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黒塚の陰翳  作者: 猫田たい子
第七章
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大江山 2

2


――三日前。

 信濃は薫から突然連絡を受けた。以前、信濃が渡した名刺を見て連絡をくれたのだ。

「薫さん、お身体は大丈夫なんですか?」

「まあ、なんとかやっとるわ」

「もう、大倉さんの事件には関わらないって聞きましたけど」

「ああ……。嫁にそう言うたからな。東京には行かれへん。せやけど……」

 少し間を置き、続けた。

「靖代はん、俺の目になってくれへんか? ただし、これは敦男にも内緒や」

 その言葉に、信濃は素の顔に戻り、ニヤリと笑った。

「――喜んで」

 信濃は真島家で撮った動画と山口邸の動画、さらに撮影しておいた設計図の写真を薫に送った。

 山口邸で信濃が田中に「長山さんとおしゃべりしていた」と伝えたのは、能舞台の設計図を内緒で撮影していたからだ。

 薫は送られてきた動画と設計図を、麻希のいない隙を見計らって確認した。本来なら安静にしているべき身だ。まだ退院どころか、まともに歩くことすら難しい。それでも――自分を刺した犯人を捕まえるためには、どうしても信濃が必要だった。

 そして何より、自分の命を奪おうとした者を野放しにはできない――絶対に許さない。その揺るぎない怒りと執念だけが、薫を突き動かしていた。

 東京へ向かうことを知っていたのは、警察関係者を除けば、真島家の人間と山口邸の関係者だけだ。犯人はこの中にいる――薫はそう睨んでいた。信濃も同じ考えだった。

 大倉から真島家の能舞台の話を聞いていた。その内容から『覗いてはいけない部屋』は真島家には存在せず、真島家の人間も事件に関わっていないだろうと考えていた。だが、信濃が撮影した動画に映る慶之助と葵を見た瞬間、違和感が走った。二人の間に目には見えない糸が張りつめている――そんな感覚だった。

――この二人、何かある。

 特に葵には一瞬ではあったが、自分と同じ『闇』を感じた。信濃も同じ印象を抱いていた。

 薫は葵を詳しく調べてほしいとメールで頼んだ。信濃はすぐに動き、母・今村条美と真島慶典との関係、そして真島家に引き取られた経緯まで、整理した情報を伝えた。

 葵の真島家での扱いは劣悪だった。特に異母兄・慶之助の母である梓からは日常的に暴力を受けており、その場面は大倉と田中の目の前でも確認されたほどだった。

 信濃は葵の虐待を裏付ける写真に強い違和感を覚えた。梓による傷の中に、明らかに自分でつけたとしか思えない自傷の痕が混じっていたのだ。それを大倉と田中に伝えようとしたものの、二人は半信半疑の反応を見せるにとどまった。

 信濃が何より伝えたかったのは、葵を見つめる田中の瞳だった。

 薫は話を聞いて一瞬、葵が自分を刺したのではないかと疑った。だが、大倉が田中に内緒で成田に確認させたところ、事件当日、葵は慶介の付き添いで東京の市民病院にいたことが判明した。

 大倉もまた葵を疑っていたのだと知り、この男の中にはやはり刑事の血がしっかり流れていると感心した。

 大阪府警の久下から凶器の包丁の銘柄を聞いていた。その情報を信濃に伝え、山口邸で使われている包丁と同じ銘柄か確認してほしいと依頼した。

 信濃は大倉と田中に気づかれないように執事の長山に名刺を渡し、「後日、二人だけでお話しできませんか」と協力を求めた。

 長山の本音は警察と関わりたくなかったが、事件の早期解決を望む気持ちが勝り、内密に引き受けた。

 後日、届いた長山からのメールには、調理道具のメーカー名が記されていた。確認した結果、厨房にあるはずの高級ブランドのステンレス製牛刀包丁が一本、紛失していることが判明した。その包丁は薫が刺された一週間後、関西国際空港で発見されたものと同じだった。

「薫さん、大倉さんに報告しますか?」

 信濃がメールで尋ねると、すぐに「まだや……」と返信が届いた。

 薫は山口邸の能舞台の動画を見て、そこに『覗いてはいけない部屋』があることを直感した。だが、山口のホテルの部屋にあったカラクリ箱と同じく、仕掛けの存在は分かっても、動画ではその謎を解き明かすことができなかった。

「悪いけど、この場所に行ってくれへんか? 俺の代わりに鏡板に触れてほしいんや」

「了解です」

「それから香水や。山口静香は普段シャネルの香水をつけてたらしい。敦男が言うには、他の香水もつけてたみたいやから、シャネル以外の香水も調べてくれへんか?」

「了解です」

 信濃の返信が早くて、薫は病室のベッドでスマートフォンを手に「靖代はん、さすがやな」とニヤリと笑った。

 信濃はすぐに山口静香の香水について、長山にメールで問い合わせた。

 長山の返信も早かった。

「奥様は、シャネルのナンバー5のほかに、もう一つ香水を使っていました」

「銘柄は分かりますか?」

「それが……教えていただけませんでした。その香水は『大切な時』にしかつけないと仰っていました」

 長山からの返信を読んだ信濃は、首を傾げた。



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