船弁慶 6
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翌朝、久下の車で、大倉と田中は薫が入院している病院へ向かった。
病室に入ると麻希とアキ、皐月を抱いた竜斗が薫の前に立ちはだかり、三人の接近を阻むように睨みつけていた。
薫が助かり、そして智也と話せたことで、大倉は気持ちに余裕を取り戻していた。坂本家は真島家以上に厄介かもしれないと思いながらも、今では親切に接してくれる真島家の方が付き合いやすいのかもしれないと感じていた。
それでも、大倉と田中は頭を下げた。
「すみませんでした」
「……なんで謝るんや?」
弱々しい声が聞こえたが、坂本家のガードで姿が見えなかった。
「麻希、どけ」
薫の言葉にようやく麻希たちはガードを緩めた。
薫はまだ顔色が悪く、身体を起こすこともできず、寝たきりのままだった。
田中は弱々しい姿を見て、初めて薫の目を真っすぐに見つめることができた。
「敦男、田中さん、悪かったな……」
「なんで薫のおっちゃんが謝んの!」
アキが声を荒げた。
「アキ、黙れ……」
薫の声は弱々しいが強く響いた。
アキは悔しそうに口を閉じたかと思うと「薫のおっちゃんのアホ!」と怒鳴って病室を飛び出した。
「アキちゃん!」
竜斗は皐月を抱きかかえたまま、慌ててアキを追って出て行った。
「麻希、敦男と話したい」
麻希は大倉を睨みながら窓際にずれた。
大倉と田中は薫に歩み寄った。
「薫、ほんま、悪かったな……」
「俺を刺した犯人、誰か分かったんか?」
「それが……分からんのや。――おまえは犯人の顔、見てへんのか?」
「……刺された時、犯人の右手を掴もうとしたんや。そしたら思いっ切り蹴られたんや」
御堂筋線の改札を出て、人混みの中、階段を上っていた薫。その背後にフードをかぶった黒い人影が迫っていた。
人影はすれ違いざま、隠し持っていたナイフを薫の左腹に突き立てた。
薫は反射的にナイフを握った手を掴もうとしたが――犯人の強烈な足蹴りを受け、バランスを崩して階段から転げ落ちた。
「絶対許さん!」
怒りを顔に浮かべた麻希を、田中は一瞥した。
「匂いや……」
「匂い?」
大倉が薫に尋ねた。
「犯人の匂いがした」
「どんな匂いですか?」
田中が二人の間に割って入った。
「何や……。香水や思う」
「シャネルか?」
大倉が尋ねた。
「シャネル? なんやそれ?」
「山口静香の香水や」
「シャネルの何?」
麻希は大倉を睨み、声に殺気を込めて尋ねた。
「山口静香の香水はシャネルのナンバー5です」
田中が代わりに答えた。
すぐ竜斗を梅田の百貨店へ行かせて同じ香水を買わせたが、それは犯人の香水ではなかった。
「何や、柑橘系の匂いやった……。同じ匂い嗅げば、犯人の顔を思い出せる気がすんねん」
「その香水、絶対に見つけるから」
麻希は薫の顔に手をあてた。
その光景を見て、大倉は薫に頼り過ぎたことを反省した。
田中は驚きを隠せなかった。麻希の手に触れられた薫の顔は、これまで見たことのない優しさに包まれていた。守るべき存在ができれば、心に闇を抱えた人間も変わる。逆に普段は優しい人間が大切な人を守るために鬼になることも、麻希とアキを見れば容易に想像できた。
薫は自分の命よりも大切な家族を守るため、もう警察の手助けはしないと告げた。最後に大倉と二人だけで話したいと言い、田中と麻希は病室を後にした。
田中は二人の会話が気になったが、麻希に睨まれていたのでドアから離れて待った。
「田中さん、薫さんを刺した犯人、必ず捕まえてください」
丁寧な敬語の裏には無言の圧力があった。麻希の瞳には犯人を許さぬ強い決意が滲み、田中を真っすぐ睨みつけていた。
「はい……」
田中は目を伏せた。薫よりもむしろ麻希に戦慄を覚えた。
新大阪駅で、大倉と田中は見送りに来てくれた久下に挨拶をした。
「久下、いろいろありがとな。――健吾にもありがとう言うといて」
大倉が照れくさそうに言った。
「分かっとる」
「久下さん、ありがとうございました」
田中が頭を下げた。
「田中さん、また来てな」
「はい」
「大倉の元相棒として言わせてもらうけど、こいつ、よーさん人に迷惑かけるけど、自分よりも相棒のことを一番に考えとるさかい、こいつのこと嫌いにならんといてな」
「はい、分かっています」
田中は微笑んだ。
新幹線が来て、二人は乗り込んだ。久下は車両が見えなくなるまで見送った。
座席に座った二人は、あまりの出来事に言葉を交わさなかった。
大倉はピクリとも動かず、車窓の方に身体を向けていたので、田中はてっきり眠っているのかと思った。名古屋を過ぎてトンネルに入った時、窓に映る大倉が眠っていないことに気づいた。
「大倉さん、何を考えているんですか?」
「……いろいろとな」
「二人きりで坂本さんから何を聞いたんですか?」
田中の問いにしばらく黙っていたが、背中を向けたまま答えた。
「田中、薫が何を言うたか気になるんか?」
「はい。私は大倉さんの相棒なんで気になります」
大倉は背を向けたまま、首だけ傾けて田中を見た。その眼差しから知りたいという気持ちが伝わってきて、フッと笑った。
「新大阪で薫が刺された時、あいつ、もうすぐ死ぬかもしれへんって時に、家族のことより、三日後の歯医者の予約、キャンセルせなあかんって思ったらしい」
「歯医者?」
「意識失う時、『歯医者に電話せなあかん』って思ったらしい」
「えっ?」
田中はよく理解できなかった。
「――人間って今から死ぬかもしれへんって時に、案外あほなこと考えるんやな……って薫が言うてた」
そう言うと、大倉は両目を閉じた。
次にトンネルに入った時、窓に映った大倉は眠っていたので、田中も両目を閉じた。




