定家 2
2
警視庁の取調室は蛍光灯の白い光に包まれていた。
田中は警察病院から連行されたばかりで、病衣の上にグレーのスウェットを着ていた。右肩に包帯が巻かれ、銃創は塞がりつつあるものの完治はほど遠かった。
それでも痛みに顔を歪めることはなかった――目の前に自分を撃った成田がいるからだ。
成田の眼差しはいつの間にか研ぎ澄まされていた。その目つきは大倉を思わせた。
机の上の録音機が赤い光を灯していた。かつてその光を見つめる側だったが、今は自分を監視する生き物のように見えた。
田中は眉を顰め、苛立ちを募らせた。
隣室のマジックミラー越しに、信濃と白須総監が二人の様子を見つめていた。
それに気づいたかのように、田中はマジックミラーを横目で見て不敵な笑みを浮かべた。
その笑みに信濃は目を細めた。
「これから取り調べを始めます。あなたには黙秘権があります。話したくないことは話さなくて結構です。また、弁護士を呼ぶ権利もあります。ご理解いただいた上で話を進めさせていただきます」
部屋の隅で警察官がノートパソコンを操作し、成田の発言を漏らさず記録していた。
「成田さん……その言い方、信濃さんみたいですね」
「そうですか?」
成田は笑みを浮かべた。
「それ……その作り笑い……。やっぱり二人は付き合っていたんですね」
「お陰さまで」
成田が答えると、白須が信濃を一瞥した。
「田中さんはどうですか?」
「私?」
「真島葵とそういう関係でしたか?」
「葵さんと私は何も関係ありません」
田中は険しい表情で即答した。
「分かりました。――では本題に入ります。田中さん、山口静香さんを殺害した動機は、真島葵の指示で少年たちを集めていたと言われたからですか?」
「違います!」
田中は机を叩いた。右肩に鋭い痛みが走ったが怒りの方が勝っていた。
その衝撃に成田の理性が揺らぎ、抑えていた怒りが込み上げた。
「どうして大倉さんを殺した」
「……殺すつもりは……なかった。死のうとした時、大倉さんが止めに入って……」
「真島葵に頼まれたのか?」
声に熱がこもり、理性を失っていた。
睨み合いが続いたが、先に目を逸らしたのは田中だった。深く息を吐き、マジックミラーに視線を向けた。
「……信濃さん、いるんでしょう?」
信濃は何も言わず、田中を見つめていた。
「出てきたら? どうせなら女同士で話をしましょう」
声を張り上げて挑発した。
信濃は田中を見つめながら、隣にいる白須に声をかけた。
「総監、田中さんと二人きりで話をしてもよろしいでしょうか?」
「信濃さん……大丈夫か?」
白須の声には田中を警戒する響きがあった。
「はい。大丈夫です。ですが――非公式の面談ということでお願いできますか?」
白須を見て微笑んだ。
成田と田中が睨み合っていると、ドアをノックする音がした。二人が振り向くと、信濃がドアを開けた。
「失礼します」
今から舞台が始まるかのように一礼する信濃に、田中は待ち構えていたようにフッと笑った。
成田は席を立ち、記録を取っていた警察官とともに部屋を出た。去り際に信濃と目を合わせた。
ドアが鈍い音を立てて閉まった。
信濃はゆっくり歩き、田中の前で足を止めた。机の上の録音機のスイッチを切ると、赤い光が消えた。
「田中さん、お待たせしました。甘いスイーツはありませんが、女同士でおしゃべりしましょう」
信濃は微笑んだ。
真島家では、信濃と成田が帰ったあとも慶之助と梓は苛立ちを隠せずにいた。
「葵はまだ戻ってないの!」
梓は怒声を上げ、雇っている家政婦たちを睨みつけた。
「ま、まだです、奥様……」
家政婦の一人が怯えながら答えた。
玄関から足音が聞こえた。
「ただいま戻りました」
姿を見せるなり梓は蹴りを入れ、葵は玄関に崩れ落ちた。
「すぐに私の部屋に来なさい!」
梓の声は狂気じみていた。
「分かりました……」
葵は身体を起こして俯いたまま部屋へ向かった。
「失礼します」
葵は中に入って扉を閉めた。
「かわいそうに……また暴力を……」
家政婦たちは囁き合った。
背後で扉が閉じられた瞬間、梓は愛おしそうに葵へしがみついた。
「葵……」
先ほどの怒りとは打って変わって、猫なで声で優しく見上げたが、葵は冷ややかな眼差しで汚物でも見るかのように梓を見下ろしていた。
「葵……ごめんなさい……」
葵は梓の髪を力強く鷲掴みにし、無理やり顔を自分へ向けさせた。
梓は着物の帯を外して身体をさらけ出した。そこには葵が受けた以上の傷が刻まれていた。
葵はフッと笑い、傷に覆われた身体を踏みつけた。梓は痛みに震えながらも満足げに笑った。
隣の部屋から慶典が二人の様子を覗いていた。息子と目が合った瞬間、慶典の手が震え、恐怖に押し潰されるように襖を閉めた。
気配だけが残った廊下に、梓の部屋から葵が現れた。乱れた着物を整えると、何事もなかったかのようにいつもの暗い表情で廊下を歩いた。
慶之助が後を追い、葵が自分の部屋に入った瞬間、背後から中に入って扉を閉めた。
「葵……」
慶之助は怒りと戸惑いを見せたが、身体を崩して葵に抱きつき、背の高さを利用して低く身を沈めた。弟の腕に抱き込まれ、重ね襟に入れた右手が身体に触れるたび理性が崩れていった。
「慶之助……」
葵は冷たく狡猾な眼差しで慶之助を見下げた。その瞳には人を操る恐ろしい知性と暗い喜びが潜んでいた。
「葵……空腹で……我慢できない……」
慶之助は辛そうに呟いて唇を重ねた。
「もう少し……もう少し待ってな……」
葵は慶之助の頭を子供を撫でるかのように優しく撫でた。
慶之助は抗うことを忘れ、胸の奥を締め付ける痛みさえ葵から与えられたものとして受け入れていた。気づけば心はとうに奪われていた。




