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「夫婦喧嘩ですか?どうせなら…死んだ後にごゆっくりどうでしょうか?」
素晴らしいアイデアだとばかりに、キラキラした表情でこちらを銃の標準越しに見つめるボスに、2人とも背筋に悪寒が走った。けれど決して武器を持つ手を緩めようとはせず、ゆっくりとエリオットを隠すようにリゼリアは前に出て、ボスの方をじっと睨みつけていた。
「エル。私が囮になるから、合図をしたらその隙に逃げて」
「は?!な、何を言っているんだ!」
「大丈夫よ。私強いから」
ボスは不気味な笑みを浮かべるだけ浮かべて、弾を打ってこなかった。銃は決して下ろさないけれど、近づいてくることもなかった。まるで、死刑囚の最後に与えられる懺悔の時間のような気がして、嫌な予感しかしなかった。
(早く…彼を逃がさなきゃ)
「だからと言って、お前をここに残して逃げるほど弱い人間じゃ…」
「私、貴方のこと、殺しにきたの」
困惑と焦りの滲むエリオットの言葉を遮って、リゼリアは、告白した。
自分が暗殺者で、今まで何度も汚い仕事をやってきたこと。キスも、それ以上のことだって暗殺のためにしてきたこと。
「私は汚い人間なの。貴方の愛するリゼは偶像に過ぎないのよ…!分かったら早く私のことなんて置いて逃げ…」
「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」
エリオットの青色の瞳から大粒の涙がポロポロと溢れる。彼女の腕をしっかりと掴み、決して離そうとしない。涙を拭うことも瞬きもせず、ただリゼリアを見つめ続けた。鼻水まで垂らして、端正な顔立ちが台無しになってしまっている。
「……なんで即答するのよ!少しは困惑なさいよ!貴方を殺そうとしてたのよ?!」
「君が好きだから!」
「だから、貴方を殺そうとしてたんだってば!そんな女を手元に置くほどバカじゃないでしょう?!いいから早く逃げて!」
「君になら僕は殺されてもいい!でも…絶対に君と離れたくないんだ!」
バァン!
懺悔の時間の終了を告げるように、 2人のすぐ隣を一つの銃声が駆け抜けていった。
「もういいでしょう。私にも次の仕事がありますから、そろそろ処分したい」
ボスは新しい弾を装填し、その標準を、リゼリアの後ろに見えるエリオットの頭に合わせた。その瞬間、エリオットの前にいたリゼリアが姿を消した。ボスから習った暗殺技術だ。敵の焦点を見極め、自分がその焦点から外れた瞬間を狙うことが暗殺の極意だと。
リゼリアは銃を構えるボスの右腕にナイフを当てた。
「動かないでください。動いた瞬間ボスの右腕を、切ります」
ボスはきょとんとして、自分の右腕と、目の前でたった一本の薄っぺらい剣を持って立ちすくんでいるエリオットを交互に見つめる。エリオットは大声でリゼに逃げるよう声がかれるほど叫んでいた。
「…いや。大丈夫そうですね」
瞬きひとつせず、銃の引き金にかけていた指を引いた。それと同時にエリオットは倒れた。リゼリアは、動いたら腕を切り落とすという宣言も忘れてエリオットのところに駆け寄った。
「エル!!!」
左腕に銃弾が掠ったようだが、そこまでの傷では無かった。ただ問題なのは、王子の精神力が、そこらの赤ん坊よりよわっちいことで、血がほんの少し滲んでいる程度で、辞世の句(だいたい字余り)を読み始めるレベルであることだ。
立ち上がるよう急かすリゼリアに体を容赦なく叩かれながら、エリオットは左腕から搾り取ってようやく出てくるような血液を示して、弱々しく言った。
「あぁ…リゼ。ごめんな…僕はもうだめだ…こんなに血が出てきてしまっている…」
「貧弱すぎる!!!殿下…?今私たちは命の危機に迫っているのよ?!そんなこと言ってる暇じゃ…」
「で、でも怖いんだ!あの男、圧がすごいし…それに、いつになったら衛兵達がくるんだ…この銃声で気づか、な…」
エリオットがリゼリアの膝枕から起き上がろうと、目を開いた時、上から大量の血が落ちてきた。リゼリアが血を吐いていた。そしてその後ろには髭の生えた男が足音も聴かせずいつの間にかすぐ後ろに立って、白かったハンカチで彼女の口を押さえていた。
「毒か…」
「おや…ポンコツ王子と聞いていましたが、これが何かはわかるんですね。えぇ。ハンカチに毒液を染み込ませました。銃や剣で殺せれば手っ取り早かったんですが、彼女は物好きに引き渡す予定なので、綺麗な状態にしておかないと…」
男は眉を下げ、少し名残惜しそうな表情で、血のついたハンカチをひらひらと広げる。リゼリアの体は、エリオットの方にゆっくりと倒れた。
支えようと触れた肌がいつもの彼女ではなかった。
「リ、リゼ?リゼリア…?」
返事はない。周りは暗闇に包まれ、その中で彼女の真っ白な肌はよく見えた。口周りに彼女の肌の色では決してない色がついているのを見て、エリオットの息は荒くなっていく。
(死んだ…?リゼが…?そんなはずはない!リゼは僕より長生きするって約束したから…)
「っ、え、衛兵ーー!衛兵!どこだ!助けろーー!」
大きな王宮にはもちろん、一定間隔で衛兵が複数人配置されている。練習場におらずとも、この近くにいるようならば、先ほどの銃声や、声でこちらに集まるはずだが…、いくら呼びかけても衛兵どころか人1人来ない。目の前では鼻歌まじりに銃の手入れをしながら、こちらに銃口を向け続けている男。エリオットは、冷たくなってきたリゼリアの体を抱きしめながら、自身の死の覚悟をした。
「リゼ…リゼ…僕のリゼリア…」
「かわいそうに。返事もしない死人に話しかけてしまって…」
「っこのっ!」
さすがはポンコツ王子と言ったところか、明らかな挑発にもすぐに反応してしまう。しかし、リゼリアを決して離死はしないからボスに飛び掛かることはできない。どうするべきかとたじろぐ表情が顔全体に出ているエリオットを鼻で笑うようにしてゆっくりと銃口がエリオットの頭部に近づいていく。
「最期に言っておきたいことはありますか?」
‘すぐに忘れるでしょうけど’という言葉も付け加え、ボスはいつもの質問をした。
世界で一番愛してる妻が血を吐き、今まさに自分も殺されようとしているその瞬間、エリオットの頭の中にあったのはやはりリゼリアのことだった。
息をしているかも分からないリゼリアの体に顔を近づけ優しく頬を撫でながら、彼女の閉じた瞳をじっと見つめて言った。
「愛してるよ」
声を裏返しながら大の男とは思えないように惨めに涙を落とすエリオット。体全体がカタカタ震え、ボスへのせめてもの抵抗のように、決してリゼリアから目を離そうとはしない。並大抵の人間であったら、少しは愛する人との別れの時間を与えてやってしまいそうなほどのワンシーン。不幸だったのは、相手が10年以上育てた子供達を使えなければ、すぐに処分してしまう男であるということだった。慈悲という言葉など、彼の世界には存在しない。エリオットの惨めな姿にひとつも心が揺れることはなく、ボスはエリオットの頭部に焦点を当て、まさに指をかけようとしたその瞬間。
「止め!」
空を切り開くような声が、夜の暗闇に響いた。




