第四話:金色は、ざわめく
ギルドへ向かった一行を待ち受けていたのは、驚くべき真実でした。
静かだったギルドホールが、あるものをきっかけにざわめき始めます。
事態は思わぬ方向へ転がりだしますよ!
柔らかな朝の光が、東の窓から差し込んでいた。
第633環、翡翠月。週三巡目の風律。
新緑の季節らしい穏やかな晴れ間が広がり、庭の草葉が朝露に濡れて淡く輝いている。どこか遠くから小鳥のさえずりが届き、港湾都市マーレンの朝が静かに始まっていた。
「んんぅ……、あともうちょっとだけ……」
ふかふかのシーツに顔を埋め、チヅルは心地よいまどろみの中にいた。薄紫色の猫耳が、夢の続きを追いかけるようにぴくぴくと震える。
四日間に及ぶ過酷なレイド戦、そしてその直後の神殿ギミック。昨夜ようやく辿り着いた「我が家」の安心感は、彼女の警戒心を綺麗に溶かし去っていた。
コンコン、と控えめな、けれど確かなノックの音が響く。
「チヅルちゃん、起きて。朝ご飯できたわよ」
扉を開けて顔を覗かせたのは、桃色の髪を揺らすラズベルだ。既に三角頭巾を被り、エプロンをきゅっと締めた完璧な家事モードである。
「んぁ……、ラズベルちゃん、おはよー……今起きる」
チヅルはのろのろと上体を起こした。ポニーテールが少し乱れ、右目の下のほくろが寝ぼけ眼の中で強調されている。
ふらふらとした足取りで階段を降りると、リビングには既に美味しそうな匂いが充満していた。食卓には、銀色の長い髪を鏡のように美しく梳かしたレヴィリアが、既に椅子に腰掛けて優雅にハーブティーを口にしていた。
「あ、レヴィ姉、おはよー!」
「おはよう、チヅル。よく眠れたかしら」
レヴィリアが上品に微笑む。昨夜、この家を「自分の居場所」として選んだ彼女の表情には、どこか憑き物が落ちたような穏やかさが宿っていた。
「うん!……でも、初明けの鐘が聞こえてから、半刻くらいゴロゴロしてから降りてきたつもりだったんだけど……」
チヅルが壁に掛けられた魔刻計に目をやると、針は陽2刻をとうに過ぎている。初明けの鐘は陽1刻。つまり、半刻のつもりが一刻も二度寝をしていた計算になる。
「えーっ、もう陽2刻回ってる……!」
慌てて声を上げるチヅルに、キッチンからラズベルが顔を出して笑った。
「ふふ、お疲れだったのよ。朝食、チヅルちゃんの分もできてるから取りに来て。ユイちゃんもそろそろトレーニングから戻る頃だわ」
「うん、わかった! 今行くー」
チヅルがパタパタとキッチンへ向かい、自分の分のスープとパンをトレイに乗せたその時、玄関の扉が開き、涼やかな朝の空気と共に、少し汗を滲ませたユイが入ってきた。首にかけたタオルで顔を拭いながら、愛刀・白綱を大事そうに抱えている。
「あ、ユイちゃん、おはよー! トレーニングお疲れ様!」
「おう、チヅル。おはよ。やっぱ戸建ての家だと気兼ねなく振り抜けていいぜ」
ユイは充実感に満ちた笑顔を浮かべたが、自分の服の汚れに気づくと苦笑いした。
「ちょっと汗かいちまった。ラズベル、軽く汗流した後、すぐ飯にするから、あたしの分も用意しておいてくれよ!」
「ええ、準備しておくわ。冷めないうちにね」
ラズベルの返事を聞きながら、ユイはそのまま浴場へと小走りに消えていった。
チヅルは自分の朝食をテーブルに運び、レヴィリアの隣に座った。まずは熱々のスープを一口。昆布の深い旨味と根菜の優しい甘みが身体の隅々にまで染み渡り、眠っていた魔力回路がゆっくりと熱を帯び始める。
パンを半分ほど食べ進めた頃、髪を拭きながらさっぱりとした顔で戻ってきたユイが、チヅルの向かいの席に陣取った。ラズベルがタイミングを見計らって、ユイの分のトレイを運んでくる。
「ふぅ……。やっぱ動いた後の飯は最高だわ」
ユイがパンを頬張りながら満足げに呟く。ラズベルもキッチンから出て、ユイの隣の席に座る。全員が席に着いたところで、チヅルが改めて感心したように二人を見た。
「ところで、レヴィ姉は、何刻に起きたの?」
「私は初明けの鐘が鳴ってから着替えて、直ぐにリビングに降りたわ」
「そっかぁ……。ユイちゃんも早朝からトレーニングだし、みんなえらいなぁ。あたしだけだね、寝坊したの」
パンにかじりつくチヅルに、ユイが優しい目を向けた。
「まぁ、一昨日は魔力をたくさん使ったんだから、寝坊くらいいいんじゃねーの?」
「うん、ありがと」
朝食を終える頃、チヅルが今日一日の予定を切り出した。
「あ、そうだ。今日、ギルドに行って、レヴィ姉のパーティー登録しないとね」
「そうね、マーレンのギルドに行くのは初めてだから、楽しみだわ」
「今日は陽3刻にギルドへ向かうでいいかな?」
チヅルの提案に、一同が頷く。
「あぁ、わかった。直ぐ戻る」
ユイはそう言い残して、身だしなみを整えに再び自室へ向かった。ラズベルは手際よくテーブルを片付けながら、バックパックを傍らに引き寄せる。
「わかったわ。お弁当ももうすぐできるから、大丈夫よ」
「レヴィ姉もいいよね?」
「ええ、合わせるわ」
レヴィリアの紫の瞳が、チヅルの動きを静かに、けれど熱を帯びた眼差しで追いかけていた。昨夜、この少女に向けられた「ようこそ」という言葉。それが今のレヴィリアの心に、十三環の放浪では決して得られなかった「凪」をもたらしていた。
***
「さぁみんな、ギルドに出かけようか!」
陽3刻。チヅルの元気な号令がリビングに響いた。
「ん、了解」
「お弁当も入れたし、昨日のアイテムも入れてあるわ。準備はできてるわよ」
ラズベルはマジックバックパックを背負う。中には昨日の地下遺構で見つけた、古金貨の詰まった革袋や、お酒の入った瓶、木箱が収まっている。
「ええ」
レヴィリアもゆっくりと立ち上がり、チヅルに向かってにっこりと微笑んだ。
四人は庭の隅にラズベルが植えた春野菜の脇を通り抜け、門を出て、マーレンの朝の通りへと歩み出した。
マーレンの街は今日も活気に満ちていた。
石畳を叩く多くの足音、港の方から流れてくる潮の香りと魚の焼ける匂い。露店の商人たちが上げる威勢のいい声が、陽光に照らされた大通りを賑やかに彩っている。
その喧騒の中を、四人の女性が歩いていく。
先頭を行くのは、猫耳をぴこぴこと弾ませた小柄なチヅル。
その隣で、セーラー服を纏ったユイが、周囲の気配に鋭い視線を送る。
後ろからは、ピンクの三角頭巾が可愛らしいラズベル。
そして、それらを見守るように、長身で銀髪の美女レヴィリアが優雅に続く。
マーレンの人々にとって、この街に暮らす冒険者は見慣れた存在だ。だが、レヴィリアの放つ圧倒的な美しさと高身長の見事なスタイルに、道ゆく人々も思わず足を止め、振り返らずにはいられなかった。見慣れぬ銀髪の美女が優雅に歩く姿は、雑多な街の風景の中で、そこだけが浮き上がったように輝いて見え、通り過ぎる誰もがその貌に見惚れていた。
やがて、冒険者ギルド「潮鳴りの鉄錨」の建物が見えてきた。
何度も潜り抜けた重厚なオーク材の扉は、いつ見ても変わらぬ貫録で冒険者たちを迎え入れている。
扉を開けた瞬間、ギルド内の熱気が四人を包み込んだ。
酒を酌み交わす者、掲示板の依頼書を食い入るように見つめる者。荒事稼業の男たちが発する野太い喧騒が渦巻いている。
だが、その喧騒は、レヴィリアが扉を潜った瞬間からじわじわと形を変えていった。
(……ん?)
まず入り口近くの冒険者が言葉を失い、その沈黙が波紋のように奥へと伝播していく。じわじわと視線が四人に集中し、喧騒が不自然なひそひそ話へと変わっていく。
銀髪に紫の瞳、そして何より、その一分の隙もない立ち居振る舞い。彼女が「ただ者ではない」ことは、歴戦の冒険者たちの勘に深く突き刺さっていた。
「マリアさん、ごきげんよう!」
チヅルの快活で突き抜けるように明るい声が、澱んだ空気を切り裂いた。
受付カウンターの奥で書類を整理していたマリアが、顔を上げて微笑む。
「チヅルさん、おはようございます。先日のレイド戦はお疲れ様でした。今日は成果報告でいらしたんですよね?」
「うんうん、それもあるけど、もうひとつ重要なことがあります!」
「重要なこと……ですか?」
マリアが首を傾げる。
「新しいパーティーメンバーを登録してほしいんです!」
そういって、チヅルは後ろに顔を向ける。
「レヴィ姉!」
チヅルに呼ばれ、レヴィリアがゆったりとした歩みでカウンターの前に進み出た。彼女はフードを軽く払い、マリアを真っ直ぐに見つめる。
「レヴィリア・フォン・ノクティウスと申します。この度はチヅル・ルナデウスのパーティーへの登録をお願いしにまいりました」
その涼やかで凛とした声に、マリアは一瞬だけ呆けたように見惚れていたが、プロの受付嬢としての自覚がすぐに彼女を引き戻した。
「は、はい、賜ります。……レヴィリアさんは、こちらにお名前をご記入ください。ギルドカードは一旦こちらでお預かりし、照合ののち、パーティー参加の登録を致します」
マリアが登録用の羊皮紙を提示する。レヴィリアは淀みない筆致で名前を書き込むと、いつの間にか、指先に挟んでいた一枚のカードをさらりとマリアに手渡した。
マリアがカードを受け取り、確認した瞬間――。
その目が、ぱっと見開かれた。
カウンターの魔法灯の光を反射して、カードは鮮やかな金色に輝いていた。
黄金で精巧に鋳造され、縁には五つの魔宝珠が、それぞれ異なる色で美しく並んでいる。それはまさしく、Bランク冒険者にのみ与えられる高ランクの身分証であった。
「え……っ、び、Bランク冒険者でしたか!」
思わずマリアの声が大きく裏返った。
その言葉がギルドホール全体に響き渡り、それまで静かに様子を窺っていた冒険者たちの間に、爆発的なざわめきが起こる。
「Bランクだと!?」
「あの銀髪の女、五宝珠持ちかよ!」
「マジかよ……あんなスラリとした美人が……」
周囲の喧騒に気付き、マリアは慌てて姿勢を正し、恭しく一礼した。
「し、失礼しました……。少々取り乱してしまいました……」
「うふふ、大丈夫ですわよ。そんなに気にしないで」
レヴィリアは余裕たっぷりに微笑む。その横で、チヅル、ラズベル、ユイの三人は、初めて知らされた衝撃の事実に目を丸くして固まり、ポカーンと口を開けたままその光景を眺めていた。
「で、では、チヅルさん、こちらのパーティーリーダーの欄にお名前をご記入ください」
「えっ、あ、はい……記入ね、記入……」
チヅルがまだ呆然とした様子でサインを終えると、マリアは幾分か緊張した面持ちでカードを操作盤に載せた。
「では、登録処理を行いますので、少しお待ちください。完了しましたら、成果報告の件もお伺いしますね」
***
登録を待つ間、四人は窓際の空いている四人掛けテーブルに腰を下ろした。
ホール内の注目は依然としてレヴィリアに集まっていたが、彼女はそれを空気のように受け流している。
「大きなギルドね。冒険者も多いわ」
「そうだね。あたしが見てきたギルドでは、二番目に大きいかな」
「ん?……一番はどこだったんだ?」
『二番目』という言葉の響きが気になったのか、ユイが尋ねる。
「ダントツで『黎明の楔』だね。王都のギルド。あそこは建物自体が宮殿みたいだったよ」
「へぇ……」
「でも、あたしはここのギルドが一番好きかな。マリアさんもいるしね!」
チヅルは快活に笑い、それからレヴィリアの方を向いた。
「レヴィ姉は、王都に行ったことある?」
「リアス島自体に、行ったことないわね。機会があれば、行ってみたいとは思うけど……」
フムフムとチヅルが頷く。
「ラズベルちゃんとユイちゃんは?」
「あたしもないわ」
「マーレンより南には行ったことねぇな」
さらにフムフムと頷くチヅル。
「じゃあさ、落ち着いたらみんなで、リアス島に行こっか。マーレンに来る前は、リアス島をふらふらしてたから、ある程度は詳しいよ」
「そういえば、チヅルちゃんはリアス島出身だったわね」
ラズベルが思い出したように言う。
「まっ、船旅も悪くねぇか」
ユイも乗り気な様子を見せる。
「うふふ、楽しみだわ」
レヴィリアが、いつの間にか、扇状に開かれた装飾が施された扇子を左手に持ち、口元に当てて微笑んだ。
「それにしてもさ、レヴィ姉って五宝珠持ちだったんだね。ひょっとしてあたし、とんでもない人をスカウトしちゃった?」
「心強いわ」
ラズベルも力強く頷く。
「ところで、レヴィリアさんは魔法使いなのか?」
ユイが真剣な表情で問いかけた。
「あたしは白綱を通して魔法を行使する、まぁ言ってみたら魔剣士的な立ち位置で、基本は前衛アタッカーだ。ラズベルはサポートだがタンク的なこともできる。チヅルは治癒とバフで後衛からあたしたちを指揮する立場だ。パーティーとしてのバランスを考えておきたくてな」
ユイの言葉に、レヴィリアは小さく頷いた。
「そうね、私は火属性と氷属性の上級魔法、攻撃対象の能力を落とすデバフ、治癒もまぁ、出来ないことはないわ。武器は……これを使っているの」
レヴィリアがゆっくりと立ち上がった。
彼女は右手をスッと虚空へと差し伸べる。
次の瞬間、大気が微かに震えた。
レヴィリアの右手の先で空間が音もなく歪み、そこから漆黒の光が溢れ出す。
そして、彼女の手には、自身の背丈を優に超える巨大な武器が握られていた。
漆黒の長い柄。月を象ったような三日月型の巨大な刃。それは死神の象徴とも言える、美しくも禍々しい「大鎌」であった。
「このデスサイズを装備すると近距離から中距離をカバーできるわ」
「うぉ、い、今のどうやったんだ!」
ユイが驚愕のあまり、椅子を蹴るような勢いで立ち上がった。
「わわーっ、なんか大道芸の人みたい!」
「うわっ、アイテムボックス持ちとは恐れ入ったよ!」
ラズベルが感嘆の声を上げ、チヅルはその漆黒の刃をまじまじと見つめる。
レヴィリアは優雅な所作でデスサイズを再び空間の歪みの中へと消し、静かに席に着いた。
「チヅル、お前のガチャ運、ほんとパネーな。レヴィリアさんがいたら、クエストの幅がめちゃくちゃ広がるぞ。今後が楽しみだぜ」
ユイが興奮気味に呟く。その目からは、レヴィリアへの疑念の色はすっかり薄れていた。同じ戦士として、その圧倒的な実力と底の知れない能力に、素直な敬意が芽生え始めていた。
「ねぇ、チヅルちゃん、アイテムボックスってあたし聞いたことないんだけど」
ラズベルが不思議そうに首を傾げる。
「んー、あたしも詳しくは知らないよ。かなりレアな能力っていう話だし。ラズベルちゃんのマジックバックパックあるでしょ。それと同等かそれ以上の収容力を持つ魔法の収容箱で、アイテムを介さず直接出し入れできるんだよ」
「一目見てアイテムボックスだと言い当てたチヅルも十分凄いわよ」
レヴィリアが感心したように言う。チヅルの知識量は、時折Dランク冒険者の範疇を大きく超えることがある。
「チヅルさーん、レヴィリアさーん!」
カウンターからマリアの呼ぶ声がした。四人はテーブルを離れ、再び受付の前へと向かう。
「お待たせしました、チヅルさん。レヴィリアさんのパーティー登録が完了しました」
マリアが返却した金色のギルドカード。レヴィリアはそれを指先で受け取ると、またもや手品のようになめらかな動作でアイテムボックスへと収納した。
「マリアさん、成果報告なんだけど」
チヅルが少しだけ声を落とし、マリアの目をじっと見つめた。
「ここでもいいんだけど、できれば個室でお話したいんだけど、いいかなぁ?」
そのワインレッドの瞳に宿る、普段の無邪気さとは異なる真剣な光。それを見たマリアは、チヅルが何か公にはできない重大な報告を抱えていることを直感的に察した。
「……ええ、構いませんよ。今は個室、誰も使っていないので。こちらへどうぞ」
マリアは厳かな手つきでカウンターの脇を開け、ギルドの奥へと四人を誘った。
案内されたのは、落ち着いた木目調の小さな個室だった。
周囲の喧騒から切り離された静かな空間で、世界の理を揺るがす物語の断片が、今まさに語られようとしていた。
まさかの展開でギルドが騒然となり、物語が急加速!
奥の会議室へ移動した一行に、一体どんな重大な話が待っているのでしょうか?
次回、核心に迫ります!
ありがとうございました!




