安達原 7
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大倉と田中が山口邸に到着すると、快く出迎えられて二人は顔を見合わせた。
「何を企んどるんや……」
大倉がぼやくと、田中は呟いた。
「弄ばれているみたいで、癪に障りますね」
執事の長山に案内され、二人はダイニングルームに入った。十人掛けの大きなテーブルには白いクロスが掛けられ、カトラリーとクリスタルグラスが各席に並んでいた。まだ料理はなかったが、本格的なフルコースが始まる気配があった。
中央の席には、主催者の山口が着席していた。白い大島紬の着物を纏い、場を掌握するかのような微笑みをたたえていた。左右には招待客が並び、真島慶典、梓、慶之助の姿も見えた。ほかは名前こそ知らないもののテレビで見かけたことのある文化人や政財界の著名人たちで、控えめに会話を交わしていた。
舞台の幕が上がるのを待つような緊張感の中、山口の圧倒的な存在感が場を支配していた。
「刑事さん、いらっしゃいませ。今夜はお越しくださりありがとうございます」
山口の言葉に応えるように、来賓たちが一斉に大倉と田中を見つめて微笑んだ。その笑みはどこか不気味で同じ面をかけているようだった。田中は背筋に寒気を覚えた。さらに背筋を凍らせたのは――ダイニングルームの大きな窓の外、橙色に染まった満月が自分だけを見つめ、覗き込むかのように迫っていた。
山口の席から最も遠い末席――その左右に、真正面で向かい合う二人の席が用意されていた。
執事の長山が椅子を引いた。田中は一瞬戸惑いながらも礼儀正しく腰を下ろした。
周囲を気にするそぶりもなく大倉は自分で椅子を引いて座った。
大倉が目配せすると、田中も黙って頷き返した。
「山口さん、食事の前に一つ聞きたいことがあるんや。かまへんか?」
大倉が場の空気を壊すように口を開いたが、誰ひとり顔色を変える者はいなかった。
「大倉さん、もちろんですわ。ただし、お話はお食事の後で――」
「小泉は人殺しや。今どこにおるんや」
山口の言葉を遮るように、大倉が問い詰めた。
「まあ……それは怖ろしい。そんなことになっていたなんて。――小泉さんは……」
山口は眉一つ動かさず、そばに控える長山に視線を向けた。
「長山、小泉さんって……どなたかしら?」
「はい、奥様。小泉様は奥様がご支援されている『更生保護ネットワーク』から派遣された非正規の運転手でございます」
「あらそうだったのねぇ。――ということです、大倉さん」
「どないいうことや」
「私は罪を償った人たちが社会復帰できるよう、微力ながら支援をしておりますの。小泉さんもそういった方の一人ですわ」
あくまで他人事のように答えた。
「山口さん、葵さんが小泉に突き飛ばされてケガをしたのをご存じでしたか?」
田中は山口を真っすぐに見据えた。
「ええ、葵さんがケガをされたことは聞いています。本当にお気の毒なことです」
山口は答えながら、真島家の三人に目を向けた。
「息子がケガをしたと聞いて……胸が張り裂ける思いでしたわ」
梓の芝居がかった口調に、田中の表情が険しくなった。
「でもあなた、私たちの目の前で葵さんを蹴ったでしょう!」
「まぁ……大切な息子に暴力だなんて。めっそうもないことですわ」
梓は首を横に振りながら田中を見返した。
大倉は梓の隣にいる慶典が気になった。過去に無理やり母親から葵を引き離した冷酷な男には見えなかったからだ。今の慶典は妻に気を遣い、何かに怯える弱い男にしか映らなかった。
慶典は大倉の視線を感じて慌てて目を逸らした。
「おしゃべりの続きはお食事の後にいたしましょう」
山口は手を一振りした。音もなく扉が開いて手際よく料理が運ばれてきた。
最初にアミューズ・ブーシュ。続いて、前菜、スープ、魚料理。どれも手の込んだ料理だったが、田中と大倉に味わう余裕などなかった。フォークとナイフを持つ手は誰かに操られるかのように無感情に動いていた。食事というより何かに強制されているような無言の圧力に支配されていた。
だが、肉料理になった瞬間、二人の手は止まった。
シェフの東(50)が二人の前に料理を置いた。
「フォアグラのポワレでございます。ソースは赤ワインを使いました」
フォアグラを包んだ赤ワインソースが、朱墨に染まった深い色で皿を覆っていた。色合いが不気味な鬼の血を思わせ、田中の心に冷たい影を落とした。
――肝……。
思わずダイニングルームの大きな窓の外に目を向けた。――外の魑魅を思わせる満月が田中を睨んでいた。視線を戻すと大倉と目が合った。その目にも同じ疑惑が見えた。
「山口さま、このフォアグラのポワレは絶妙ですね」
沈黙を破るように、慶之助が口を開いた。
ほかの来賓たちも口々に賛同した。
大倉は観念したように、フォークとナイフを構えて豪快にフォアグラに切り込みを入れた。フォークとナイフが擦れる音が部屋の空気を震わせ、耳障りに響いた。
田中は両手にフォークとナイフを持ったまま固まって動けなかった。手先に力が入らず、銀のカトラリーが重りに変わったようだった。皿の上に広がる朱墨のソースがじっと自分を見返しているような錯覚すら覚えた。
――晩餐会の最中。
都内の高層ビルの屋上から人が飛び降りた。
歩行者から悲鳴が上がると、すぐに人だかりができた。その光景を満月が優しく見守っていた。




