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黒塚の陰翳  作者: 猫田たい子
第七章
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大江山 4

4


「成田、おまえ、どこ行っとったんや?」

 夕方、捜査一課に戻った成田に、大倉が声をかけた。

「聞き込みですよ」

「時間、かかりすぎちゃうか?」

「聞き込みの途中で喧嘩に遭遇して、止めに入っていたんです」

「そうか、大変やったな」

「大倉さんは、今日はどうでしたか?」

「……なんて?」

 大倉は不意打ちを食らったように言葉を失った。

「大倉さんは、今日はどうでしたか?」

 背筋を伸ばし、大倉より頭一つ高い長身で必死に笑顔を作る姿は、緊張を誤魔化そうとしているのに自然と圧を放っていた。

「成田、おまえ……大丈夫か?」

「えっ?」

「おまえ、信濃みたいになっとるで」

「大丈夫です。お疲れさまです」

 成田は肩をすくめ、背を丸めて駆け足でその場を離れた。

「なんや、あいつ」

 大倉は、その背中を見送りながら呟いた。

 成田は人の気配がない場所まで歩いていき、壁にもたれながら深呼吸をした。

「やばいやばいやばいやばい……俺、大丈夫かな……」

 呼吸を整えていると、ふと薫の言葉が脳裏をかすめた。

『今、俺が信用できるんは、長山さん、靖代と成田さんだけや』

 あれだけ信濃に邪険な態度をとっていた自分を、彼女は推薦してくれた。それが意外でもあり、素直に嬉しかった。

「いつか、ちゃんと信濃さんに謝ろう……」

 自分に言い聞かせ、もう一度深呼吸をしてから歩き出した。


――三時間前。

 山口邸の能舞台で、成田はスマートフォンを手に、信濃と長山と舞台の確認をしていた。画面の向こうでほとんど指示を出していたのは薫だった。

 薫が注目していたのは、舞台奥に設えられた鏡板だった。松の絵は継ぎ合わされた八枚の板に描かれていた。

「板が八枚か……。靖代、壁に手をあててくれへんか?」

 成田が持つスマートフォン越しに、薫の声が響いた。

「はい」

 信濃は壁にそっと両手を当てた。

「なんか違和感ないか?」

「そうですね……」

 信濃は板を押したり、体重をかけて横に動かそうとしたが、びくともしなかった。

 だが――向かって左から二番目の板を上へ押し上げようとした瞬間、手のひらにわずかな浮きを感じた。

「あっ、この板、上にずれそうです」

 信濃の言葉に長山と成田がハッとした。

「その鏡板やな……。どんなカラクリなんや……」

 薫はため息交じりに呟いた。

 三人は鏡板を見つめた。今はまだ開かない扉の前で、いつの間にか四人の思いは一つになっていた。


 田中は最近、信濃に苛立ちを募らせていた。真島家の能舞台を無断で撮影していたあの日から、信濃が自分を見つめる目つきが薫と同じようで、目を合わせることすらできなくなっていた。

 大阪で意識を取り戻した時の薫は弱々しかった。その姿を見て恐怖は消えたと思っていたのに――次は信濃が薫のような存在になるとは思いもよらなかった。大倉が「信濃は薫やで」と言っていた意味がようやく腑に落ちた。

 大倉は書類に目を通しながら、薫に言われたことを思い出していた。事件の全体像を自分なりに整理していくうちに、次第に山口静香はもう生きていない気がしてきた。「もし自分が犯人なら……」そんな考えが頭を過ると、むやみに人を始末する山口の存在は危険で邪魔でしかない。信濃の言う通り、山口は金を持つだけの存在で背後に操る誰かがいるのかもしれない――そう考えずにはいられなかった。

「暗闇に住む姿の見えへん怪物……」

「怪物? 大倉さん、怪物ってなんですか?」

 田中は大倉の顔を覗き込んで聞いた。

「明日の『鵺』が楽しみや思うて」

「そうですね」

「葵も出るんか?」

 大倉は思わず名前を口にしてハッとした。

――葵や。

「葵さんも後見で出るみたいですね。チラシに名前がありました。でも国宝はまだ病院にいるみたいです」

 田中の言葉は大倉の耳に届かなかった。

――犯人は葵や。

 確信した瞬間、大倉は顔を引きつらせながら田中に微笑んだ。

「大倉さんもその笑い……。みんな信濃さんみたいに大げさに笑うから本当に嫌になります」

 田中はため息をついた。

「なあ、田中……」

「はい」

「山口静香は……生きてると思うか?」

「えっ? 大倉さん、どうしたんですか突然」

「いや、なんでもない」

 大倉は書類に視線を戻した。

 田中は大倉を見つめながら、首を傾げた。



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