道成寺 6
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帰りの新幹線の中で、田中は考えたくはなかったが、行方不明の陽向が犯人なのではないかと疑い始めていた。
「心理学では『虐待の連鎖』という現象があります。虐待された子供が他者を虐待する確率が――」
「あほか! ほとんどの子供はな、苦しみながらでも『自分は親とは違う人間になる』って必死に努力して生きてるんや! その子供が将来どうなるかは確率の話やない。環境と人との出会い次第で変わるんや。――俺はそれを断ち切った男を実際に知っとる」
「そうですね……すみません」
「虐待の連鎖言うてもな、あれは好きで真似してるんやない。――人は自分の中に取り込んだ痛みから逃れるために、知らんうちに誰かを傷つけてしまうことがあるんや。せやけど、それに気づいた時――そこからや。連鎖はそこから断ち切れるんや」
「はい……」
重い空気が二人の間に流れた。
「戻ったら山口が支援してる児童養護施設、調べなあかんな」
大倉は車窓の外へ視線を移した。
大倉が言う「連鎖を断ち切った男」とは、小学生の時にボーイスカウトで出会った坂本薫(45)のことだ。
薫の父親は、高知県の田舎で根を張るごろつきだった。肩書きと刺青こそ立派だったが、中身は人に嫌がらせをしては金を巻き上げ、まともな仕事には就こうとしない連中と同じだった。商店街の裏通りで因縁をつけ、建設現場では下請け業者に圧力をかける。気に入らない相手にはしつこく嫌がらせを続け、暴力で黙らせることもあった。
父親が笑いながら人を殺す姿を目にした時――薫の中で何かが崩れ落ちた。
父親が逮捕された時、薫は十歳だった。母親は引き取りを拒否し、薫は大阪の児童養護施設に送られることになった。
カトリック系の団体が支援するその施設では、日曜日にボーイスカウトへの参加が義務づけられていた。
ボーイスカウトは十歳から十八歳の少年少女が参加する教育運動で、野外活動や奉仕を通じて心身の成長を促すものだ。
そこで大倉は薫と出会った。
大倉は施設の子供ではなかったが、両親が古くからのカトリックの家系で、信仰に従い半ば義務のように参加していた。
ある日の活動中、公園の清掃をしていた大倉は、少し離れた場所でしゃがみこんでいる薫に気づいた。手にはこぶし大の石を持ち、蟻の行列を潰していた。言葉もなくその様子を見つめていると、どこからか子犬の鳴き声が聞こえた。
声のする方へ目を向けると、公園の隅に置かれた段ボール箱があった。中には生後数週間ほどの子犬が三匹、身を寄せ合うように震えていた。
「誰かが捨てたんやな……」
大倉が呟いた。
薫は手にしていた石を放り、周囲をきょろきょろと見回し始めた。大倉は黙ってその様子を眺めていた。
薫は太い木の棒を拾うと、空中で何度も振った――段ボールに向かって歩き出し、棒を高く振り上げた。
「あかんで」
大倉はそっと手を押さえた。薫は冷ややかな眼差しで大倉を見つめ、ゆっくりと右手を下ろした。
大倉は子犬三匹の入った段ボールを薫に持たせ、二人で先生の元へ報告に行った。
教会を通して里親募集が行われ、三匹全員に新しい家族が見つかった。
薫は里親の一人から「犬を保護してくれてありがとう」と言われたが、何が起きているのか理解できなかった。何より、自分を善人に変えてしまった大倉に苛立ちを覚えた。
その後、ボーイスカウトの活動資金が盗まれる事件が起きた。
最初に疑われたのは薫だった。もう慣れていた。学校でも「施設の子」という理由でいじめを受け、「犯罪者の息子」「ヤクザの息子」と陰口を叩かれ、まるで汚物のように扱われていた。施設の先生は誰も助けなかった。
「犯人は薫ちゃうで」
大倉が皆の前できっぱりと言った。
「大倉くん、なんで?」
薫を疑う子供が尋ねた。
「だって俺、朝から薫とずっと一緒におんねんで。薫が金庫に近づいたら、気づくはずや」
「じゃあ……誰が犯人なん?」
薫を責めた子が問い返した。
「おまえ、なんで薫を犯人やと決めつけたん?」
大倉の声に、その子供は目を泳がせた。
「……なんや、答えられへんのか」
「違う。うちは前橋先生が薫くんやって言うてたから……」
子供たちの視線が一斉に前橋(27)に向けられた。
「前橋先生、薫がお金盗るとこ、見たんですか?」
大倉は子供ながら、刑事のような口調で問いかけた。
「えっ……」
前橋が言葉に詰まると、大倉は天井を見上げて言った。
「先生、知ってます? この部屋、隠し防犯カメラついてるんですよ」
「えええーーっ!」
子供たちが一斉に声を上げた。
犯人は――前橋先生だった。薫が罪を着せられても否定しないことを知っていたのだ。防犯カメラは大倉のとっさの嘘だったが、信じた前橋はあっさり犯行を認めた。
上の人間が「警察を呼べばボーイスカウトの名誉に関わる」と告げたため、前橋は警察を介さず、自ら職を退いた。
大倉は疑った全員にきちんと謝らせた。
「大倉くん、すごいね! なんで犯人が分かったん?」
「犯人の考えの先、さらにその先を考えなあかん。――分かったかい、明智くん?」
大倉は少年探偵団のような無邪気さを残しつつも、思考はすでに一歩先を行っていた。これがきっかけで、刑事になるのも悪くないと思ったのである。
「余計なことすんなや」
帰り道、公園で薫が大倉に文句を言った。
「余計なことちゃうやろ」
「余計や! 犬の時もそうや。……おまえ、うっといねん」
「……薫。おまえ、疑われたままでええんか?」
「別に……慣れとる」
薫は俯いて答えた。
「そんなん、慣れたらあかんやろ!」
大倉の声が響いた。
「うるさい! 俺に構うな!」
薫は怒鳴り、走り去った。大倉は黙ってその背中を見送った。
新幹線の車窓に映る夜の闇を見つめながら、大倉は幼い頃の薫を思い出していた。 時間はかかったが、薫はいつの間にか心を開いてくれた。
――陽向も、あん時の薫みたいになるな……。
大倉は再び車窓を見つめた。




