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第六話:薬草採取に行こうかな

巨額の報奨金に喜びも束の間、チヅルたちは次の依頼へ。

穏やかな街道の景色の中、彼女だけが感じる「異質な何か」。

物語はここからまた、違う顔を見せ始める予感です。

 翡翠月、週三巡目の地律ちりつ

 港湾都市マーレンを包み込む朝の光は、春特有の柔らかさと瑞々しさを孕んでいた。


 魔刻計が陽4ようよんこくを告げる頃、チヅル一行は、冒険者ギルド「潮鳴りの鉄錨てつびょう」の重厚なオーク材の扉を押し開けた。


 一歩足を踏み入れれば、そこには昨日までの緊張感が嘘のような、いつものギルドの喧騒が広がっている。依頼掲示板の前で唸り声を上げる冒険者たち、ジョッキを傾けながら昨夜の武勇伝を語る戦士、そして忙しなく羽ペンを走らせる職員たちの姿。


(……昨日のことが、なんだか遠い夢みたいだね)


 チヅルは、首元の魔装チョーカーにそっと指先を触れながら内心で呟いた。


 王宮の重鎮たちとの密談、国家機密の譲渡。普通なら一生に一度あるかないかの大事件を経験した直後だというのに、チヅルのワインレッドの瞳は、穏やかな水面のように澄み切っていた。彼女の意識は、昨日の非日常的な重圧を過去の棚へと速やかに片付け、軽やかに、そして貪欲に今日という物語へと飛び移っていた。


「マリアさん、ごきげんよう!」


 受付カウンターへ向かったチヅルの快活な挨拶に、書類を整理していたマリアが顔を上げた。


「おはようございます、チヅルさん。……昨日の件ですが、諸々の事務処理に少々お時間をいただいています。準備が整うのは陽7ようななこく以降になりますので、またあとで、声をかけてください」


「はい、わかりました。それまで待ってるのも暇だし、のんびりできそうな依頼でも探しに行こうかな」


 チヅルはそう言って、くるりと身を翻して依頼掲示板へと歩み寄った。その後ろを、セーラー服を纏ったユイ、ピンクの三角頭巾を揺らすラズベル、そして銀髪を優雅に靡かせるレヴィリアが続く。


 掲示板を埋め尽くすように貼られた多くの羊皮紙の中から、チヅルは楽しげに依頼を探し始めた。あちこちで紙がめくれる音と、冒険者たちの熱気が入り混じる中、彼女のワインレッドの瞳が、端のほうが少しめくれ上がった一枚の依頼書に釘付けになった。


「おっ、これは……! ねぇみんな、これなんてどうかな?」


 チヅルが振り返って指差したのは、深緑の森での薬草採取という、一見すれば平穏そのものの依頼だった。


「薬草か。たまには森の空気でも吸いながら、刀の錆落としも悪くねぇな」


 ユイが肩をすくめてニヤリと笑い、ラズベルも「いいわね。あたしも補充しておきたい素材があったのよ」と賛成の意を示す。

 最後尾で優雅に佇んでいたレヴィリアは、扇子で口元を隠しながら、「ふふ、チヅルが選ぶものなら、間違いないわね」と上品に微笑んだ。


 仲間の快諾を得たチヅルは、その依頼書を迷いなく剥ぎ取ると、意気揚々とマリアの待つカウンターへと持っていった。


「あら、この依頼ですか。薬草採取の依頼にしては、なかなかの高額報酬でしょ、これ」


 マリアは手元の依頼書に視線を落とすと、チヅルたちの顔ぶれを改めて確かめるように、ふっと言葉を切った。少しの間を置いてから、どこか含みのある調子で言葉を継ぐ。


「……んー、まぁ、チヅルさんたちなら大丈夫かな」


 その声には、単なる事務的な説明とは異なるニュアンスが混じっていた。チヅルは地図の指定箇所を一瞥すると、その真意を読み取ったようににんまりと笑った。


「採取場所が危険地帯なんでしょ、これ」


「さすが、よく見てますね。薬草採取は通常FからEランク向けが多いのだけれど、その付近では最近、野盗の目撃情報が確認されているの。だからDランク以上で出された依頼なのよ。……でも、リスクの割には報酬が低いということで、受けてくれる冒険者がいなくて、ちょっと困っていたのよ」


「そうなんだ。でも、マーレン近郊で野盗が目撃されるとか、珍しいですね」


 チヅルの言葉に、マリアの表情がわずかに曇った。


「野盗に関する情報がまだ少なくて、ギルドとしても対応を検討中なの。……情報が集まり次第、何らかの依頼が出ると思うわ」


 マリアはそう言うと、チヅルが差し出した依頼書を受け取り、手慣れた動作で受付の台帳に受理の記録を書き入れた。さらさらという羽ペンの音が止まると、彼女は傍らにあった木製の印を取り出し、依頼書の隅に鮮やかな受理印を力強く押し当てた。


 それから、手際よく羊皮紙を丸め、細い麻紐でキュッと縛り上げると、それをチヅルへと差し出した。マリアは顔を上げると、慈しむような眼差しをチヅルに向けて静かに告げた。


「はい、確かに承りました。……くれぐれも気をつけてくださいね」


「わかりました! じゃあ、ランチを食べてから伺いますね」


 チヅルは元気よく手を振り、仲間たちの元へと戻った。


***


 天頂の鐘が鳴る一刻前、一行はギルド併設の食堂にいた。


 チヅルはマジックポーチから、昨日ギルドマスターから贈られた四枚の木札を、指先で器用に躍らせて見せる。


「みんな、ちょっと早いけどランチにしない?」


「陽7ようななこくにマリアさんのところに行くなら、その前に済ませておいた方がいいわね。……ふふ、日替わりランチ、楽しみだわ」


 お昼時を控え、徐々に席が埋まり始めていた食堂内をチヅルが手際よく見渡し、窓際に一つだけ空いていた四人掛けのテーブルを見つけ出した。「あそこ、空いてるよ!」と手招きするチヅルに続いて、一行はその席へと向かう。


 ラズベルが微笑みながら席を勧め、四人は椅子を引き腰を下ろした。


「あたしはどっちでもいいぜ。……にしても、腹減ったな。せっかくギルドマスターからせしめた木札なんだ、美味しくいただかねーとな」


「チヅルに合わせるわ。……うふふ、なんだか賑やかでいいわね」


 レヴィリアは扇子で口元を隠しながら、楽しげに三人の様子を眺めていた。彼女の紫の瞳には、かつての孤独な放浪者だった頃にはなかった、温かな光が宿っている。


 運ばれてきたのは、マーレン産の新鮮な魚介を使った「翡翠月のブイヤベース」と、焼きたての香ばしいライ麦パン。湯気と共に立ち上る芳醇な香りが、食欲を激しく刺激する。


「いただきまーす!」


 チヅルはスプーンを口に運び、目を輝かせた。魚介の深い旨味とハーブの香りが口いっぱいに広がり、身体の芯から活力が湧いてくる。


 たわいもない会話を交わしながら、四人で食卓を囲むひととき。それは、つい先日のレイド戦や地下空間での苦労を忘れさせてくれるほど、平穏で幸福な時間だった。


***


 天頂の鐘がマーレンの空に響き渡ると、チヅル一行は再び受付カウンターへと向かった。マリアはちょうど最後の事務処理を終えたところだったらしく、彼女たちの姿を見つけると、安心させるように微笑んだ。


「お待ちしておりました、チヅルさん。……準備、整いましたわ。こちらへどうぞ」


 マリアに促され、一行は再びあの落ち着いた個室へと足を踏み入れた。


 マリアは机の上に、ずしりと重そうな革袋をいくつか並べていた。


「では、精算を行いましょう。まず、先日発見された黎明期の古金貨ですが、査定の結果、現行の金貨に換算すると――五百七十三枚相当となりました」


「「「ごひゃくなな……!」」」


 チヅル、ユイ、ラズベルの声が重なる。


 それは、マーレンの一般的な労働者が一生をかけて稼ぐとされる金額の、実に二倍にも相当する。たった一回の探索で手に入る報酬としては、もはや「お宝」という言葉では足りないほどの、天文学的な数字だった。


「五百七十三枚ね。……ふふふ」


 三人が腰を浮かせそうなほどの衝撃に震える中、レヴィリアだけが、涼やかな顔でその数字を繰り返した。その余裕は、彼女が歩んできた時間の重みを感じさせた。


「続きまして、レイド戦の依頼達成報酬、銀貨五十枚でございます」


「おっ、こっちはいつもの感じだな。なんだか安心するぜ……」


 ユイが肩の力を抜いて呟く。あまりに巨大な金額の後で聞く「銀貨五十枚」は、奇妙なリアリティを持って響いた。


「そして最後に――ヴァノス王国からの特別報奨金でございます。あの『大いなる貢献』に対し、王国より金貨三百枚を」


「「「金貨三百枚っ!!?」」」


 再び三人の絶叫が個室に轟いた。古金貨の換金額だけでも腰を抜かさんばかりだったのに、そこへさらに莫大な報奨金が上乗せされたのだ。マリアは苦笑しながら、三人の驚愕が収まるのを待った。


「まぁ、妥当なところかしらね」


 やはりレヴィリアだけは、扇子で口元を隠しながら、他人事のように涼しい顔で呟いた。彼女にとって、歴史的な功績に対する王国の評価としては、ごく当然の対価であるようだった。


「合計で、金貨八百七十三枚と、銀貨五十枚です」


 卓上に並べられた革袋が、鈍い黄金の光を放っているような錯覚を覚える。


 チヅルは早速、指を折りながらリーダーとしての計算を始めた。


「……えっと、今回は一人につき金貨二百枚ずつにしよっか。レヴィ姉、いいかな?」


「ええ、もちろんよ」


「ユイちゃんとラズベルちゃんも、これでいい?」


「異議なしだぜ。……夢見てんじゃねーかと思うけどな」


「あたしも、それで十分すぎるわ」


 分配が決まり、チヅルは残りの数字を指差した。


「余りの金貨七十三枚と銀貨五十枚は、パーティーの共有財布に入れることにするね。これからの装備の新調とか、遠征の費用に使おう!」


「いつも通り、賢明な判断ね」


 ラズベルが頷くと、ユイも「あたしはそれで構わないぜ」と拳を合わせた。


「じゃあ、そういうことで。マリアさん、ありがとうございました!」


「こちらこそ。お役に立てて光栄ですわ。……薬草採取、本当にお気をつけて」


 マリアの慈しむような笑顔に見送られ、四人はギルドを後にした。


***


 翌、木律もくりつの陽3刻を少し回った頃。

 マーレンの北門を抜け、一行は宿場町ワグナーへと続く街道を北上し始めた。

 空はどこまでも高く、雲一つない快晴。翡翠月の穏やかな陽光が、芽吹き始めたばかりの野原を鮮やかな萌黄色に染めている。若草の爽やかな香りが混ざった涼やかな風が吹き抜け、チヅルのポニーテールを優しく揺らした。

 カサカサと乾いた音を立てる足元。徒歩での移動は、馬車での移動とは違った発見がある。


(……うん、いい気分。やっぱり、こうして自分の足で歩くのが冒険者だよね)


 チヅルは大きく背伸びをして深呼吸をした、その時……

 

 チヅルの薄紫色の猫耳が、微かな産毛を震わせて不自然に跳ねた。視界にはのどかな春の野原が広がり、風は甘やかな香りを運んでいる。しかし、その耳だけは、鼓膜を撫でる音の裏側に潜む、僅かな『不協和音』を拾い上げていた。


 チヅルは歩みを止めず、目線だけを動かして周囲を観察する。そして、内心で静かに魔力を練り上げた。


(……仕掛けてみるか)


 チヅルは一切の予備動作なく、出力最大で『魔力探索スクライ』を一回だけ発動させた。


 不可視の魔力の波紋が、チヅルを中心として全方位へと広がっていく。地面を這い、木々の間を抜け、大気を震わせ、周囲の情報を詳細に持ち帰る。


 即座に、レヴィリアが反応した。彼女は涼しい顔を崩さないまま、視線だけをチヅルへと移し、鈴を転がすような声で問いかける。


「ネズミでもいたかしら?」


 チヅルは魔力の波紋が収束するのを確認し、肩をすくめた。


「うーん、半径二百エム以内には、いないかな」


 チヅルの答えを聞き、レヴィリアは扇子を口元に当てて「うふふ」と意味深に微笑んだ。


「ほらぁ、やっぱりあたし、超絶カワイイでしょ。だから、よくあるのよ、こういう不届きな視線を感じることって」


 チヅルがわざとらしく胸を張って大げさに言うと、ユイが心底呆れたような顔をした。


「また突然なにいってんだ、こいつ。……自意識過剰もそこまで行くと芸術だな」


「ふふ、今日もいつものチヅルちゃんだね。平和だわぁ」


 ラズベルがいつものように優しく包み込み、四人は笑い声を上げながら街道を進んでいく。


 しかし、チヅルのワインレッドの瞳の奥には、冗談では覆い隠せない鋭い光が残留していた。


 確かに半径二百エム以内には、怪しい反応はなかった。だが、そのさらに先――魔力探索の限界距離付近で、霧のように曖昧で、けれど確実に「異質な何か」がこちらを窺っていたような感触が、掌に僅かな熱となって残っていたのだ。


(野盗……なのかな。それとも、もっと別の……)


 チヅルはその思考を一旦切り離した。今はまだ、推測の域を出ない。


 やがて一行は整えられた街道を外れ、東方向へと続く細い獣道のような小道へと足を踏み入れた。生い茂る草木をかき分けながら、目的地である薬草の群生地を目指す。


「さて、そろそろ薬草採取の時間だよ。しっかり稼ぐよ、みんな!」


 チヅルの元気な号令が、静かな森の入り口に響いた。

 春の陽光に照らされた四人の背中が、木漏れ日の影の中にゆっくりと消えていく。

 これから始まる穏やかなはずの依頼が、どのような波乱を呼び込むのか。

 港湾都市マーレンの郊外に、新たな冒険の予感が静かに満ち始めていた。


『翡翠月の邂逅』、最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます!

平穏な薬草採取の最中、チヅルが感じ取った予感。

その真相は、今はまだ謎のままですが、この物語は一旦ここで幕を閉じます。

チヅルの新たな旅路は、また別の作品として皆様にお届けできれば幸いです。

いつか、物語の世界で再びお会いできる日を願っております。

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