安達原 2
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薫の建設会社は大阪府守口市の自宅に併設されている。広い敷地内には大型の倉庫があり、内部には木材や建築資材が所狭しと積まれていた。現場に持ち出す道具や機材も並べられ、長年の経験と几帳面な性格が感じられる空間だ。
大倉、田中、信濃がタクシーを降りると、薫と妻の麻希(35)、二歳の娘・皐月が、玄関先で三人を出迎えてくれた。
皐月は母の後ろから、恥ずかしそうに顔を覗かせていた。
「敦男さん、いらっしゃい。――さつきもあいさつしよかー」
麻希が優しく声をかけると、皐月はもじもじと足元を見つめたまま、ぎゅっと母の手を握った。
「ほら、おじちゃんたち来てくれはったよ」
薫がしゃがみ込み、皐月と目線を合わせると、皐月は大倉たちに「こんにちは……」と呟いた。
薫の表情がふっと和らいだ。
――坂本さん、こんな優しい顔をするんだ。
田中は思わず目を見張った。新潟のアキの家で見せた張り詰めた顔とは違い、娘を見つめる優しい眼差しに、田中は戸惑った。
「わあ、えらいなあ。ちゃんとあいさつできたな!」
大倉が満面の笑みで褒めると、皐月は照れくさそうに笑って母の後ろに隠れた。
そんな皐月を見て、信濃は優しい笑みをこぼした。
「ごゆっくり」
麻希は娘の手を引いて自宅の方へ歩いていった。
田中は穏やかな麻希を見て、不謹慎ながら女性監禁事件を思い出した。あの時、薫の助けがなければ、麻希もアキの母親と同じ運命を辿っていたに違いない。彼女が幸せに暮らせているのは薫のお陰だと分かっていながら――田中はどうしても薫と目を合わせることができなかった。
田中の不安をよそに、信濃は興奮していた。
「初めまして、信濃靖代です。本日はお招きくださりありがとうございます」
頭を下げ、両手で薫に名刺を差し出した。
「いや、別に招いてへんけど。来たい言うのがおるって敦男が言うから、勝手にせいって答えただけや」
名刺を受け取り、確認もせずにポケットへしまった。
薫は三人を敷地内の奥にある倉庫へ案内した。倉庫には竜斗(32)がいた。
「初めまして、坂本竜斗です」
大倉たちに頭を下げた。
「坂本?」
大倉は不思議そうに竜斗を見つめた。
「ああ、竜斗は麻希の弟や。俺の養子にしたんや」
薫が言うと、大倉も竜斗に頭を下げた。
「大倉です」
田中と信濃も会釈した。
「竜斗は去年、一級建築士に合格したんや。凄いやろー」
嬉しそうに話すのを見て、大倉はやっと薫も落ち着いたのだと感じた。
倉庫の中は広く、高さもあり、建物の強度を測る機械も設置されていた。
「凄いですね……。一級建築士って、儲かるんですね」
見上げながら、信濃が失礼な言葉を口にした。
「あほか! 一級建築士になっても仕事ないやつ、たくさんおるわ!」
薫は信濃を睨んで怒鳴った。
一級建築士は難関資格だが、それだけで安定した仕事や収入が保証されるわけではない。建築業界は受注型ビジネスで景気に左右されやすく、特に独立したばかりの頃は仕事が少ないことも多い。だがBIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)と呼ばれる3Dモデルに建築の構造や設備、コストなどの情報を付加するデジタル技術や、リノベーション、海外案件といった新たなチャンスも存在する。
薫の場合、建築賞の受賞が実績となり信頼を高め、依頼の増加に繋がった。建築士として生きていくには柔軟な思考と実行力、時代の変化に対応する力が必要である。
「一級建築士の資格があっても、俺は三年間、夜は別の仕事で生計を立ててたんや」
「すみません……」
反省して薫に頭を下げた。
田中は信濃に同情しつつも、関わりたくないオーラを全開にしていた。
倉庫の奥には、黒い布を被せた高さ二メートル近くもある巨大な模型があった。異様な存在感を放ち、見る者の視線を引きつけた。
「ほな、始めよかー」
薫は竜斗と息を合わせ、黒い布を両手で掴んだ。二人がゆっくりと布を持ち上げていく姿は、何かを解き放つ儀式のようだった。
布が落ちて模型が露わになると、田中は息を呑んだ。
――見覚えがある。あれは、新潟の山口のホテル、303号室と304号室だ。
田中の背筋に冷たいものが走ったのは、単に再現度の高さだけが理由ではなかった。二つの部屋の間に――本来、厚いコンクリート壁があるはずの場所に、わずか数十センチの空間が存在していたのだ。
それは壁ではなく、隠された通路だった。幅はスーツケースがぎりぎり通り、眠った人間一人が押し込められるほどの狭さだった。
「新潟のホテルと同じやな」
大倉が感心したように呟いた。
「奇天烈や」
薫は子供っぽく楽しそうに言った。




