2−4 就活
中田さんは相変わらず就活が忙しく、ずっとバイトには出てこなかった。でも悠真も素直に「バイトはいつですか?」と訊けるようになっていた。
だから無理に中田さんを探してカフェに寄ることはなかったし、逆にいなくても何となくコーヒーが飲みたくなったら寄るようになっていた。
五月の中ごろ、中田さんからLINEが入った。
中田:「明日は久しぶりにバイト行けることになったよ」
悠真:「じゃあ、実莉さんにもらった割引券の最後の一枚、使いにいきますね」
中田:「あれまだあったんだ笑」
翌日の放課後、生徒会の仕事が立て込み、少し遅い時間になったが、中田さんは遅くまでシフトが入っているということだった。
店に入ると、レジは知らない店員さんだった。最近入ったばかりの女性の店員さん。まだ少しぎこちない。中田さんは奥で飲み物を作っていた。その合間に新人の店員さんに時折アドバイスをしているのが見える。
今日はカプチーノを頼んだ。最後の割引券。
店員さんの名札を見る。田所さん。注文の受け方はやや慣れない感じがしたが、しっかり目を見て対応してくれて、印象は良かった。そこまで考えて、悠真は自分は何様だろうと思い苦笑した。
受取口で待っていると、中田さんがカプチーノを持ってきてくれた。
「これは初めて?」
「はい、最後の割引券なので、どうせだから冒険してみようかなって」
中田さんはふふっと笑って何か言おうとしたが、次の注文が入ってそちらに駆けていった。
席につき、一口飲む。カフェラテと大した違いはないように思えた。強いて言えば少し苦みが強い。カフェラテとの違いをスマホで検索しようとして、やめた。そこからは勉強に専念することにした。
中間テストも近かったので少し根詰めて勉強をしていた。ハッと気付いて時計を見ると、夜の九時を回っていた。
「しまった」と独りごちた。
九時のバスを逃すと次は四十五分後だ。さすがに親が心配するので事情をLINEで送る。
それにしてもさすがにお腹が空いてきた。レジ脇の軽食コーナーを見やるとサンドイッチがまだ残っていた。出費は痛かったが我慢ができなかった。
レジに向かう。
中田さんが対応してくれた。
「食べ物買うなんて珍しいね」
「ちょっとバス乗り遅れちゃって」
決済処理をしながら中田さんが口を開く。
「9時45分のバスで帰る?」
「はい」
「私も九時半上がりだから、一緒に出ようか」
彼氏がいると分かっていても、気持ちが自分にないと分かっていても、嬉しく思ってしまう。
ん? 嬉しい。嬉しいよそれは。でも恋心とは無関係だ。無関係な……はずだ。
「はい。じゃあ、そのころになったら、外で待ってますね」
「うん」
店から出てきた中田さんは、またあの黒いリクルートスーツだった。中田さんは普段から落ち着いたスカート姿が多いので大きく雰囲気が変わるわけではないが、やはりスーツはカチッとしていて、大人な雰囲気が強くなる。
「やっぱりスーツ姿も似合いますね。かっこいいです」
「ふふ、ありがとね。でもね――あ、とりあえず歩こうか」
そう言って中田さんはバス停の方を指差した。
横に並んで歩きながら中田さんは続けた。
「もうこのスーツ姿も当分見られなくなるかも!」
とても嬉しそうだ。
「え? じゃあもしかして――」
「うん! 内定もらえた!」
「おめでとうございます! すごいです!」
中田さんは誇らしげに微笑んでいる。「しかもね、二社同時だったの! 一昨日と今日最終面接だったところなんだけど、さっき続けて連絡があってね」
「すごいです! ちなみにどんな会社ですか? そういえば聞いたことなかった」
バス停に着いて列に並ぶ。
「金融系を受けてた。文学部だけど歴史系だから、出版社って感じじゃないし、もう学部との繋がりは考えないことにした。社会の仕組み全体が見える世界がいいかなって思って金融になった」
「なるほど。世界の歴史を見てきて、社会の仕組みっていうのは関連性があるかもしれないですね」
「だよね! それで面接でもそんなこと話してたらね、結構受けが良かったの」
「面接官の方の気持ち、分かる気がします。実莉さんとの話は、なんか楽しいんですよ。それでいて知性も感じる。一緒に働きたいって思わせるものがあるんだと思います」
「ずいぶん褒めてくれるね、ありがとう」
そう言いながら中田さんはふふんと誇らしげに笑った。
バスに乗り、隣同士に座る。
「周りの人たちはどうですか? そろそろ内定もらい始める頃なんでしょうか」
「自慢じゃないけど……私が最初かも」
中田さんは少し照れくさそうに笑う。
「やっぱりすごいです、実莉さん」
「でもね、就活って何なんだろうっていっぱい考えたよ、この数ヶ月」少し目を伏せて続ける。「学部で何を勉強したかってことよりも、面接で雰囲気が良かった人が受かってるんじゃないか、なんて思えてきて。なんかね、口八丁だけで内定もらえたんじゃないかって」
「でも、それを含めての就職試験なんだと思います。『一緒に働きたい人』を探す場なわけですから。話しててそういうのも伝わるんだと思います」
「そか。ちょっと安心した。なんか申し訳ない気持ちもあったから」
そう言って中田さんがニコっと笑う。
「俺、実莉さんのその笑顔が好きです。いつも前向きで、どんなことも乗り越えていけそうな、周りの人にも力を与えられるような」
中田さんの大きな目はさらに大きく見開かれた。
「ありがとう、悠真君。実を言うと最近結構追い詰められてたんだ。――悠真君って結構大人びたところもあるよね」
「そうですか? ――でも実莉さんの本心が聞けて少し嬉しいです。いつも笑顔でいるだけじゃないんだなって」
「そっか、私ってそんなふうに見えてたんだ」
バスが団地に入る。
「俺にとって」悠真は中田さんの目を見据えた。「実莉さんはずっと憧れだったんです。いや、今もそれは変わらない。ただ最近、憧れだけじゃない等身大の実莉さんが見えてきた気がして、それがとても嬉しいんです」
はあ、と中田さんは少し溜め息をつく。
「悠真君が急に大人っぽく見えてきちゃった。なんか悔しいな。かわいい後輩だと思ってたのに。私も頑張んなくちゃ、立派なお姉さんでいられるように」
そう言ってふふっと笑う。言葉とは裏腹に嬉しそうだ。
中田さんが立ち上がる。
「じゃあ、またね。本当に遅いから気を付けてね。――あ、そうそう」
中田さんは鞄の中を探ると、「はい、これ」と何かを手渡してきた。
よく見るとそれは割引券の「束」だった。
「これで来なくなっちゃったら寂しいからさ」
悠真は少し笑った。
「割引券がなくても行きますよ。でもありがとうございます。助かります。――実莉さんも気を付けて。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
バスから降りていく中田さんを、悠真は目で追った。
窓から外を見ると、中田さんは優しく微笑みながら悠真に手を振っていた。




