1−3 偶然
かれこれ悠真は机の前で一時間もぼーっとしていた。まさか中田さんに話しかけられるなんて。
数学の問題集を開いているが、全く手は進んでいない。さっきまでのことを何度も思い出していた。
*
バスが団地に入った。
三つ目のバス停に来た時、何人かが降りていった。その中に中田さんもいた。
「じゃあ、またね、高校生君」
右手を軽く振っている。
そこには『あの』笑顔があるのだ。
「あ、はい、また」
その声は中田さんに届いただろうか。
*
何度も何度も反芻してしまう。
これは恋なんだろうか。
世間的には恋と言ってもいいのかもしれないが、高校生の自分には大それたことのようにも思ってしまう。
ふと手元のスマホを手に取り、LINEを開く。
拓斗からメッセージが来ている。今から……一時間以上前だった。
拓斗:おす。どうだ、恋の行方は?
相変わらず遠慮のないやつだ。
悠真は反射的に文字を打ち込んで送信した。
悠真:だから恋じゃないって言っただろ
画面をじっと見つめたが、すぐには既読にならなかった。
そこで少し逡巡した後、送信取消を押した。改めて文章を打ち直す。
悠真:どこからが恋なのかな
一瞬躊躇ったが、送信を押した。
一分ほど画面を見つめていたが既読にならなかったので、馬鹿らしくなって画面を閉じてスマホを机の上に置き、ベッドに飛び込んだ。
今日はいろんなことを考え過ぎた。これ以上、余計なことは考えず、目を閉じよう。
ほどなくして悠真は眠りに落ちた。
*
翌朝のバス。
もう中田さんのバス停は分かっていた。もしかしたら乗ってくるかも、と期待したが、考えてみれば学生なのか社会人なのかも分からない。悠真が勝手に大学生っぽいと思ってただけだ。社会人かもしれない。社会人なら遅過ぎる時間だし、大学生なら早過ぎる時間かもしれない。いや、そもそもどんなタイムスケジュールで生活してるかなんて分からないんだから――
「よ、高校生君」
え? つり革を握る手が一瞬で汗ばむ。
左に顔を向けると――夢ではなかった。
「な、中田さん」
「あれ?私の名前知ってるんだ」丸く大きい目が宙を舞う。「あ、そうか、名札か」
「す、すいません。勝手に見ちゃって」
「いやいや、見せるために付けてるんだから。面白いね君」と言って中田さんはふふっと笑った。
「あーでもよく間違われるんだけど、ナカダじゃなくて、ナカタ、ね」
「す、すいません」
「名札だけじゃそりゃ分かんないよね」
そこで悠真は重大なことに気付いた。自分は名乗っていない。
「あ、あの、俺は、堀田悠真って言います」
「堀田君ね。私は中田実莉。いつもお店に来てくれてありがとね。って言っても私はただのバイトだけど」
中田さんはニコっとする。悠真は心の中で溜め息をつく。
どうしてこんなに自然に笑顔が出せるんだろう。その笑顔が自然であればあるほど胸がきゅっとなるのは何故なんだろう。
「もしかして堀田君、白楓大附属高校の生徒さん?」
高校生というのは制服でどこの高校か常に宣伝しながら歩いているようなもので、考えてみれば恐ろしいことだ。
「はい」
「私も白楓大なんだ。じゃあ、同じ敷地だね。どっかで会ってたかもね」
え? 悠真は急にそわそわしてきた。
「大学もそのまま白楓大に来るのかな?」
「あ、はい。たぶんそうなると思います」
中田さんがいるなら絶対に! そんなこと口が裂けても言えないけど。
そんな会話を交わしていると、バスは終点に着いてしまった。
前の人から順に降りていく。
悠真も中田さんの後ろをついていく形で降車した。
次の瞬間、もしかして学校近くの駅まで一緒に行けるかもと思っていた自分が急に恥ずかしくなった。
これは恋じゃない。きっと違う。
「じゃあまたね、堀田君」
いつもの笑顔を見せながら軽く手を振った中田さんは、バス停前のベンチに座る男性のもとに小走りて駆け寄っていった。




