2−5 綻び
それから半月ほどがたち、中間テストも終わったころ、カフェに寄った。
数日前のLINEで中田さんがいることは分かっていた。
店に入ると中田さんはレジに立っていた。
しかし一目見て分かった。何かがおかしい。
悠真の前には二人の客がいた。その接客する姿を見て違和感の理由が分かった。ずっと目を伏せている。客の目を見ない。
悠真の番になる。やはり視線は落とされたまま。声も小さい。
「あ、悠真君、ご注文は?」
悠真をチラっと見ただけでまた視線を落とした。
悠真は何も言えずにブレンドコーヒーを頼む。
コーヒーを受け取って席に座る。
遠目から見ていてもやはりおかしい。こんな中田さんを見るのは初めてだった。
悠真は水のセルフサービスコーナーの隣に座っていた。席に座って三十分ほどたった時、中田さんがそのコーナーにやってきた。チラっと見てみると、紙コップを補充しているようだった。その顔には生気がない。
「実莉さん?」
俯いて無表情でコップを置いている。
「実莉さん?」
二度目の呼びかけで、中田さんはハッとして悠真の方を向く。
「あ、悠真君、ごめん。呼んだ?」
「実莉さん、大丈夫ですか?」
「え?」
「何かありましたか?」
「え? あ。私、そんな変な顔してた?」
悠真はコクリと頷く。
その瞬間、中田さんの目から涙が流れ出るのが見えた。
「え? あ、ごめん、あれ? いや、なんでもないから」
そう言って中田さんは慌ててスタッフルームに入っていった。
少しして中田さんがレジに戻ってきた。
目が少し赤い。
客がいなくなったところで悠真はバームクーヘンを一つ取ってレジの前に立った。
決済を済ませた後、中田さんに話しかけた。
「実莉さん、今日は一緒に帰りましょう」
「……でも、今日は私閉店までだから、無理しなくていいよ」
「大丈夫です。親には連絡しておきます。終バスに間に合えば何も言いませんから」
そう言って中田さんの目を強く見据える。
少しの沈黙があったが、中田さんは、
「分かった。ありがとね、悠真君」とだけ言った。
*
悠真と中田さんは二人並んでバス停に向かって歩いていた。
中田さんは俯いていて何も話さない。
悠真も何も言わない。
バス停に着く。
悠真が口を開く。
「バスまで結構時間ありますね。あそこに寄っていきませんか?」
そう言いながら道路の向かい側のコンビニを指差した。
「うん」
中田さんは小さな声で返事をした。
コンビニに入ると中田さんは一瞬固まったが、すぐにレジに向かって歩き出した。
何を買うのか、悠真には何となく分かっていた。悠真もいくつか商品を手に取り、レジに並んだ。
決済を済ませて、店の外に出た。
あいにくこのコンビニにイートインスペースはなかったが、店の前には簡素なベンチが置かれていた。中田さんはそこに座っていた。
悠真も隣に座った。
二人とも手にはコーヒーが握られていた。
「ブラックですか?」
「うん」
「俺もです」
再び沈黙が下りる。
一口二口、二人とも黙って飲み続ける。
苦味と温かさが身体に染み込んでいく。
先に口を開いたのは中田さんだった。
前を見たまま話し始めた。
「私は、考えが甘いのかな」
「そんなことないです」悠真も前を見たまま返事をする。
「私は、現実が見えてないのかな」
「実莉さんはいつも現実を見ています」
「私は、知性が足りないのかな」
「実莉さんは、いつも知的です」
悠真は中田さんの方に顔を向けた。
中田さんの綺麗な横顔がある。そして、目から一筋の涙が流れ出るのが見えた。
「私は……笑顔で……誤魔化してるのかな」
「実莉さんは、いつだって実力で乗り越えてきました。笑顔はその証です」
「が、学部生は、求められてるレベルが、低くて……楽、なのかな」
中田さんも悠真を見た。目から流れ出る涙を、もう隠そうとはしていなかった。
「私の笑顔は……イライラ……する……のかな?」
「実莉さんは――」
悠真は中田さんの目を見つめた、力強く。言葉が伝わるように。
「俺は実莉さんに救われました。嫌なことがあっても、苦しいことがあっても、実莉さんの笑顔を思い浮かべれば、何でもできる気がした。俺は実莉さんの笑顔が大好きです」
中田さんは静かに悠真を見て、黙っている。
「実莉さんは、頑張ってても苦労を見せない。自分がつらい時も周りには気付かせないで、いつも笑っている。笑顔は努力の証です。だから、実莉さんの笑顔を見ると、みんな力をもらえるんです。みんなそれを分かってる」
また一つ、中田さんの目から涙が流れ落ちる。
悠真はコーヒーの蓋を開けた。
「俺にとってもコーヒーは『憧れ』で『絆』です。実莉さんへの、そして、実莉さんとの。――でももう無理はしないことにしました」
そう言って悠真はレジ袋から牛乳を取り出してコーヒーの中に注いだ。一口飲んで、
「やっぱりこの方が飲みやすいし、美味しいです。だから俺にとって、コーヒーは実莉さんとの絆だけになりました」と言った。
それを聞いて、中田さんは泣いたままニコッと笑った。
「私も、それ、ちょうだい」
中田さんも牛乳を注いで一口飲む。
「確かに、美味しいね。私もこっちの方がいい」
中田さんは静かに笑い出した。
「あ、あれですね、『堀田ミルク』」
「そんなダジャレ、忘れていいよ」
悠真も自分が泣きながら笑っていることに気付いた。
二人は目を合わせたまま、声を出してしばらく笑い続けた。




