8
***
『おい、オースティン…お前か?』
『なぜあの男がお前を殺そうとしない?!』
『オースティン!お前!どういうつもりだ!』
『あー。ばれた?』
『よし!じゃあリゼは私が連れていくから、早くアレを始末しといてくれ!』
――――――――
『リゼーーー!』
リゼリアは、夫の悲痛の叫びを聞いて、鉛よりも重たく感じる瞼を必死に力を入れて開けた。一定のテンポで自分の体がほんの少し揺れている。オースティンがリゼリアを抱えて笑顔で爽やかに走っていたのだ。身体中に鳥肌が立って一瞬息ができなくなった。毒を吸わされてから体はまるでリゼリアのものでないかのように動かなくなり、激しい痛みにも苦しめられたが、かろうじてエリオットたちの会話だけは一部始終聞いていたのだ。
(まさか、黒幕がオースティンだなんて…。)
ボスからは依頼人はあくまで第一王子派の単独行動だと聞いていたため、まさかあの‘国の主人公’と呼ばれる第一王子が暗殺に関わるどころか積極的だとはリゼリアは思いもしなかった。
「起きたか?」
ふとこちらを見たオースティンと目が合うと、彼は走る歩幅を狭くしてリゼリアに優しく問いかけた。
リゼリアは恐怖を携えながらやっとのことで声を出す。
「…お、…おろ…し、なさい…!」
「急に口調が変わったな。それが本物のリゼリアか?いいな。それも興奮する。もう少しで私の部屋に着くから…解毒薬を飲ませるからそれまでの辛抱だ」
「お、お願、い…エリ…オ、ット殿下、を、ころ…さない、で」
「無理だ。邪魔だから」
優しい笑顔を崩さないまま、リゼリアの渾身の頼みを吐き捨てる。そして部屋へ行く足は決して止めなかった。
オースティンの部屋に着いた。大量の本が書棚に並んでいて、これだけ見れば勤勉な王子という印象しか抱かないだろう。ベッドにリゼリアを寝かせ、オースティンもその近くに座る。
「血をたくさん吐いていたよな…?どこから出血してたんだ?治療をするから教えてくれ」
「痛むところはないか?大丈夫か?私がリゼリアを助けよう」
「え、ルを…助け、て…」
「無理だ。嫌いなんだ」
一見相手のことを心配しているようだが、その実、自分が相手を救うという事実を欲しがっているだけでその中に愛情も思いやりも、何も含まれていない。
(この男…狂ってるわ)
オースティンはリゼリアの懇願に聞く耳を持たず、忘れていたとばかりにたくさんの瓶が並べられた棚から一つの小瓶を取り出した。
「ただでさえ白い顔がより一層白くなってしまって。可愛想で見ていられない。ほら、解毒剤だ」
飲むと確かに体の中の赤血球一つ一つについていた重りが全て落ちたかのように体が楽になった。それでもまだ体は思うように動かせず、普通の会話をするので精一杯だった。
(エリオットがボスに勝てるわけないわ…!あと少しすれば体も動き始めそうだし、それまでにできるだけ有利な情報を集めておかないと…)
オースティンの態度を見るにすでに自分の勝利を確信しているようであった。ここでいう勝利とは王座の確約、そしてリゼリアの略奪。エリオットはボスに始末されるだろうし、そうすればリゼリアはオースティンの妻として新しく迎え入れることができる。彼の勝利は目前。だからこそ、本人も気づかないうちに気が緩んでいるようだった。
(ネタバラシ…という体で私に情報を話すかもしれない)
怒りと焦りで乱れる心をどうにか落ち着かせ、オースティンの方を見る。
「なぜ、ボスが王宮に入って来れているんでしょうか?」
オースティンはリゼリアの思惑を見透かしたが、自分の勝利に酔ってつい調子よく話してしまった。
「正義というのは便利だ。悪を懲らしめるためなら、何を得ても、何をしてもいいんだから。」
リゼリアの頭に舞踏会が思い出される。
(舞踏会の中で小耳に挟んだ。第一王子の誕生日プレゼントは悪徳商人の密輸経路を記したものだって…まさか。)
「この王宮の中にある王族でさえ知らないような経路を把握して、そこからボスを忍び込ませたのですか?」
「それだけじゃない。王族会議で、労働環境改善と称して使用人と衛兵の勤務時間と人数を削減させた。そのお試し版で、王族会議中に君がエリオットを殺してくれることも期待してそこら一帯に使用人が来ないように配置したんだけれど…、」
オースティンは眉を下げリゼリアを憐れむような目で見つめる。
「リゼはできなかった」
「…で、ですが、今日の夜、王宮の外であれだけ騒いでも人が来ないというのは、人員配置の不徹底を咎められていたのでは?」
「悪いのは、居眠りをして間抜けに殺されていった衛兵たちさ。私がやったのは、衛兵たちを家に帰らせないほど働かせて、睡眠時間を減らしたくらいだ」
「そ、そんな…王宮の外の衛兵は少なくとも30人は超えるはずです…なんの罪もない人たちを…あなた方のために忠誠を誓って働いている方々をそのように殺したというのですか?!」
「忠誠を誓っているんだったら、私のために喜んで死んでくれるだろう?」
王宮ですれ違った時と同じような人当たりのいい笑みを浮かべながらオースティンは言う。自分が正しいと信じて疑わないそんな表情にリゼリアは不気味さを感じた。しかし、まだ体を動かすことができない。両手の感覚が戻りつつあるがまだ痺れるようで動かすことは難しかった。
不意にオースティンが座っていた椅子を降りて、リゼリアに目を合わせるようにしゃがんだ。
「リゼ」
甘く優しい声をかけて、リゼリアの横たわるベッド、彼女の顔の横にオースティンもコテンと頭を置いた。
「私は君のことを愛しているんだ!」
そして体もベッドの上に乗せる。
「邪魔者はもういない。今こそ契りを交わそう!」
オースティンの手がリゼリアの頬を伝う。リゼリアは必死の思いで唇を逸らす。
(エリオットが悲しむ…でも、ようやく腕が動かせるようになったのに、体を起こすなんてまだできない)
リゼリアは一つの決心とともに、女神のようなやわらかな微笑みを、オースティンに示し口を開いた。




