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黒塚の陰翳  作者: 猫田たい子
第四章
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安達原 2

2


 薫の建設会社は大阪府守口市(もりぐちし)の自宅に併設されている。広い敷地内には大型の倉庫があり、内部には木材や建築資材が所狭しと積まれていた。現場に持ち出す道具や機材も並べられ、長年の経験と几帳面な性格が感じられる空間だ。

 大倉、田中、信濃がタクシーを降りると、薫と妻の麻希(35)、二歳の娘・皐月が、玄関先で三人を出迎えてくれた。

 皐月は母の後ろから、恥ずかしそうに顔を覗かせていた。

「敦男さん、いらっしゃい。――さつきもあいさつしよかー」

 麻希が優しく声をかけると、皐月はもじもじと足元を見つめたまま、ぎゅっと母の手を握った。

「ほら、おじちゃんたち来てくれはったよ」

 薫がしゃがみ込み、皐月と目線を合わせると、皐月は大倉たちに「こんにちは……」と呟いた。

 薫の表情がふっと和らいだ。

――坂本さん、こんな優しい顔をするんだ。

 田中は思わず目を見張った。新潟のアキの家で見せた張り詰めた顔とは違い、娘を見つめる優しい眼差しに、田中は戸惑った。

「わあ、えらいなあ。ちゃんとあいさつできたな!」

 大倉が満面の笑みで褒めると、皐月は照れくさそうに笑って母の後ろに隠れた。

 そんな皐月を見て、信濃は優しい笑みをこぼした。

「ごゆっくり」

 麻希は娘の手を引いて自宅の方へ歩いていった。

 田中は穏やかな麻希を見て、不謹慎ながら女性監禁事件を思い出した。あの時、薫の助けがなければ、麻希もアキの母親と同じ運命を辿っていたに違いない。彼女が幸せに暮らせているのは薫のお陰だと分かっていながら――田中はどうしても薫と目を合わせることができなかった。

 田中の不安をよそに、信濃は興奮していた。

「初めまして、信濃靖代です。本日はお招きくださりありがとうございます」

 頭を下げ、両手で薫に名刺を差し出した。

「いや、別に招いてへんけど。来たい言うのがおるって敦男が言うから、勝手にせいって答えただけや」

 名刺を受け取り、確認もせずにポケットへしまった。


 薫は三人を敷地内の奥にある倉庫へ案内した。倉庫には竜斗《りゅうと》(32)がいた。

「初めまして、坂本竜斗です」

 大倉たちに頭を下げた。

「坂本?」

 大倉は不思議そうに竜斗を見つめた。

「ああ、竜斗は麻希の弟や。俺の養子にしたんや」

 薫が言うと、大倉も竜斗に頭を下げた。

「大倉です」

 田中と信濃も会釈した。

「竜斗は去年、一級建築士に合格したんや。凄いやろー」

 嬉しそうに話すのを見て、大倉はやっと薫も落ち着いたのだと感じた。 

 倉庫の中は広く、高さもあり、建物の強度を測る機械も設置されていた。

「凄いですね……。一級建築士って、儲かるんですね」

 見上げながら、信濃が失礼な言葉を口にした。

「あほか! 一級建築士になっても仕事ないやつ、たくさんおるわ!」

 薫は信濃を睨んで怒鳴った。

 一級建築士は難関資格だが、それだけで安定した仕事や収入が保証されるわけではない。建築業界は受注型ビジネスで景気に左右されやすく、特に独立したばかりの頃は仕事が少ないことも多い。だがBIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)と呼ばれる3Dモデルに建築の構造や設備、コストなどの情報を付加するデジタル技術や、リノベーション、海外案件といった新たなチャンスも存在する。

 薫の場合、建築賞の受賞が実績となり信頼を高め、依頼の増加に繋がった。建築士として生きていくには柔軟な思考と実行力、時代の変化に対応する力が必要である。

「一級建築士の資格があっても、俺は三年間、夜は別の仕事で生計を立ててたんや」

「すみません……」

 反省して薫に頭を下げた。

 田中は信濃に同情しつつも、関わりたくないオーラを全開にしていた。


 倉庫の奥には、黒い布を被せた高さ二メートル近くもある巨大な模型があった。異様な存在感を放ち、見る者の視線を引きつけた。

「ほな、始めよかー」

 薫は竜斗と息を合わせ、黒い布を両手で掴んだ。二人がゆっくりと布を持ち上げていく姿は、何かを解き放つ儀式のようだった。

 布が落ちて模型が露わになると、田中は息を呑んだ。

――見覚えがある。あれは、新潟の山口のホテル、303号室と304号室だ。

 田中の背筋に冷たいものが走ったのは、単に再現度の高さだけが理由ではなかった。二つの部屋の間に――本来、厚いコンクリート壁があるはずの場所に、わずか数十センチの空間が存在していたのだ。

 それは壁ではなく、隠された通路だった。幅はスーツケースがぎりぎり通り、眠った人間一人が押し込められるほどの狭さだった。

「新潟のホテルと同じやな」

 大倉が感心したように呟いた。

「奇天烈《キテレツ》や」

 薫は子供っぽく楽しそうに言った。



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