求塚 6
6
薫にとって大倉は幼い頃からの親友であり、今の自分があるのは大倉のお陰だった。だが理不尽に命を奪われ、深い悔しさと喪失感に押し潰されていた。食事も喉を通らず、仕事に集中できず、ただ遠くを見つめる日々が続いていた。
一方、麻希は大倉との連絡を止めてしまった自分を責め続け、後悔を抱えていた。薫の悲しみを間近で見ながらどう支えればいいのか分からず、苛立ちと不安を抱えていた。
二人は心の準備ができず、大倉の葬儀に参列できなかった。
玄関のインターフォンが鳴った。
薫と麻希がドアを開けると、信濃が立っていた。
「薫さん、麻希さん。こんばんは」
信濃は深々と頭を下げた。
「こんばんは、信濃さん……」
二人は信濃を招き入れた。
リビングルームで、三人はしばらく言葉を交わさなかった。
「今日、敦男の葬儀やったんやろ。靖代は行けへんかったんか?」
「はい……。私には行く資格はありません……」
信濃は顔を伏せて答えた。
「……敦男、最期に何て言うてた?」
「大倉さんは……『鳩や……』って言っていました」
「『鳩』か……。あいつ、ずっと蛇のままやなかったんやな……」
薫がため息交じりに呟いた。
「……最後の最後に、田中さんを信じたんだと思います」
信濃は悔しそうに言った。
「田中はどうなるんや?」
「肩を負傷していますので、まだ取り調べができていません。――山口さんを殺害したのは、少年たちを誘拐して殺していたから許せなかったと病院で繰り返し言っているそうです」
「さよか……」
「田中さんが薫さんを襲ったのは、山口さんの遺体が見つかるのを避けるためだったと思います」
「あの女、ほんま腹立つ!」
麻希が怒りを露わにした。
「田中さんは用意周到です。――大倉さんを殺害するために、わざと自殺をほのめかしました……」
「敦男は真島葵を犯人やと思ってたんか?」
「はい……。殺害される前に会いに行っています」
「せやかて、なんで信用したんや……」
「大倉さんは真島葵に会って犯人じゃないと判断されたそうです。――監視カメラには田中さんが山口さんを殺害する映像が保存されていました」
「操ってるんは真島葵や」
「私もそう思います……。でも、そこが不思議なんです。あの大倉さんが、真島葵に気を許したんです」
「それで『鳩』か……」
「はい……」
「敦男に何があったんや……」
薫が悔しそうに呟いた。
「信濃さん、客室用意してるから今夜はゆっくり泊まってな」
「麻希さん、ありがとうございます」
インターフォンが鳴った。
「俺が出る」
薫は席を離れた。
信濃と麻希は言葉もなく、互いの気配だけを感じていた。
遠くから声が響いた。
「信濃さん!」
信濃は驚いて振り向いた。
薫が喪服姿の成田を連れて立っていた。
「成田さん……どうしてここに?」
「連絡あったから、俺が教えたんや」
薫が言った。
「そうですか……」
信濃は目を伏せた。
「なんや二人、喧嘩してんのか?」
「いいえ……」
「信濃さんに避けられています」
成田が薫に言った。
信濃は目を伏せたままだった。
「靖代、もしかして敦男のことで怖なっとんのか?」
「まだ……大倉さんの感触が手に残っていて……。成田さんといると、思い出して辛くなります……」
信濃は自分の両手を見つめながら呟いた。
「それは成田さんのせいやない」
「分かっています……」
信濃の声は震えたが、それ以上は何も言わなかった。
成田が近づこうとしたが、先に麻希が信濃を背後から抱き締めた。
「信濃さんの気持ち、よう分かる。うちもそうやった……」
麻希は女性監禁事件の被害者だった。薫に救われたものの、犯人から受けた行為は今も心に深い傷を残していた。
「麻希さん……」
「うちはな、薫さんと一緒におらん方が――たぶんやけど、当時された嫌な記憶を忘れられる思うねん。せやけど、うちは薫さんと一緒におりたいんや」
薫は麻希に視線を向けた。
「いっぱいカウンセリング受けてな……。そん中で言われたんや。『安全な環境の確保』が一番大切やって。薫さんと一緒におることでうちの安全は守られとる。怖い夢を見ても、目ぇ覚めたらいつも薫さんがおるんや。――その瞬間、大丈夫やって思えるんよ」
「麻希さん……」
目の前にいる麻希は薫の存在によってかつての深いトラウマを乗り越え、今は前を向いて生きている。その強さがまだ心の均衡を失っている信濃とは対照的で、彼女の胸に深く響いた。
麻希はゆっくりと腕をほどき、横顔を見つめて言った。
「大丈夫やで……」
信濃はまぶたを伏せて頷いた。
薫と成田は二人を見つめながら息を吐いた。誰もが言葉を続けなかったが、沈黙の中に優しさがあった。
沈黙を破ったのは薫のお腹の音だった。
「……腹減ったな」
その一言で空気が和らいだ。麻希が吹き出し、信濃も成田も笑みをこぼした。
久しぶりに聞く薫の自然な声に、麻希は胸が温かくなるのを感じた。ここしばらく食事も喉を通らず気力も失っていた薫が、二人の訪問で食欲を取り戻した。
「なんか出前頼むわ。信濃さん、成田さん、先に客室行って着替えとき。――成田さんはうちの弟の服貸したるさかい」
「麻希さん、ありがとうございます」
「薫さん、客室案内してな」
「分かった」
麻希に言われ、薫は信濃と成田を客室へ案内した。
「二人、部屋一緒でもええか?」
薫の問いに、成田は信濃を見て言葉を選んだ。
「はい、大丈夫です」
「ホテルの客室みたいに造ったさかい。部屋ん中、トイレと風呂付きや」
信濃はいつもの元気を取り戻して言った。
「さすが一級建築士ですね」
その言葉に、薫は目を細めて彼女を睨んだ。




