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黒塚の陰翳  作者: 猫田たい子
第八章
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隅田川 4

4


 事件は予想に反して意外なほどあっさり解決を迎えた。島根県にある峡谷橋から飛び降り自殺した青年の遺書によって、ホテル304号室から出た犯人が判明した。

 犯人は畑中《はたなか》岳《がく》(22)。葵に似た雰囲気の青年だった。タイピングで書かれた遺書にはこれまでの詳細が記され、山口静香を殺害して、新大阪で薫を刺したことも書かれていた。

 大倉たちはその遺書を信じていなかった。すでに逮捕されていたホテルの支配人・飯田と秘書の春日に畑中の写真を見せたところ、二人とも「……たぶん、この男だったと思います」と曖昧な返答をした。

 警視庁は遺書と供述を整合するものとして受け取り『青少年失踪事件』の捜査を終結し、公式に解決を発表した。

 捜査一課に信濃が現れ、頭を下げた。

「今までありがとうございました」

「信濃さん、頭を下げるのは私たちの方です」

 田中は頭を下げた。

「信濃、納得してへん顔しとるやん」

「大倉さん、そんなことはありません。捜査も終わって証拠も供述もしっかり揃っています。やっぱり、そういうことなんだと思います」

 信濃の言葉は落ち着いていたが、胸の奥では納得できない思いが募っていた。

「せやな……」

「山口静香の『大切な時』に使う香水が分からなかったのは残念ですね」

 田中は何気なく言った。

「……そうですね」

 信濃は一瞬、素の表情を見せたが、田中の視線を受けてにっこりと微笑み返した。

「信濃さん、今度よかったら……お茶でも行きませんか?」

 成田が照れくさそうに声をかけた。

「はい、成田さん。今から行きましょう」

「えっ? はい!」

 成田は嬉しそうに信濃と仲良く捜査一課を後にした。

 大倉と田中は唖然と二人を見送った。


 信濃と成田は山口邸の能舞台の真下にある「覗いてはいけない部屋」に立っていた。すでにカラクリは解かれ、遺体を保管していた冷蔵設備の電源は切られていた。

 スタンド照明を頼りに、信濃は腕を組みながら何かを考えるように辺りを歩き回っていた。成田はお茶を諦めつつも、その姿を見守っていた。

 鉄の椅子は何段にも重ねられたまま隅へ寄せられていた。山口静香が座っていた鉄の椅子だけが冷たい気配を放っていた。金属の表面は光を反射せず、重苦しい冷気が纏わりついていた。背もたれと座面には言いようのない不気味さが残っていた。

 信濃が身を屈めると椅子は床と壁に長い影を落とし、部屋全体を覆い尽くすかのように広がった。

「成田さん……」

 信濃は椅子を見ながら言った。

「はい……」

「私は時々……上野にある国立西洋美術館に行くんです」

「はい……」

「そこで、展示されている絵画を全て鑑賞するよりも、気に入った一点だけをじっくり鑑賞するのが好きなんです」

「そうなんですか……」

 成田は答えながら今度、信濃を絵画にでも誘おうと思った。

「その一点は……ずっと見つめていたくて……」

 椅子の背もたれに触れた。

「はい……」

「山口さんもこの部屋に飾られた作品をずっと鑑賞していたかったと思います」

「はい……」

「もし、私が山口さんだったら……」

 信濃は椅子に何かあることに気づき、「いつでも観られるように……監視カメラをつけます」と付け加えて、成田を見上げた。

「えっ!」

 成田は驚いて椅子を確認すると、背もたれにわずかな穴の縁があった。

「成田さん、有給は残っていますか?」

「えっ、有給? あっ、はい……」

「明日、一緒に京都へ行ってくれませんか?」

「えっ? 京都? 二人でですか?」

 頭が追いつかず、動揺しながら尋ねた。

「はい、二人でです」

「あっ、はい。えっ、あっ、よろしくお願いします」

 成田は頭を下げた。


 二人は鑑識の新庄に連絡して隠しカメラを回収した。

 信濃とはそこで別れ、成田は新庄とともに鑑識課へ向かった。と同時に、大倉と田中が驚いた様子で駆け寄ってきた。

「成田、どういうこっちゃ!」

「そうですよ! 信濃さんと何をしてたんですか!」

 二人は勢いよく成田に詰め寄った。

「信濃さんとお茶をしていたら『覗いてはいけない部屋』を最後に見ようってことになって……そしたらカメラを見つけたんです」

「成田、おまえが見つけたんか?」

「はい……」

 違うと言いたかったが、信濃からそう伝えるよう頼まれていたので、成田は仕方なく頷いた。

「これが今回、鉄椅子の背もたれに仕込まれていた隠しカメラです」

 新庄は証拠袋に入った小さなカメラを大倉と田中に見せた。手のひらに乗るほどの機器は、精密機械というより部品の塊のようだった。

「これ、カメラか?」

「大倉さん、これほど小さいと外からは中身が分かりません。内部にフラッシュメモリがついていることもあれば、映像が直接サーバーに送られる場合もあります。ただ、完全に電源が落ちていると、データが残っているかは分かりませんね」

「じゃあ、どうやって映像を確認するんですか?」

 田中が尋ねた。

「もし内部に何も残っていなければ、映像は外部のサーバーに送られている可能性もあります」

「新庄さん、よろしくお願いします」

 成田は頭を下げた。

「ああ、成田さん。信濃さんと旅行を楽しんで」

「大倉さん、田中さん。事件も解決したので明日から三日間、有給休暇を取ります」

「はぁ? 有給?」

 大倉と田中は驚いた。

「では、失礼します」

 成田はニコニコしながら立ち去った。

 カメラにも驚いたが、成田と信濃の旅行にはそれ以上に驚いた。



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