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黒塚の陰翳  作者: 猫田たい子
第五章
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30/60

俊寛 5

5


 「青少年失踪事件」の行方不明者は一人も見つからず、捜査は行き詰まって一旦終了となった。小泉は高橋朔殺害の疑いで被疑者死亡のまま送検された。

「お役に立てず……残念です……」

 捜査一課に足を運んだ信濃が、田中と大倉に頭を下げた。

「こちらこそ……信濃さん、いろいろとありがとうございました」

 田中も頭を下げながら答えた。

「行方不明者がほんまは元気に生きとったってオチやったらええんやけどな」

 信濃は大倉の顔を見て「生きていません」と言いそうになった。

「やっぱり、大切に保管されているんですか?」

 その様子に気づいた田中が尋ねた。

「はい。――私が犯人なら、同じ部屋にまとめてコレクションにしています。『黒塚』の『覗いてはいけない部屋』のように……」

 信濃は一瞬、素の顔になった。

「薫も同じ考えや」

「光栄です。……薫さんにもうお会いできないのが残念です。もっと仲良くなりたかったです」

「薫に伝えとく」

「ありがとうございます。――お二人はこれからどうされるのですか?」

「私と大倉さんは上からの命令で、今から山口と真島家に謝りに行きます」

「山口の弁護士から警視庁に抗議が来たんや」

「そうですか……」

 二人は出掛けようとしたが、信濃が呼び止めた。

「田中さん」

「はい?」

「……お気をつけて」

 何か言いかけたが、結局その言葉を呑み込んだ。

「ありがとうございます」

 田中は微笑むと、大倉と共に捜査一課を後にした。


 田中と大倉が真島家に到着すると、梓は快く二人を迎えてくれた。

 客間では慶之助が親切過ぎるほど丁寧にもてなしてくれたので、田中は思わず顔が引きつった。

「いろいろと疑ってしまい申し訳ありませんでした」

 二人は梓と慶之助に頭を下げた。

「そんな、気にしていませんわ」

 梓の言葉にはどこか棘があったが「今、お茶をお持ちしますわね」と言い、部屋を出て行った。

「今日は葵はおらんのか?」

「おじい様の検査入院に付き添っています。――よろしければ病院を教えますので、葵に会いに行ってあげてください」

 慶之助が田中を見て言った。

「えっ? いいえ、大丈夫です」

 田中はとっさに右手を振って断った。

「葵をいじめてへんやろうなー」

 大倉の嫌味は後で何を言われても構わないといった様子だった。

「血の繋がりのあるたった一人の兄弟を、いじめることはありません」

 慶之助は真顔で言い返した。

 梓が戻って来て、二人の前に茶と和菓子を置きながら言った。

「刑事さんの前でお恥ずかしいところを見せたことを後悔していますわ」

 田中はこの場にいることが怖かった。梓と慶之助の笑顔の裏には、深い闇が隠れているに違いないと感じたからだ。

 大倉は和菓子を豪快に平らげ、お茶を飲み干して満足そうな顔をしていたが、田中は手をつけられなかった。

「田中、これもらうで」

 大倉は返答も待たずに和菓子を口に放り込んだ。

 慶之助と梓が微笑ましく見ていたので、田中はさらにゾッとした。


 続けて二人は山口の邸宅に向かった。そこでも温かく迎えられ、大倉は苛立ちを覚えた。

「なんやねん」

 二人は執事の長山に客室へ案内され、紅茶と洋菓子を振る舞われた。洋菓子はチューリップの花びらのように繊細な生地が重なったケーキだった。淡いピンクとクリーム色のグラデーションが美しく、見た目のかわいらしさに田中は目を奪われた。

 山口が現れて二人の前に腰掛けた。

「いろいろと疑ってしまい申し訳ありませんでした」

 田中と大倉は席を立って頭を下げた。

「刑事さんは疑うのがお仕事ですから仕方がありませんよね」

 山口の笑顔がどこか恐ろしく、田中は顔が引きつった。

 大倉は目の前の紅茶と洋菓子を平らげると、了解を得ず隣の洋菓子に手を伸ばしたが、田中は制止した。

 山口は微笑みながら言った。

「長山、大倉さんにお代わりを」

「かしこまりました」

 長山はすぐに新しい洋菓子を用意した。

「おおきに」

 大倉は豪快に頬張った。

 田中は紅茶を味わってから、洋菓子にフォークを刺した。

 山口と長山の視線を意識しながらも、見たこともない繊細なケーキを大倉に取られたくなかった。一口含むとふんわりとしたスポンジの中から甘酸っぱいベリーソースが広がり、思わず笑みがこぼれた。

「かわいいお菓子は口に含むと自然に笑顔になりますわね、田中さん」

「はい……」

 田中は恥ずかしそうに答えた。

「小泉ですが、被疑者死亡のまま送検されましたわ」

「そうですか」

 山口は紅茶を一口含み、落ち着いた声で答えた。

「小泉の家には五百万円もあったんやけどな」

「まあ、そうでしたか」

「山口さん、おたくが渡したんちゃうんか?」

 大倉は山口を睨みながら言った。

「刑事さん、本当に面白い方ですね。――今日は私に謝罪をしに来られたのかと思いましたけど」

「大倉さん……」

 田中は小声でたしなめた。

「俺はな、この家のどっかにモルグがあるんちゃうか思てんねん」

「モルグ?」

「大倉さん……」

 田中は大倉のジャケットの袖を引っ張った。

「分かっとるがな」

 大倉はその手を振りほどいた。

「山口さん、申し訳ございません」

「そのモルグとやらがどこにあるのか、私は気になりますね」

 田中は返す言葉に困った。

 しばらく両者の睨み合いが続いたが、大倉は観念して顔を背けた。

「お邪魔しました!」

 大倉は悔しそうに席を立ち、田中も続いて立ち上がって言った。

「お邪魔しました!」

「お待ちください!」

 張り詰めた山口の声には強い威圧感があった。二人の足が止まり、空気が凍りついた。

「疑われたままではこちらも大変気分が悪いです。よろしければ今からでも、お二人でこの邸宅をお調べになってはいかがですか?」

 その挑発に、大倉は蛇のような目つきになった。

「ただし、何も見つからなければそれ相応の抗議を弁護士から警視庁にさせていただきます」

 山口の言葉は大倉がどう出ようと、自分が全て制しているという圧倒的な自信を感じさせた。

「大倉さん、もう失礼しましょう」

 田中は今ここで対立すれば完全に乗せられてしまうと直感した。山口を敵に回してはいけない――心の奥で決意し、大倉の腕を掴んで無理やり引き寄せた。

 二人が山口の邸宅を出ると、執事の長山は会釈して門を閉めた。その顔には二人を嘲笑うかのような笑みが浮かんでいた。

「くそっ! ほんま腹立つな!」

 大倉は怒りを身体全体で表した。

「山口さんのあの言い方、この屋敷にモルグはないってことですね。挑発に乗ったら大倉さん、今度こそクビですよ」

「分かっとるがな!」

「もう無理ですよ……。行方不明者が一人も見つからない時点でこの事件が本当にあったのかどうか……」

「透馬も堺陽向も行方不明になっとるわ!」

 肩を震わせる大倉に、田中は言葉を返せなかった。

「ほな次行くで」

「えっ? どこに行くんですか?」

「葵に会いに行くんや」

 大倉の後を田中は追った。



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