Episode 35 :【紫煙と共に現れた男】
――こうして、雨津星さんに案内されるまま、いくつもの部屋や施設を巡り歩いた末に、俺はようやく〈A.E.G.I.S〉本部観光ツアーの終着点へと辿り着いた。
……なのだが、目の前に広がる光景を見た瞬間、俺は言葉を失った。
なぜなら、そこには――本当に、何もなかったからだ。
無機質でサイバーチックな壁に囲まれた、異様なまでに広い閉鎖空間。
例えるなら、オアシスのない砂漠。
あるいは、虚無という言葉が相応しい場所だ。
「……あの。本当に、ここで合ってるんですか?」
目の前の光景が信じられず、雨津星さんと鳳紫さんに尋ねてみる。
だが、2人は「そうだけど?」と言わんばかりに、ポカンとした表情を浮かべていた。
どうやら、場所を間違えたわけではなさそうだ。
「ここは、〈A.E.G.I.S〉が誇る立体映像実体化技術を用いた、〝イメージトレーニングルーム〟だ!
《ネスト》と対峙した場面を想定し、実戦さながらの訓練を積む場所だ!」
「……《ネスト》?」
「いちいちフルネームで呼ぶのは面倒だからな! 俺はそう呼んでいる!」
「あ、はいはい。ウチも呼んでますわ」
名前の略し方に、妙な一体感を見せる2人。もしかして、公式的な略称なのか?
ともかく、どうやらこの場所は、本当に何もないような、空っぽの部屋というわけではなさそうだ。
――ウィイーン……。ガコンッ。
直後、向こう側のエレベーターのドアが開いた。
そこから現れたのは――黄色いネクタイが目を引く、無表情で煙草を咥えた、スーツ姿の男。
石膏像のように白く無機質な顔で、まるで幽霊のように生気を感じさせず、不気味な印象を受ける。
そんな男が、まるで吟味するかのように、俺をジッと睨みつけながら、ゆらりゆらりと近付いてくる。
「おや? 凛太郎君。君は今日、半休のはずでは?」
「ああ。貴様のせいで、台無しにされたがな。
『出会ったばかりの少年を、新たな特殊構成員として、〈A.E.G.I.S〉に引き入れることになった』……。
そんな報せを受けて、無関心・無警戒でいられるほど、俺は愚かではない」
現れて早々、雨津星さんに悪態をつく男(雨津星さんは〝りんたろう〟と呼んでいた)。
いきなりの登場でも驚かれないのだから、〈A.E.G.I.S〉関係の人間であることは、間違いない。
……しかし、態度のトゲが強すぎて、仲間というより、もはや敵の方が近い。
「ナッチャン、ナッチャン。
あの辛気臭い男は、鳴宮凛太郎っちゅーんやけどな?
無表情で鉄仮面みたいな顔しとるけど、中身はロジハラ大好きな、ヒエヒエキーンな冷たい奴なんやで。気をつけなっ」
すぐそばの鳳紫さんが、こっそり耳打ちしてくる。
その瞬間、ふわりと漂った、柔らかな香りが、鼻先をくすぐった。
香水のような刺激はなく、洗濯したての布団のように、どこか温もりを含んだ優しく穏やかな香りに、思わず脈動が少しだけ速くなる。
「いちいち煩い女だ。
生まれも育ちも関西ではないクセに、耳障りなニセ方言をベラベラと」
「あぁん!? なんやて!?
この関西弁が、ウチのチャームポイントやっちゅーねん!」
「学生時代は、それでよかったかもしれないが、いつまでも過去に縋るのは情けないな。
とても、30歳を目前にした女とは思えない」
「むっかーっ! 言わせておけばなんやねん!」
歯に衣着せず、言葉のナイフを投げつけまくる鳴宮に、鳳紫さんが勢い任せに突っかかる。
その様子から察するまでもなく、2人は犬猿の仲らしい。
……俺からすれば、「どちらも大人げないな」としか思えないのだが。
こんな人達と同じ職場で、俺はこの先大丈夫なのか? 少し不安になった。
「つーか、ナッチャンはまだ未成年なんやから、今くらいは煙草吸うのやめときや!」
「断る」
「即答!?」
「俺は指示待ち人間ではないからな。自分の行動くらい、自分で――」
――ヒュオッ!
風を切る音。
次の瞬間、鳴宮の手から、煙草が消えていた。
……見えた。いや、はっきり目に映った。
それは鳴宮も同様だったようで、異変に動じることなく即座に反応し、視線をある一点へと向ける。
その、感情が宿っていない、濁った瞳の先にあったものは――代わりに煙草を持つ、雨津星さんだった。
「……何のつもりだ」
「ハハハッ、油断したな! 凛太郎君!
とりあえず、これは没収!
喧嘩両成敗ということで、ここは一件落着! なっ、朱音君!」
「……両成敗っちゅーのは、ちょっと引っ掛かるけど……まあ、それでええよ」
雨津星さんは豪快に笑いながら、手の中の煙草を握り潰した。
パチッと火が消えると同時に、場の空気もすっと落ち着いたように感じた。
……成程。
まだ漠然とはしているが、この組織における人間関係や力関係などが、少しずつ読み取れてきた気がした。
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(鳴宮 凛太郎)
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<次回予告>
「――それで? これが例の少年か」
「仮に貴様が言うように、実力が申し分ないものだとしても、この少年には、実戦経験が欠け過ぎている。
未熟な戦士など、足手纏いでしかない」
「この少年は、典型的な、試験の結果がいいだけの、優等生気取りだ。
自分の力を過信し、現実が見えていない。おまけに、他人を簡単に信用するお人好しと来ている」
次回――Episode 36 :【判決は、煙草の吐息と共に】




