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(おかしい…おかしい…!)
今まで一度も任務に失敗したことなどないリゼリアは、生まれて初めてのことに頭が混乱していた。いつも通り2人仲良く同じベッドで寝る。エリオットが眠っている間に、彼の心臓を一突きする…はずがどうしても、心臓の真上にピタリとつけたナイフを動かすことができないでいた。時計は十二の針を指している。かれこれ20分この調子だ。
(落ち着いて。リゼリア。まさか3年の間にこの男に絆されたというの?そんなまさか。この私にかかれば、こんなポンコツ男の心臓の一つや二つ…やっぱりできない!)
王族会議の時、あのお茶会の時間も絶好のチャンスだったと言うのに、あれだけ殺る雰囲気を醸し出してたのに、未だリゼリアはエリオットに傷をつけることができないでいた。(※結局普通にベリーのタルトを呑気に2人で食べていた。)
(だ、だって、流石に3年も一緒にいたんだから、手紙来てすぐに、はいグサー、ってできるほど私は非情じゃないわよ!)
心の中を整理して、意を決して腕に力を込めようとしても、筋肉に力が入らない。目を閉じて、集中しようとしても頭の中に浮かんでくるのは、エリオットとの思い出ばかり。
――――――2年前――――――――
「おーい!リゼー!見えるかーー??」
「はーい!よく見えますよー!」
訓練場のエリオットから30メートルは離れた場所で、エリオットの剣術訓練を応援していた時のこと。(※訓練場の近くは危ないし、臭いから遠くにいて欲しいと言われたため)
愛しの婚約者に見守られ、いつもの空を眺めながら適当に棒を振り回している王子とは別人ではないかというほどの勢いで素振りをしまくるエリオット。その太刀筋は定まっておらず、力任せに刀を振っているだけではあるが、恋人にいいところを見せると息巻く王族に、『その素振りくっそ下手っすねw』と言えるような勇気を持ったものは、騎士団にはいなかった。
(何よ。あのふにゃふにゃの太刀筋。絶対普段真面目に練習してないわね)
リゼリアは気づいていたが。
「さすが、オースティン殿下!」
訓練場のもう一方で騎士達の感嘆の声が上がった。
視線を向けると、第一王子オースティンが、騎士団の数人に囲まれている。ふいに目があって、軽く会釈をする。
(……さすが、としか言いようがないわね)
彼が軽く剣を振るだけで、騎士達が感嘆の声を上げていた。王国の神童、文武両道の完璧王子といわれるだけあって剣術にも粗がない。
流れるように美しい剣筋。力任せではない、無駄のない動き。
(だけど、)
「おーい!リゼーー!!聞いてるかーー?」
エリオットの叫び声に、リゼリアは視線を戻した。
「はーい!聞いてますよー!!」
「よーし!じゃあここで僕の特別スペシャルな技をリゼリアに見せてあげよう!」
「本当ですかー?嬉しいですー!」
エリオットは一つの藁人形の前に立って、深く息を吸って吐くその姿だけは、仙人のそれである。
頭の位置を低くしてへっぴり腰のその準備体勢を見て、騎士団一同は揃って嫌な予感を察知し素早く端の壁に張り付く。
「いくぞー!ロイヤル・セイント…アルティメット・スラーーーッシュ!」
(こっちの方が断然面白いわ)
なぜか下から上に剣を振り上げ見事に剣は宙を舞う。そして、離れて見ていたリゼリアのいる方向へと剣が飛んでいく。
「リ、リゼ!リゼリアーーー!」
それに気づいたエリオットはすぐにリゼリアの方へと向かうが…遅かった。
剣が飛んだ瞬間、訓練場の端にいたオースティンの視線が鋭くなって、反射的に数歩踏み出す。
ポト。
しかし剣は放射線を描き、リゼリアからは程遠い地面に突き刺さるのを確認してその足を止めた。
そもそも、いつもまともに訓練もしない軟弱者が30メートルも剣を飛ばせる訳がない。リゼリアも含めて、エリオット以外のほぼ全員が、リゼリアの安否の心配ではなく、この国の行く末の心配をしていた。
(仮にもこの国の王子があの藁人形一つ切るどころかかすりもしないなんて…逆にすごいわ)
しかし、エリオットは剣がリゼリアから10メートルは離れていようと、駆け寄って涙ぐみながら傷はないかと確認する。泥まみれの手袋を脱ぐのも忘れて、けれどリゼリアの白い肌に触れる時はガラス細工を触るかのように優しく確認した。
「リゼ…!大丈夫か?ごめん…!本当にごめん…君を危ない目に遭わせてしまった…」
「え、えぇ。大丈夫よ?本当に。剣はここまで届いてないし…」
(というか、顔に泥塗りたくられたことの方が大丈夫じゃないんだけど…)
「そうだけど、僕は君に何かあったら生きていけない。…絶対に君を守るから」
鼻を啜りながら、ついには一滴の涙まで流すエリオットに、リゼリアは困惑で口を開くこともできなかった。
暗殺用の人間として育てられてきた彼女には、自分のために泣くことのできる人間がいることなど知らなかったのだ。
リゼリアは今まで数えきれないほどの人数を暗殺してきた。自分は汚れた人間で、たとえ死んでも社会のゴミが一つ消えて逆に喜ばれる存在だと理解はしていたが、自分の死を悲しむ人がいないと言う事実に孤独を感じていた。
リゼリアは、自分の肌に触れるエリオットの手が泥に塗れていることも気にせず、エリオットを抱きしめる。
「リ、リゼ?!やっぱりどこか怪我したのか?!早く医者に行こう!」
「違うわ…ふふ」
「…ん?」
「ねぇ。エル?私が死んだらお葬式で泣いてくれる?」
(もうすぐ、私が彼を殺すのに、私ったら何を言っているのよ)
自分の暗殺対象に向かって矛盾した質問だと分かってはいたものの、なぜか聞かずにはいられなかった。
するとエリオットは、やっと治ってきた涙をまた流し始めて、まるで捨てられる恋人のように縋りつき、叫んだ。
「…嘘でもそんなこと言わないでくれよ…!それに、泣いてなんかやらないからな!?君が死のうとしても、絶対に死なせないから!死ぬ時も一緒だから!」
「死のうとしても死なせてくれないの?ふふっ。それは面倒な男に捕まってしまったわね」
「え?!わ、別れないからな?絶対に!」
「えぇ。別れないわよ」
(あなたを殺す、その日まで)
そんな後付けは、この時リゼリアの頭に入ってもいなかった。彼女の頭の中で、エリオットという男がただのチョロい暗殺対象から変わった瞬間だ。
――――――――――――
この時から、リゼリアには前兆があったのだ。彼女が暗殺のことを忘れ、挙句恋愛に走ってしまうという彼女のボスにとって最悪のシナリオが。一つボスにとって幸運だったのは、リゼリアは、エリオットへの恋愛感情を今のところ理解できておらず、任務を遂行しようとはしているということ。
殺せはしないが。
(き、今日はおいしくもないお菓子をたくさん食べさせられたせいで頭が正常に働いていないのよ!そうに違いないわ!別に暗殺の期限は書かれていなかったし、殺すのは明日でも、大丈夫でしょう…)
―明日やろう…明日やろう…そんな日々が続いた。
そして、とうとうボスがそれを勘づいた。
「…リゼリアが戻ってきません。もう1ヶ月経ったのですが」
「はい。ボス」
トン トン トン トン
一見穏やかな老紳士に見えるボスと呼ばれる男は、不機嫌そうに指を動かしていた。
孤児たちを暗殺者にしたてて金を稼いでいたボスにとって、リゼリアは一番の稼ぎ頭だった。それが今になっての唐突な裏切りとも思える行為。彼の脳裏に浮かんだのは、この3年の間に、リゼリアが暗殺以外のことを考えるようになってしまったのではないかということ。ただでさえ裏社会でターゲットを必ず仕留めることで、技術に定評のあるリゼリア。彼女の暗殺が女の武器を使ったものだから、稼げる時間には限りがある。第二王子の暗殺には膨大な時間が必要だったが、その見返りが相当なものだったから引き受けた。しかし、それでも3年という期間は決して短くなく、この仕事を終えた後、ボスはなるたけ早くリゼリアを次の仕事へと向かわせたかった。
すでに催促の手紙は送っている。にも関わらず、王子が殺されたというニュースが耳に入らないということは、暗殺が失敗したか、そもそも暗殺をしていないか。
もし、後者だったならば、暗殺者としては役に立たない。回収した後の行方は――
「美少女の解剖実験をしたがる悪趣味な貴族を見つけておいてください」
「かしこまりました」
「まぁ、王子への警備が厳重で暗殺を仕掛けられてないだけかもしれません。一度私が見に行ってきましょう」
「了解いたしました」
ボスの隣に表情ひとつ変えず直立不動の使用人は、まだリゼリアと同じくらいの年だろう。そして、ボスは彼のことを‘欠陥品’と呼ぶ。暗殺教育に耐えきれず心を壊した、欠陥品。
「いやぁ、しかし。残念です。リゼリアも、欠陥品だったんでしょうかね」
ボスの表情は、変わらず穏やかな紳士の表情そのもの。
カツーン… カツーン… カツーン…
不穏な靴音を鳴らしながら、リゼリア達の元へと向かった。




