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黒塚の陰翳  作者: 猫田たい子
第十章
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定家 1

1


 田中の取り調べが本格的に始まる前に、成田と信濃は真島家を訪れた。

 薫の家での一件のあとも、信濃は心の奥に恐怖を抱えていた。それでも、傍に成田がいることで、張りつめていた心は解けていった。

 真島の人間は二人を温かく迎えてくれた。特に慶之助は田中が山口静香を殺害した犯人だと知って大げさに反応した。

「あの田中さんが山口様を……世の中、何が起こるか分かりませんね」

 慶之助は舞台で見せる表情を浮かべた。まるで信濃を操ろうとする仕草だった。

「はい、そうですね」

 全く動じず、作り笑顔を浮かべた。

 信濃は京都の渡辺から葵の母親に似ていると言われたため、化粧をして葵を引き寄せるのもいいかもしれないと考えていた。だが成田は、葵が信濃に執着したり、復讐心から危害を加える可能性を考えて止めた。

 梓が現れて信濃と成田の前にお茶を置いたが、二人は警戒して手をつけずに話に入った。

「慶之助さん、田中さんが能舞台の設計図を取りに来た日のことを覚えていますか?」

「ああ、あれは亡くなった刑事さんが、大阪の一級建築士の方と舞台を見に来る前夜だったと思います」

 慶之助に続いて梓も口を開いた。

「あの刑事さん、田中さんに殺されたんですね。お気の毒に……」

 梓の言い方に二人は一瞬だけ顔を強ばらせたが、すぐに表情を戻した。

「田中さんがなぜ大倉刑事を殺害したのかご存知ですか?」

 信濃が慶之助に尋ねた。

「いいえ、分かりません。なぜそのような質問をされるのかも分かりません」

「ご存知ですよね」

「いいえ」

 慶之助の笑みは崩れず、むしろ挑発的に見えた。

 二人は互いに視線を逸らさず、探るように見つめ合い、一歩も引かなかった。

 成田はそっと信濃の膝に手を置き、「落ち着け」の合図を送った。信濃は深く息を吸い、背筋を伸ばして慶之助ににっこり微笑んで言った。

「分かりました」

「真島葵さんはいらっしゃいますか?」

 成田が尋ねた。

「葵ですか……今日は稽古でございます。午後には戻りますのでよろしければお待ちになりますか?」

「いいえ、結構です」

 成田は葵に信濃を会わせたくないので即答した。

「大倉刑事が亡くなる前に、市立病院で葵さんと会っています。ご存じでしたか?」

 信濃が尋ねた。

「はい、承知しております」

「その件で……葵さんから何かお聞きになりましたか?」

「大倉さんは大阪出身の方で、いつも大阪弁で話されていましたね。葵もこの家に来る前は大阪に住んでいましたので、大倉さんと思わず大阪弁で話したと言っていました」

 その瞬間、信濃は違和感の正体に気づいた。

「お忙しい中、ありがとうございました」

 信濃は席を立ち、一礼した。

「もうお帰りですか?」

 慶之助が見上げて尋ねた。

「はい、お邪魔しました」

 信濃に続き、成田も部屋を出た。


 信濃は真島家の前に停めた車に乗り込み、すぐスマートフォンを取り出して手早くメールを打ち始めた。

「信濃さん、突然どうしたんですか?」

 助手席に座った成田が戸惑いながら声をかけた。

「成田さん、関西弁です! 真島葵は関西弁で大倉さんに話しかけて、それで警戒心が緩んだんです!」

 信濃はそのまま薫に内容を送信した。

「それなら納得できますね」

「きっと大倉さんは息子さんと葵さんを重ねてしまったのかもしれません」

 大倉の優しさがどれほど致命的だったのか二人はすでに理解していた。

「……真島葵に会いますか?」

 成田は慎重に尋ねた。

「それは……田中さんの取り調べが始まってからにします」

「分かりました」

 成田は納得しながら頷いた。刑事としては理解していたが、信濃を葵に近づけたくないという私情を抑えきれなかった。



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