二人がマーレンにいたのは、本来であれば王国直轄の騎士団などが指揮を執るべき神殿跡遺構レイド作戦を、諸般の事情からマーレンのギルドへと事実上丸投げしてしまったため、せめて結果報告だけは直接受け取ろうと王都より派遣されていたからだ。
「っ……グレイス副団長! ローレンス代表!?」
チヅルが思わず声を上げると、アーサーが豪快に喉を鳴らした。
「ははは! 相変わらずの良い反応だ、ルナデウス殿」
「えっ……、あたしたち、なんかやらかしました?」
チヅルが不安げにマリアを振り返ると、ギルドマスターが重々しい声で場を制した。
「いきなりこのような場に呼んで悪いな。ルナデウス殿は円卓の席に。パーティーメンバーの方は、後ろの席に掛けてくれ」
チヅルは促されるまま円卓の末席に座り、ユイたちはその後方の椅子に腰を下ろした。
「では、揃ったな。早速だが、ルナデウス殿――エイスラルヴァステーゼがどういうものか、知っておるか?」
ギルドマスターの問いに、チヅルは正直に首を横に振った。
「いえ、存じません」
「そうか。ではまず、エイスラルヴァステーゼがどういうものかを説明しよう。マリア, 頼めるか」
「はい、かしこまりました」
マリアが震える声を整え、一歩前に進み出た。
「エイスラルヴァステーゼとは、ヴァノス王国の始祖であり初代国王であられたヴァイス・ヴァーミリオン様が、カルディアス大陸漫遊時に、各地に残されたとされる痕跡でございます。ヴァーミリオン様が残された痕跡を全て集め、その内容を解き明かしたものには、無限の英知が宿るとされており、このことはヴァノス王宮の関係者にしか知られておりません。ただし、各ギルドのギルド長および一部のギルド関係者は、エイスラルヴァステーゼの存在を共有しております。これは、今回のように冒険者が偶然見つけた場合を想定し、迅速に対応できるよう備えておりました」
マリアの説明に、ユイが小さく息を呑む音が聞こえた。魔界出身のレヴィリアも「ふふっ、興味深いことですわね」と扇子を口元にあてる。
「わしの知る限りでは、エイスラルヴァステーゼを見つけた冒険者を知らん。少なくともマーレンでは、今回が初めてということだ」
ギルドマスターが告げると、アーサーが身を乗り出した。
「ルナデウス殿は、ライアン騎士団長から厚く信頼されている。私やローレンス代表も、その人柄を見て間違いないと判断している。本来なら冒険者に詳細な情報を明かすことはないのだが、今回の場合は、ルナデウス殿に公開した方が国家のためになると考え、この場に招き入れたというわけだ」
「現在、ヴァノス王宮で保管されているエイスラルヴァステーゼは一巻と四巻の二冊。今回、二巻が見つかったことで三冊となりました」
エレナが白い指先で眼鏡のブリッジを押し上げ、静かに補足する。
「エイスラルヴァステーゼは全部で十巻あるとされていますが、実のところはっきりとはしておりません。一巻と四巻の入手経緯については控えさせていただきますが、少なくとも偶然見つかったという記録は今までになく、今回が初めてということになります」
アーサーが古傷の刻まれた顔をチヅルに向けた。
「どのような経緯でこれを見つけたか、説明願えないか」
「はい、事実のみを述べさせていただきます」
チヅルは、あの苔むした石板の発見から、気の遠くなるような五十九回もの魔力注入。そして大地が震え、円筒状に床が沈み込んで現れた地下空間――。かつての神殿の遺香が漂う螺旋階段での出来事を、身振り手振りを交えながら、けれど重要な点は外さず詳細に説明した。
「……なるほど。あの神殿跡に、そのようなギミックがあったとは」
アーサーが感嘆の息を漏らす。そして、核心の問いを投げかけた。
「して、貴殿は、エイスラルヴァステーゼをどうしたい?」
会議室が、張り詰めた沈黙に支配された。
無限の英知。国家を揺るがす至宝。それを手にした冒険者が何を望むのか。
しかし、チヅルは一度だけ瞬きをすると、こともなげに言い放った。
「私には身に余る物であり、そもそも無限の英知には、全く興味がございません。エイスラルヴァステーゼについては口外しませんし、必要であれば誓約書を書いても構いません。――ただ、私にはそのような紙切れよりも、本日の日替わりランチの方が気になっております」
…………。
会議室が、今度こそ物理的に凍りついた。
後ろの席では、ラズベルが耳まで赤くして「チヅルちゃん……!」と声にならない悲鳴を上げ、ユイは「こいつ、やりやがった……」と深い溜息をつきながら自分の額を押さえている。一方でレヴィリアだけは、円卓に座る他の面々たちを品定めするように見つめつつ、口元を扇子で隠して「あらあら、いい度胸ね」と言わんばかりに楽しげに瞳を輝かせていた。
しばらくの沈黙の後。
「ははははっ! 今回も言いよったわ! チヅル、貴殿は本当に面白いやつだ。団長が気に入るのも無理はない!」
アーサーが、椅子から転げ落ちんばかりに豪快に笑い出した。
「そうですわね。無限の英知よりも今日のご飯を案ずるとは。貴女の奇抜な発想には、いつも驚かされますわ」
エレナも上品に微笑む。
「国家の機密よりも、我がギルドの日替わりランチを選ぶか――ルナデウス殿」
ギルドマスターも白髯を揺らしながら、まんざらでもない笑顔を浮かべた。その眼差しは、チヅルへの信頼をより確かなものへと変えていた。
「エイスラルヴァステーゼは国家機密ゆえ、ヴァノス王国に譲渡せねばならんが、報奨金は支払うことになるだろう。残りの四点の拾得物については、ギルドの判断に任せることになるが、基本的には発見者のものだ」
アーサーが居住まいを正して提案すると、チヅルは即座に応じた。
「私としては、古代の金貨のみ換金していただき、標本箱と恋文についてはギルドに寄贈、三本のお酒については……ギルドマスターに差し上げます」
「……このわしを、六百環ものビンテージ酒で買収でもするつもりか」
ギルドマスターがにんまりとした顔で睨む。
「滅相もございません。蒸留酒がお好きと伺ったことがあるもので、良ければと思いました。ただ、すみません――まだ蒸留酒かどうかはわかりませんので……」
「蒸留酒だとよいのう。六百環ものビンテージ酒は、興味をそそられるわい」
ギルドマスターは満足げに頷き、マリアに向き直った。
「よかろう。エイスラルヴァステーゼについては、貴殿と仲間の三人が口外しないことを約束してもらえるなら、あとの処遇は貴殿の要望通りになるよう取り計らおう。マリア、あとは頼む」
「わかりました、マスター」
チヅル一行は立ち上がり、揃って深く一礼して会議室を後にした。
***
重厚な扉が閉まり、再びギルドの廊下に出ると、チヅルは大きく息を吐き出した。
「はあぁーっ……えーっ、なにーっ。何かやらかしたかと思って、ほんとびっくりしたよ」
「ふふ……。何も説明せずに会議室に連れて行ってごめんなさいね」
マリアが申し訳なさそうに微笑む。
「それにしてもチヅル、お前またかましやがったな。無限の英知よりランチって……肝が冷えたぞ」
ユイが呆れたようにチヅルの肩を2、3回軽く叩く。
「チヅルちゃんらしいわ……。でも、本当によかったわね」
ラズベルの苦笑いに、レヴィリアも楽しげに頷いた。
「では、先ほどの個室に戻って、話を進めましょう」
再び個室に戻ると、マリアが事務的な確認を始めた。
「チヅルさん、会議室でお伝えした要望通りで、よろしいですか?」
「みんな、あたしが勝手に話を進めちゃったけど、どうかな?」
チヅルが仲間たちの顔を見渡すと、三人はそれぞれ頼もしげに頷いた。
「構わないぜ。あたしは金貨以外に興味はねぇし」
「あたしもそれでいいわ」
「問題ないんじゃないかしら」
「みんな、ありがとう。じゃぁ、報酬が決まったら、いつものように四等分にして、いくらかはパーティー共有の財布に入れることにするね」
報酬の分配方針が決まり、チヅルはマリアに最終的な要望を出した。
「マリアさん、先ほど要望した通り、金貨は換金、あとはギルドに寄贈ということでお願いします。あ、お酒はギルドマスターにね」
「ふふ、わかったわ。あぁ、それから、レイド戦クエストの報酬授与がまだだったわね。依頼書の通り銀貨五十枚を、この後すぐにお渡しできるけど、どうされますか?」
チヅルは、みんなの反応を見て「じゃあ、金貨の換金と一緒のときに受け取ります」と答えた。
「わかったわ。……それと、これ」
マリアが笑顔で差し出したのは、四枚の小さな木札だった。
「これ、ギルドマスターからよ」
「やったー! 日替わりランチの木札だ! マリアさん、ありがとう! ギルドマスター、大好きぃー!」
チヅルが宝物でも扱うかのように木札を高く掲げ、喜びを爆発させた――。まさにその瞬間である。遮音術式が施されているはずの、はるか廊下の奥にある会議室から、誰かが豪快に「ぶぇっくしょん!」と盛大なくしゃみをした音が、まるでチヅルの言葉にツッコミを入れるかのように響いてきた気がした。
「今日はラズベルちゃんのお弁当があるから、明日のランチで使おっか」
チヅルの元気な声が、ギルドの廊下に明るく響き渡る。
国家の至宝を目にした後の会話とは思えないほどの落差に、マリアはただ、幸せそうなため息をつくのだった。
チヅルの天然は書いてて楽しいです(笑)。
さて、大きな出来事の幕が下りたかと思いきや —— 次回、彼女たちが選んだ次の一手がまさかすぎます!
ありがとうございました!




