俊寛 4
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田中と大倉が警視庁に戻ると、成田が駆け寄った。
「小泉の自宅アパートを捜索したら、五百万円の現金が見つかったそうです。鑑識の新庄さんが今、指紋が出ないか調べています」
「五百万って怪しい金やなー。高橋朔の殺しの金か?」
「そうでしょうね」
田中が答えた。
「ホテルの部屋はまだ確認できてへんのか?」
「今、裁判所に令状を出してもらっているところです」
成田が大倉に答えた。
「お疲れ様です」
信濃が入ってくると、成田は嫌悪を露わにした。
「信濃さん、舞台が終わってからどこに行っていたんですか? 見当たらなかったので先に大倉さんと戻りましたよ」
「いろいろ気になることがありまして……」
「『黒塚』はどうでしたか?」
「素晴らしかったです。特にあの作り物……」
「作り物?」
「ええ、舞台上に置かれていた作り物です」
「ああ……」
「最初は布が掛けられていて、祐慶たちが訪れると外され、老女の姿が現れる。――老女が招き入れると、次は寝室になるんです」
「ああ……」
田中と大倉は記憶を辿るように頷いた。
『黒塚』の作り物は、舞台上に登場する家を象徴する簡素な構造物で、大竹や紐、布といった素材が、舞台の素朴さと緊張感を際立たせている。その組み方や扱いには、長年にわたり磨かれてきた型と理が息づいている。
作り物は一つの構造物でありながら、場面の進行によって意味を変えていく。前場では安達原に佇む老女の小屋として旅僧を迎える外の空間を示し、後場では同じ作り物が老女の寝室を表す空間へと転じる。一つの作り物で「外」と「内」を表現する手法により、物理的な転換を抑えつつ、物語の深層へ観る者を導いていく。
「寝室になると、中には人骨が山のように積み上げられている設定なんですね……」
信濃の目が輝くのを見て、成田は目を細めた。
「能は『見えないものを想像する』ように作られている。まるでヒッチコックの手法みたいだと感じました」
「はい?」
「田中さん。老女が鬼女になった後、作り物の中は何になったと思います?」
「えっ? そんな演出ありました?」
「ありましたよ」
信濃は言葉を選ぶように続けた。
「――鬼女は祐慶たちに『自分の心の中』を覗かれないように、必死で作り物……心を守ったんです」
「心の中……」
「ほんで、それがプロファイリングに役立ったんか?」
大倉の声に、田中はハッと我に返った。
「はい、大変参考になりました」
信濃は満面の笑みで答えた。
「何が分かったんや?」
「能が描く鬼は遠い昔話の怪物ではなく、今を生きる私たちのもう一つの姿だと感じました」
信濃の言葉に三人はきょとんとした。
「――鬼や怪物は単なる敵や悪ではなく、人間の影や痛みを象徴していると思います。――『黒塚』の鬼は、今回の犯人そのものです」
「信濃、おまえ犯人分かったんか?」
大倉が反応した。
「いいえ。ですが……犯人はただの怪物じゃありません。かつて普通に生活していた人間で、愛する者を失い、社会からも見放され、孤独と絶望の中で生きてしまった。――犯人はそんな『孤独』を抱えた悲しい人間です」
田中と大倉は「孤独」という言葉に葵の姿を思い浮かべたが、その名を口にすることは避けた。
「能の舞台では陰と陽、闇と光のバランスが描かれます。闇は孤独や悲しみ、陽は救いの光。どちらも必要で人間の本質や心の闇が映し出されます」
「闇が孤独……」
田中が呟いた。
「ほな、山口は犯人ちゃうんか?」
「関わっているとは思いますが――」
「マンソンみたいに洗脳しているんじゃないんですか?」
田中が信濃の言葉を遮るように口を挟んだ。
「山口静香さんはマンソンではなく、ウィリアム・キング・ヘイルのような人物なんですよね」
「誰ですか?」
「1920年代のオセージ族連続殺人事件の黒幕です。ウィリアム・キング・ヘイルは直接手を汚すことなく、権力やお金、策略を使って他者を動かし、多くの命を奪わせました。マインドコントロールではなく、圧倒的な権力と巧みな策略で人を操りました。山口さんも同じタイプだと私は感じています」
田中はすぐにスマートフォンで名前を検索した。『オセージ族連続殺人事件』の概要を読み進めながらも、内容は頭に入ってこなかった。田中の意識を支配したのはただ一つの言葉――「孤独」だった。
――闇が孤独。
葵も山口の犯行に加担しているのではないかと不安に駆られたが、大倉も同じ思いを抱いていた。
言葉にならない沈黙が流れた。
「早くホテルの令状が出てほしいです」
田中の言葉には、葵が関わっていないことを願う切実な気持ちが込められていた。
翌日、山口のホテル部屋の捜索令状が出た。大倉と田中は鑑識の新庄を連れて、紗綾形模様のカラクリ箱があると予測していた303号室に入ったが、そこは新潟のホテルとは違っていた。
「なんやこれ、薫の予想と全然ちゃうやんけ」
大倉が落胆した様子で呟いた。
田中はしゃがみ込んで壁を触り、音を立ててノックしたが、空洞の感触はなかった。
「これ最近リフォームされてるなー。しかも慌ててしてる感じがする」
新庄が写真を撮りながら言った。
「304号室はどないなっとる?」
大倉は駆け足で隣の部屋へ向かった。
そこもまた紗綾形模様の十センチの凸凹が消えており、板張りの上に新しい殺風景な壁紙が貼られていた。
「やられましたね」
田中がぼやいた。
「他のホテルの部屋ももうリフォームされとるんやろな」
「捜索令状が出ているのはこのホテルだけです。全国の303号室と304号室を調べるには、各都道府県の令状が必要になります」
「他のホテルの部屋もリフォーム済みやろな……」
「リフォーム業者を洗ってみたらどうですか?」
新庄が提案した。
「そんなん無理やで。ただのリフォームや言うて通ってたら、業者の情報なんか掘り起こすんは至難の業や。……それにな、俺らまだ行方不明者を一人も見つけられてへん。高橋朔かて、小泉が自分で殺した言う遺書があるだけや」
「それは偽物の遺書ですよ」
田中はきっぱりと言ったが、心の奥では――未だに誰一人見つかっていないことに強い違和感を覚えていた。
「分かっとるがな。――結局、山口の思うように動かされとるだけやな」
「悔しいです……」
「その行方不明者はいったいどこにいるんでしょうかね」
新庄が何気なく口にした。
「信濃が言うにはかなり大切に保管しとるって」
「三十人以上も保管できる場所ってモルグとかですか? モルグでも大きな病院じゃないと無理かもしれません。ましてや『大切に保管』となるといろいろと疑問が残りますね」
新庄の問いに二人は頷いた。
「一旦振り出しに戻らなあかんな……」
「そうですね……」
大倉に続いて、田中も悔しそうにぼやいた。




