2−2 黒髪
しかしその日、カフェに中田さんはいなかった。
その次の日も。次の日も。一週間以上たっても現れなかった。
もしこのまま会えなかったら……。
会えなかったらどうなるんだ? 中田さんは俺にとって何なのだろう。恋ではない。恋であってはいけない。じゃあ、東雲のような友達? 友達というのも違う気がする。じゃあ、先輩? 先輩であることには違いないけど。
スマホでLINEの画面を開く。
悠真:「実莉さん、カフェにいなかったですね。次のシフトはいつですか?」
送信ボタンを押す。
五分たっても既読がつかない。
三十分後にまた開いてみるが、既読はまだついていなかった。送った自分の文字をじっと見つめる。「次のシフトはいつですか?」。俺は中田さんの何なのだろう。次のバイトはいつか、そんなことを訊いてどうするんだ。訊ける立場にさえないじゃないか。
送信取消を押す。
それ以上何も考えたくなくて、スマホの電源を切って布団をかぶった。
*
翌日の放課後、拓斗を待つこともしなかった。
もうカフェに行くのもやめようかな。俺は何をやっていたんだろう。
そんな思いで校門を出ようとしたところで黒いスーツを着た黒髪の女性の後ろ姿が目に入った。何となく通り過ぎようとすると、クルッとその人は振り返った。ふわっと香るシャンプーの匂いに懐かしさを覚えた。
「悠真君!」
中田さんだった。
「そろそろ出てくるかなって思ったんだよね」
幻を見てるんじゃないかと思った。
「どうかしたの?」
悠真は耐えきれずに背を向けた。込み上げてくるものをあの呪文で押し込める。「これは恋じゃない、これは恋じゃない」。
「昨日、LINEで何か送ろうとしたでしょ? 消した跡があったから。何となく、直接話した方がいいのかなって思ってね」
クルッと中田さんの方に向き直る。
「髪、黒くしたんですね」
「うん、変かな?」
「ううん。素敵です、似合ってます」
中田さんは悠真の目をじっと見つめた。「本当にどうしたの?」
「何でもないです。――それより、今日はスーツですか?」
「うん。今就活中でね。なかなかバイトにも行けなくて」
「そういうことだったんですね」安堵の溜め息が出た。
「あれ、もしかして私がいなくて寂しかった?」
中田さんは冗談めかして笑いながら言った。
でも悠真は何も言えなくなって俯いてしまった。
「悠真君、今日はこの後暇?」
「はい、特に何もないです」
「じゃあ、ちょっと付き合ってもらっていい?」
*
カフェのある駅ビルの地下の一角だった。
「コーヒー豆?」
「そう。どうせだからさ、いろんな豆試してみたくて」
「一袋二千円! 結構しますね」
「でも一杯あたりにしたら百円もしない。あのカフェの方がずっと高いよ」
「確かに」
「じゃあ」中田さんはディスプレイされている豆を見ながら店員さんを呼ぶ。「これと、これと、これ、ください」
「結構買いましたね」
「これ明日部室に持ってくからさ、一緒に飲み比べしようよ」
「あ……でも」
「もしかしてお金? そんなこと高校生は気にしなくていいよ。先輩が奢ってあげる。あ、でもちゃんと0円、払ってくださいね」と言いながら、中田さんはひひっと笑った。
「じゃあ、一緒に帰ろっか」
中田さんのその言葉に胸がじんわり熱くなる。
「はい」
悠真は微笑んでそう答えた。
*
バスは並んで座った。
「就活どうですか? 大変だって聞きますけど」
「うん。何十社も受けて、どんどん落とされる。時には自分の存在全てを否定されたような気持ちになっちゃうこともある。確かに大変だよね」
「すごいですね。俺は耐えられそうにない」
「でもね、時々優しい言葉を掛けてくれる社員さんもいてね、それで頑張れるんだ」
「やっぱり実莉さんはかっこいいな」
「ふふ、ありがとね」
バスが信号で停まる。エンジン音がしなくなり、車内が静かになる。
「あ、そうだ悠真君」
「はい?」
「心配事があったら、いつでもLINEしてね。気を遣わなくていいから」
まただ。胸の奥から何かが込み上げてくる。
「俺、いつも実莉さんに助けてもらってばかりだ。――俺、頼りないかもしれないけど、実莉さんに何かあったら俺も力になりたいです」
中田さんは静かに微笑む。
「ありがとう。じゃあ、その時は私も遠慮なく相談させてもらうね」




