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黒塚の陰翳  作者: 猫田たい子
第八章
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隅田川 2

2


 朝方までに地下にあった遺体は全て回収され、警視庁のモルグへ運ばれた。法医学的検証のために解剖が必要とされたが、数が多いため一部は都内の病院や臨時の収容施設へ分散搬送された。

 警察は山口静香の邸宅を完全に封鎖し、敷地の周囲には警視庁の捜査員が配置された。広大な敷地内では捜査員たちが行き交い、屋内では鑑識が細心の注意を払って証拠の収集にあたった。

 山口静香の遺体に加え、さらに五十一人もの遺体が発見されると「青少年失踪事件」は瞬く間にメディアに取り上げられ世間は騒然となった。事件の詳細が明らかになると、報道陣は「『美少年』誘拐事件」としてセンセーショナルに報じ、次々と衝撃的な見出しを掲げ連日報道した。

「美少年誘拐事件、衝撃の真相! 資産家・山口静香、恐るべき裏の顔」

「不明少年たち、静香の手にかかる! 失踪の裏に隠された恐怖とは?」

 報道は次第にショー化していった。

 やがて「少年たちが真島能楽堂の慶之助と葵に雰囲気が似ている」と伝えられると、事態は予想外の方向へ転じた。能楽に関心のなかった人まで二人の美しさと気品に惹かれ、舞台に足を運ぶようになった。メディアは話題をさらに煽り、世間の関心は次第に事件の本質から離れ、二人そのものへと移った。

 約一か月後、山口邸で働いていたシェフの東が警察に自首した。それを皮切りに、誘拐に加担していた秘書の春日やホテルの支配人も次々と警察に足を運び、ようやく解決に向けて動き出した。


 山口に目をつけられた青年は304号室に宿泊していた。睡眠薬で眠らされた後、303号室から現れた犯人にスーツケースへ押し込まれ、カラクリ箱のドアを通って移動した。

 犯人の一人はホテルの支配人で、スーツケースに入った被害者をリネン室のエレベーターに乗せて地下へ運んだ後、待ち伏せしていた春日の車で運ばれた。

 山口邸に到着するとシェフの東がスーツケースを受け取り、眠っている被害者を冷凍室に閉じ込めた。その後、東は肝臓を取り出して調理した。料理は山口の指示で満月の晩餐会に提供されていた。

「食べていたのは奥様だけです」

 春日の証言に続き、シェフの東も取り調べで食べたのは山口だけだと語った。

 それを聞いて田中は胸の奥で安堵を覚えた。

「スーツケースに、被害者入れてた奴は誰や?」

 大倉が支配人に尋ねた。

「知りません。――ただ、被害者に似た男です」

 犯人は毎回被害者になりすましてホテルの部屋を悠々と出て行った。

 大倉はその犯人が葵だと感じており、山口殺害も薫の殺傷も葵の仕業だと考えていた。


 成田は『覗いてはいけない部屋』の発見で大きな注目を集めたが、その功績が一人の手柄として報じられることに違和感を覚えていた。関わったのは事実だが、周囲は自分だけを英雄視して苛立ちを感じた。警察内部の女性たちは理想の男性として評価したが、成田自身はその注目を面倒に思い、できるだけ無視した。

「成田さん、モテますね。――最近かっこよくなったと思いませんか?」

「なんや、田中。おまえ、成田にドキドキするんか?」

「大倉さん、それセクハラですよ。異性を素敵だと思うのと、それを感じるのは違うんですよ」

「なんやそれ」

 大倉は笑った。

「お疲れ様です」

 信濃が長山を連れて捜査一課に入ってきた。

「ああ、信濃さん、長山さん」

 田中が挨拶した。

「長山さんが大倉さんと田中さんにご挨拶したいそうです」

「この度は奥様が大変ご迷惑をおかけしました」

 長山は深々と頭を下げた。

 山口静香の死後、広大な資産と所有していたホテル群は、遺言に基づき弁護士によって迅速に整理された。不動産やホテルの経営権は売却手続きが進められ、事件の影響で慎重な対応が求められたが、弁護士たちの手腕により資産は適正価格で譲渡され、買い手との契約は匿名で結ばれた。その後、国内外の企業に順次渡り、山口の名を残す痕跡は消えていった。

 長山は山口の夫に仕えていた執事で、夫の死後も山口邸に残って献身を続けてきた。山口は感謝を込めて多額の資産を遺したが、長山はそれを自分のものとせず、全て被害者遺族に渡すことを決めた。「山口家の名のもとに、この金が不正に使われることはない」と誓い、主人の罪に気づけなかった自らの無力さを抱えながら行動した。

「長山さん、北海道へ引っ越されるそうです」

 信濃が二人に言った。

「はい。甥夫婦が一緒に暮らそうと言ってくれましてね。――北海道でのんびり年金生活を送るつもりです」

「北海道って行ったことないけど、ええとこなんやろうな」

 大倉が笑みを浮かべた。

「はい。――大倉さん、田中さん、お元気で」

 長山は丁寧に頭を下げた。

「あっ、信濃さん、長山さん!」

 成田が手を振りながら嬉しそうに入ってきた。

「ああ、成田さん。最後にお会いできてよかったです」

 長山は微笑んで言った。

「もう落ち着きましたか?」

「ええ……。人の噂も七十五日とは……このことですね」

「よかったら、今から三人でお茶でもしませんか?」

「成田さん、お誘いありがとうございます。ですが、時間がありませんので、またの機会にお願いします」

「長山さん、行きましょうか」

 信濃は長山を連れて部屋を出たが、成田は二人の後を追った。

「大倉さん、信濃さんと成田さんって、本当に付き合っていますか? 今の信濃さんの態度を見たら、そうは感じられないですね」

「知らんがな」

 大倉は席を立って三人を追った。

「あーあ、私、また仲間外れだ……」

 田中は悲しそうにぼやいた。



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