道成寺 3
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田中の推測は見事に的中していた。行方不明者八人のうち、四人が山口のホテルに宿泊予定だったことが家族の証言から明らかになった。だが、どのホテルにも予約記録は一切残っていない。奇妙なことに、いずれの家族も片親だった。
山口静香は、かつて夫を支える平凡な主婦だった。八年前、夫が脳梗塞で急逝し、彼女の人生は大きく動き出した。
残されたのは莫大な遺産――絶望と希望が同時に押し寄せる中で、山口は迷う暇もなく株式投資の世界に飛び込んだ。経済紙を読み漁り、企業の決算書を片っ端から頭に叩き込み、朝から晩まで数字と格闘して、経験と勘を研ぎ澄ませていった。
二年後、株で築いた資金をもとに、東京・銀座に第一号のホテルをオープンした。「清潔、快適、効率」を掲げたホテルは好評を博し、全国に展開。今や山口は、日本を代表する女性実業家の一人となっていた。
五年前、山口は真島能楽堂のパトロンとなった。伝統芸能は国の補助金だけでは賄いきれない。彼女の惜しみない支援によって、真島能楽堂は今も守り続けられている。
「山口静香の秘書から面会を断られました」
田中が受話器を戻して言った。
「まあ、断るわな」
「どうしますか、大倉さん?」
大倉は一瞬考え込み、視線を机の上に落とした。
「直接会いに行くか」
そう言って席を立った。
山口の邸宅は、東京郊外の高台に威容を構えていた。屋敷の管理は、執事の長山健一(70)に一任されていた。
「アポイントも取らず突然お越しになるとは、無礼にもほどがございます」
邸宅の門構えの前で、長山が田中と大倉に言った。
「アポイントを断られたから、こうして訪れたんですわ」
「それでも、正式な手続きを踏んでいただかなくては――」
大倉は黙ってスマートフォンを取り出し、そのまま山口の会社に電話をかけた。
「警視庁の大倉と申します。山口さんにお尋ねしたいことがありまして」
関西訛りの混じる丁寧な口調だったが、電話の向こうで――秘書の春日はやはり面会はできないと告げた。
大倉は少し間を置き「そうですか。――せやけど今、お宅のご自宅前にいてますんや」と言い放った。
春日は「折り返しご連絡いたします」とだけ言い残し、電話は切れた。
大倉はスマートフォンをポケットに戻した。
長山は冷ややかな眼差しで一部始終を見つめていた。ポケットのスマートフォンが震れると、表情を変えぬまま応対した。
「はい、長山でございます」
大倉と田中の視線が同時に長山に向けられた。
「――かしこまりました」
通話を終えた長山は門扉の鍵を外し、ゆっくりと門を開いた。
「どうぞ、中でお待ちください」
執事としての節度を保ちつつ、二人を敷地内へと招き入れた。
山口邸の離れには能楽堂が設えられていた。大きな窓ガラスのある客室に通された田中と大倉は、山口を待つ間、その建物をぼんやりと眺めていた。
客室には山口と慶之助が並んだ写真が飾られていた。
「あれは葵か?」
大倉が写真を指して田中に尋ねた。
「あれは真島慶之助です。この間『道成寺』でシテを務めていました」
「シテって確か、主役やったな」
「はい。慶之助は能楽界の貴公子と呼ばれています」
「貴公子?」
大倉は鼻であしらうように言った。
「大倉さん、伝統芸能を続けていくには、まず、能は思っているほど敷居が高くないと知ってもらうことが大切なんです。若くて魅力のある役者を前に出すことで、能は昔の芸じゃなく今もちゃんと生きている文化だと感じてもらえる。――そういう思いがあって、きっと貴公子なんて呼び方をしているんですよ」
「真島葵はその貴公子に入っとるんか?」
「――いいえ。含まれていません」
田中は少し間を置いて答えた。
真島能楽堂で『道成寺』を観劇した夜、田中は自宅に戻るとすぐにパソコンの前に座った。
――能楽の勉強をしよう。そう思ったはずだった。
だが、指が勝手に打ち込んでいたのは「真島葵」の名前だった。
検索結果は意外なほど多く、田中は息を呑んだ。
葵は能楽界の重鎮・真島慶典(55)の腹違いの息子で、出生には重い影が落ちていた。
葵の母、今村条美(当時25)は京都の元芸子。芸子時代、慶典の席で凌辱を受けた。その出来事がきっかけで芸子を辞め、京都の工芸品店へ身を隠すように移った。
店主にだけ事情を打ち明け、誰にも告げることなく、しばらくして妊娠していることに気づいた。葵をひっそりと産み、そのまま店に住み込みながら育てた。
葵が小学校に上がる頃、二人は大阪へ移り住み、ささやかな日々を送っていたという。だが、平穏な暮らしは長くは続かなかった。
葵が十歳の時、真島家が突然「引き取り」を求めて動き出した。やり方は強引で、記録によればほとんど連れ去り同然だった。
きっかけは葵が舞った『善知鳥』の動画だった。小学校の演劇発表会で披露された舞が動画サイトに投稿されたのだ。動画は瞬く間に拡散され、葵の舞は「奇跡の子供」として話題になった。
名前こそ伏せられていたが画面の中の葵を見た瞬間、慶典は自分の血を引く子だと悟った。
――条美はこの瞬間どんな気持ちだったのだろう。
愛する息子を何の前触れもなく奪われる。抗いようのない力の前でただ取り上げられるしかなかった母の心は、『道成寺』の鐘の中に閉じ込められた清姫のように深く沈んでいったに違いない。
母の死を知らされた時、葵はどれほどの痛みに襲われたのか……。
田中の胸は締めつけられた。




