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コーヒーと理由  作者: 月舟 蒼
第一章 堀田悠真1

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9/11

1−9 部室

 悠真は生徒会室に行く前に 「すいません。十五分くらい遅れます」とLINEで中田さんに連絡していた。

 実際は十分遅れだったが、遠くからも中田さんが待っているのが分かった。中田さんも悠真に気付き、首のあたりで小さく手を振る。

「すいません、遅れました」

「大丈夫大丈夫。――じゃあ行こうか」と言って大学側に歩き出した中田さんに悠真が慌てて訊く。

「どこに行くんですか?」

「部室だよ。朝に言ったよね?」

 言われた気もするが、気持ちが高ぶってしまって覚えていない。

「えーとすいません、何部でしたっけ?」

「それはまだ言ってないよ」と言って中田さんはふふっと、笑う。「文芸部だよ」

「文芸部……」

 何をする部だったかなと考える。

 部室棟の前に立つ。これが大学の建物か。初めて入る。周りにはちらほら私服の人たちがいる。制服を着た中高生は一人もいない。

「本当に入っていいんですか?」

「いいんじゃない? 大学って結構そういうの緩いんだよ。ましてうちの附属高校の生徒なら問題ないでしょ。交流なんてよくやるし」

 そういうものかと思いながら、中田さんに続いて部室棟に入る。

 三階の一番奥だった。

 中田さんが扉に付けられた機械を操作している。たぶんナンバー錠だろう。

 部室の中は、中央あたりにテーブルがあり、その両側に長ベンチが置かれていた。壁伝いは全て本棚になっていて、いろんな本が並べられていた。

「文芸部って何するところなんですか?」

「小説を読み書きするところ、かな?」

「中田さんも書いたりするんですか?」

「実は今月入ったばかりで、まだ何もしてないんだ」

「今月入ったばっかりって……中田さんって何年生ですか?」

「三年生。もうすぐ四年生だね」

「え? そんな時期に入れるんですね」

「まあ、あまりいないけどね。大きい声では言えないけど、本当の目的は文芸じゃなくて――」と言って中田さんは部屋の奥に置かれた棚を指差した。

「デ、ロ、ングヒ?」

「デロンギ! エスプレッソマシン!」

 中田さんって「そういう子」なんだ。意外な一面を見た気がする。

「あ、今もしかして呆れたでしょ?」

「いえ。エスプレッソが飲めるから入部したんだと思って少し親近感が湧いただけです」

「先輩としての威厳が落ちちゃったかな?」

 中田さんは少しいたずらっぽい笑顔をする。かわいいなと思っている自分に気付く。

「でもほら、私文学部だし、そういうのに無関係ってわけでもないんだよ」

 悠真はははっと少し笑った。

「じゃあさっそく」

 そう言って中田さんは悠真に体全体を向ける。

 あ(・)の(・)笑顔をする。

「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」

 ふふっと少しはにかんで悠真は応じる。

「メニューはありますか?」

 ハッと気づいて中田さんが近くにあった紙に文字を書き殴る。

 

・エスプレッソ(ストレート) 0円

・カフェラテ 0円

・カプチーノ 0円

 

「え? タダでいいんですか?」

「いいえ、お客様。メニューをよく見てください。ちゃんと0円払ってくださいね」

 そう言って中田さんはニヤっと歯を見せて笑った。あのカフェではたぶんしない表情だ。

 改めてメニューを見る。

「エスプレッソ、ストレート、というのは?」

「ミルクなども入れない濃いコーヒーのことですね。量もだいぶ少ないですけど」

「ちょっと面白そう。じゃあそれにします」

「承りました。では0円になります。お支払い方法はどうなさいますか?」

 0円でQRコード決済も変かなと思い――いや、現金でも変なんだけど――「現金で」と答える。

 差し出された中田さんの手のひらに「0円」を乗せる仕草をする。僅かに指先が触れる。

「では、えーっと席に座ってお待ちください? かな?」

 急に言い方が変になる。

「あのカフェじゃそんなシチュエーションにならないですからね」と言って悠真が笑う。

「じゃあ、ちょっと作ってくるね」と言って中田さんが機械の方に歩いていく。

「本当にタダでいいんですか?」

 機械を操作しながら中田さんが続ける。

「うん、いいよ。先輩の奢りってことで」

「ありがとうございます」

 数分後、中田さんはマグカップを二つ運んできた。

「実は私エスプレッソのストレートは初めて」

「ちょっと意外です」

「そう? ほら、もともとコーヒーよく飲むわけじゃないし、ましてエスプレッソはね」

「店員さんなのに?」

「作り慣れてるってだけで、飲んだことないメニューもあったりするんだ」

 そういうもんかと思いながらカップを取って口に近付ける。目だけ上げると中田さんと目が合う。

「あ、これは」悠真は反射的に顔を歪める。

「苦いね」中田さんも文字通り苦笑いをする。

「やっぱり入れるか!」と言って中田さんは立ち上がる。「カフェラテにしてみる?」

「はい、お願いします」

 また棚の方に向かう中田さん。冷蔵庫を開け閉めする音がする。手にしているのは、牛乳だ。

 銀色の容器に牛乳を入れ、エスプレッソマシンから伸びる細い管を差し込んでいる。シューッという音が部屋に響く。

 背を向けてその操作をしながら、中田さんが訊いてきた。

「堀田くんはさ、好きな子いないの?」

 少し離れているので声が大きめになる。

「いませんよ」俯きながら小声で付け加える。「今は」

 温められたミルクが入っていると思われる銀の容器を持って、中田さんが戻ってくる。

「ちょっと貸して」と言って悠真のカップを手に取る。ホットミルクを注ぎ、カップの底をキッチンペーパーでさっと拭く。手際の良さに見惚れてしまう。

「はい」

「ありがとうございます」

 そう言ってカフェラテをテーブルに置く中田さんを見上げる。

 あの笑顔がある。ああ、これだと思う。俺の好きな笑顔。月一万円を払ってもいいと思った、あの笑顔。

「『今は』ってどういう意味?」

 そう言いながら中田さんは自分のカップにもミルクを注いでいく。

「聞こえてたんですね」

「うん。前は好きな人がいたってこと?」

「まあ、その、はい」

 拓斗には言ってしまったし隠すことでもないかと思う。

「同級生とか?」

「今はクラスは違いますけど、一年の時は一緒でした」

「そっかあ。――なんで『今は』なの? もう好きじゃないとか?」

「向こうに彼氏ができたんですよ」

「ああ、それは……」中田さんが少し気まずそうな顔をする。「ごめんね、変なこと訊いて」

「いやいや、中田さんが気にすることじゃないですよ。それにもう気持ちの整理はできているので。あれは――恋じゃなかったかもしれないですし」

 それを聞いて中田さんは何か言おうとして一瞬口を開いたが、すぐに口を閉じた。

「ちなみにどんな子?」

「興味ありますか?」

 中田さんはニコッと微笑む。

「うん、興味ある。堀田君はどんな女の子が好きなのか。――あー言いたくなければいいんだけど」

「べつにいいですよ」花蓮のことを思い出す。「その子は、東雲(しののめ)っていうんですけど、バレー部でいかにも元気少女って感じですね。声が大きくていつも笑ってて、うるさいくらいにLINEよこすし、荷物はいつもぐちゃぐちゃだし、空のペットボトルそのへんに置きっぱにするし、一言で言えばガサツなやつです」

 話している最中からどんどん中田さんのニヤニヤ度が増していくのが分かった。

「堀田君、今でも好きでしょ?」

「そ、そんなこと、ないです」

「慌てる姿もかわいいなあ」

「だから、からかわないでください」

 急に中田さんは押し黙り、悠真の目を凝視する。大きな丸い目。急に身動きが取れなくなる。

「つらい……よね」

 そう言って悠真を凝視する目に優しさだけではない何かが混じる。

「私ね」急に中田さんはニカっと歯を見せて笑った。「ホットミルクになる!」

「え? 何言ってるんですか?」

「ほらこのホットミルク」悠真のカップを指差す。「苦いエスプレッソも、ホットミルクを注げば、こんなに飲みやすいカフェラテになる。堀田君のホットミルク。略して堀田ミルク。なんちゃって」

「何言ってんですか」急に笑いが込み上げてきて我慢できなくなった。

 発作が遠のくのに少し時間がかかった。

「中田さんってそんなことも言うんですね。すいません、ツボっちゃいました」

「やっと笑ってくれたね」

 そう言われて気付く。最近あまり笑ってなかった。少なくとも、中田さんの前では。

 中田さんは、すごいな。

「ま、とにかくさ、何かあったら相談してよ。せっかくの縁だし、実のお姉さんだと思って頼ってくれていいからね」

「ありがとうございます。カフェラテも美味しかったです」

「じゃあ、帰ろうか」

「はい。片付けは俺がやります」

 そう言って空になった二つのカップをトレイに載せた。

 体がぽかぽかしてきたのは、カフェラテのせいだけではなかっただろう。

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